海上 自衛隊 パイロット。 高卒からパイロットになるには

海上自衛隊航空学生 パイロットへの道

海上 自衛隊 パイロット

また、パイロットになっても海上自衛隊に在職中ずっと飛行機に乗っているわけでもありません。 この紙面を借りて海上自衛隊のヘリコプター・パイロットの一端を私が経験したこと、感じた事などを含めて紹介したいと思います。 1 パイロットへの道 海上自衛隊のパイロットになるには、大別して二つのコースがあります。 一つは、高校等を卒業して「航空学生」に入るコースと、他の一つは防衛大学校(防大)・一般大学を卒業し幹部候補生学校を修業し幹部になってから操縦教育を受けるコースです。 私は、防大を卒業してパイロットになったのですが、パイロットになった動機は極めて不純で「夜は休みたい」という理由からでした。 どういうことかと言いますと、広島県の江田島にある幹部候補生学校を卒業後、遠洋練習航海に出掛けます。 私たちの時は、米国、ペルー、チリ、タヒチ、ニュージランド、オーストラリア及びインドネシアのコースでした。 この遠洋航海において江田島を卒業した新米の幹部(実習幹部と呼ばれている。 )は、昼となく夜となく訓練に追いまくられます。 この航海で私は「夜は休みたい」と心底思いパイロットの道を選んだわけです。 しかし、皮肉といいますか、私が教育航空隊を修業して最初に配置された部隊は、ヘリコプターを艦艇に搭載するいわゆる艦載航空隊でした。 つまり、昼も夜もない艦艇乗組みと同じ職場でした。 因みに、固定翼や陸上基地から運用されるヘリコプターも艦艇に比べ頻度の差はありますが、夜も訓練します。 パイロットになるために、先ず山口県下関市にある小月教育隊で単発の固定翼練習機を使って離着陸訓練、アクロバット飛行訓練等を実施します。 飛行訓練の当初、私が強烈に感じた事は、「世の中には努力しても出来ないことがある。 」ということでした。 どういうことかというと、飛行の前に手順等を完璧に覚え飛行模擬装置を使って飛行のイメージを作って飛行に臨んでも、空中では全く出来ないのです。 小月での教育を終えると、徳島県にある徳島教育航空隊で固定翼の双発機を使って、主として計器飛行訓練を実施します。 パイロットは航空路を飛行するとき、或いは離着陸の時、管制官と英語でやり取りするわけですが、英語が苦手であった私は、どうなることかと思っていましたが、管制官とやりとりするのは、英語ではなく一種の記号であると理解しました。 (管制官といつ、どこで、どのようなやり取りをするか、ほぼ決まっているので、それを完全に覚えておけば概ね用は足りる。 ) 徳島を終えると、鹿児島県の鹿屋にある教育航空隊でやっとヘリコプターの訓練を受けます。 ここでは、まず単発のヘリコプターで基本操縦訓練を受け、次に双発の実用機課程へと進みます。 ヘリコプターの特徴は、何と言ってもホバリング(空中に静止すること)ですが、最初はなかなか一点に静止できず、というか、停まろうとする地点からむしろ振れ回ってしまう状況でした。 最初、小月で飛行機に乗った時と同じで、ヘリコプターの感覚の世界を経験したのでした。 2 部隊での勤務態様 実用機課程を卒業すると、部隊に勤務となります。 私が配置されたのは、当時(昭和51年)唯一のヘリコプターの艦載航空隊であった千葉県館山市にある第121航空隊でした。 この航空隊は、艦艇に搭載するヘリコプターの航空隊で、前述しましたように、夜はゆっくり休みたいという私の願望は見事に打ち砕かれ、夜昼関係ない勤務態様の部隊に勤務することになりました。 部隊に配置されて2年位は副操縦士(CO-PILOT;コ・パイロット)としての勤務です。 コ・パイロットの時期は毎日毎日が勉強の連続で胃が痛む日々です。 コ・パイロットはその技量により下から2PC、2PB及び2PAと分けられています。 2PBの後半くらいになると機長から指導を受ける回数はめっきり少なくなり、2PAになると自分が機をコントロールしていると勘違いする位のレベルになり、機長になるための訓練(1PTと呼称)も始まります。 何れにしてもコ・パイロット稼業は全般的に大変ですが楽しみもありました。 その一つは艦が港に入った時です。 艦が港に入港すると我先にと街に飛び出し、酒を飲みながら鬱憤を晴らしたものです。 艦載航空隊に所属していると外国に行く機会もあります。 任務で行く場合もあれば訓練の場合もあります。 私は、コ・パイロットの時に訓練でハワイに行きました。 訓練中は相変わらず大変でしたが入港中は結構ハワイを満喫しました。 ただ、英語には苦労しました。 最近の海上自衛隊ではそうではありませんが、当時(昭和53年)英語の出来る者は少なく、米軍からブリーフィングを受けても私を含めチンプンカンプンな者が多かったように思います。 ここで飛行中のコ・パイロットの心理状態について述べて見たいと思います。 個人差は相当あると思いますが、飛行中全身全霊を傾けて機を操っている機長の心理状態と異なりコ・パイロットはいたって飛行中醒めています。 パイロットは日頃部隊でどのような訓練をしているかといいますと、最も時間を割いているのは、海上自衛隊の最も重要な任務の1つである対潜水艦戦の訓練です。 この訓練は単機で、複数機で、或いは艦艇と一緒になって昼となく夜となく訓練を実施しています。 潜水艦を見つけ出し、見つけた潜水艦を追尾し最後に潜水艦を攻撃するという流れです。 他には、遭難者を見つけ出し救助する訓練、敵の艦艇や小目標を見つける訓練等を実施しています。 日頃の任務としては、都道府県知事等からの要請に基き実施する離島等からの救急患者の緊急輸送があります。 その他に、震度5以上の地震が起これば、各基地のヘリコプターは例なく緊急発進し情報収集等に当たっています。 各ヘリコプター基地では、これらの事態等に速やかに対応するため昼夜関係なく常時待機しています。 待機に指定された最初の頃は、何時緊急発進がかかるか、気が気ではなかったことを今でも覚えています。 3 艦載ヘリコプターの歩み 海上自衛隊で、それまでもっぱら陸上基地から運用されていたヘリコプターが艦艇に搭載されて運用されるようになったのは、昭和48年にヘリコプター搭載護衛艦DDH「はるな」が就役してからです。 ソマリア沖での海賊対処にしても、先のテロ特措法に基づくインド洋方面における洋上給油活動にしても、艦艇にとって搭載ヘリコプターは必須のビークルです。 ヘリコプターがいなければ、任務達成に支障が出るほどと評価されています。 ヘリコプターにとっても、もし艦載化されず、もっぱら陸上での運用であれば活躍の場がなく、今ほどの評価を得ていると考えられません。 このような艦艇と艦載ヘリコプターですが、お互いにとって必須のビークルであると認識されるまでには相当の期間が必要でした。 最大の要因は、艦艇とヘリコプターの文化(気質)の違いによるものと思っています。 自衛隊には、陸、海、空、自衛隊の気質を(自虐的に)表現した4字熟語(「陸上自衛隊:用意周到 動脈硬化」、「海上自衛隊:伝統墨守 唯我独尊」、「航空自衛隊:勇猛果敢 支離滅裂」)があります。 このようなことで、ヘリコプターが艦載されてから艦艇とヘリコプターが相思相愛になるまでには、相当の期間がかかりました。 当初はトータルでものを考えず自分達の都合を優先させて行動したように思われます。 お互いが痛い目に会って自分達の短所、長所を認め合い、如何にすれば効率的に任務を達成できるかという認識にいたって初めて融合された行動を取れるようになりました。 4 パイロットの勤務サイクル 航空学生を経てパイロットになった者は、海上自衛隊に入ってからその殆どをパイロットとして、或いは飛行に関係ある配置で勤務しますが、防大及び一般大学を経てパイロットになった者は、そうではありません。 教育航空隊を修業して配置された最初の部隊での勤務を除き、概ね2年サイクルでパイロットの配置とパイロットとは全く関係ない配置を繰り返します。 私の例を紹介しますと、教育航空隊を修業後初めて配置された部隊で4年、その後、艦艇部隊の研究開発部隊に2年、その後、パイロット配置に2年、後、学生に1年、後、パイロット配置に2年、後、海上幕僚監部に2年、と言う具合です。 最初の部隊が4年と長いのは、パイロットとしての技量を定着させるため一人前の機長になるまで転勤させないためです。 海上幕僚監部には、4回勤務しましたが、最初の仕事は予算、次が日米関係、3回目がOR(オペレーションリサーチ)関連、最後が監察でありました。 このように、ヘリコプターのパイロットになったとはいえ、海上自衛隊での業務は様々でありました。

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航空自衛隊パイロットに必要な視力

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自衛隊の「航空学生」とは? 「航空学生制度」とは、「海上自衛隊」や「航空自衛隊」に所属するパイロットを養成する制度です。 「自衛隊」のパイロットになると、いわゆる「戦闘機」などをはじめとした飛行機やヘリコプターの操縦を任され、日本の「平和」と「独立」を守る職務にあたります。 「航空学生」として入隊した時から「国家公務員特別職」として給料を受け取りながら訓練を受けることができます。 「航空学生」として入隊できる対象者は、高校卒業又は中等教育学校卒業者(卒業見込を含む)、高専3年修了者(修了見込を含む)及び、高校卒業と同等以上の学力があると認められる男女で、「航空学生」の試験に合格した者です。 試験に合格し、自衛隊に入隊した後は「航空学生」として、全員が学生宿舎で規則正しい団体生活を送りながら2年間の基礎教育を受け、その後飛行訓練を中心とした、それぞれの操縦課程に進む仕組みになっています。 「航空学生」になるには、「航空学生試験」を受験します 自衛隊の「航空学生」になるには、「航空学生試験」を受ける必要があります。 「航空学生試験」の応募資格は、「海上自衛隊」の場合が「海上自衛隊」の場合は高校卒者(卒業見込を含む)、または高専3年次修了者(修了見込を含む)などの18歳以上23歳未満の者、「航空自衛隊」の場合は学歴要件は同じですが、年齢要件は18歳以上21歳未満の者とされています。 「海上自衛隊」と「航空自衛隊」の「航空学生」はどちらも、男女ともに応募が可能です。 応募できる期間が他の公務員と比べて比較的短く、若い世代に限定されているため、年を重ねてから後からやっぱり「パイロットになりたかった!」ということは今の制度では叶いません。 幼い頃からヒーローや戦隊モノのアニメなどに憧れ、「自衛隊」の「パイロット」を目指しているという方もいると思います。 「航空学生」としてパイロットを目指す第一歩を踏み出すために、この短い応募期間にしか無いチャンスを活かし、後悔が無いように受験することをおすすめします。 「航空学生試験」の応募から受験の流れ 「航空学生」の試験は毎年7月頃に受験受付が開始され、9月に締め切りがあります。 試験は秋に行われます。 「航空学生」を受験するには、まず「志願票」という書類を提出する必要があります。 その後、「受験票」を提出することで、応募完了となります。 「航空学生試験」では、1次試験で筆記試験と適正検査、2次試験で口述試験と身体検査の一部、3次試験では海上自衛隊志望の「航空学生受験生」の場合は航空身体検査の一部、航空自衛隊志望の「航空学生受験生」の場合は操縦適性検査と、医学適性検査があります。 各試験ごとに合格者への通知と、地方協力本部での合格者掲示があり、3次試験まで通過するとようやく「航空学生」として合格が決まります。 「航空学生」の試験前に、「自衛官」に相談できるシステムも 「航空学生」に興味を持ったけれど、具体的にどのような訓練を受け、将来どのような職務に就くのかなど、より詳しいことを知りたいという受験生のために「自衛官」に相談できるシステムもあります。 「自衛隊」には「募集コールセンター」があり、年中無休で採用についての問い合わせを受け付けているので、家にいながら「航空学生」について問い合わせることができます。 また「自衛隊」の「地方協力本部」では、「航空学生」への応募から受験、自衛隊入隊後の待遇や、その後の取得資格など、さまざまな疑問に対して「自衛官」が丁寧に説明してくれるようですので、そちらもぜひ利用してみましょう。 「航空学生」になった後は? 晴れて「航空学生試験」に合格した後は、「海上自衛隊」と「航空自衛隊」それぞれの「航空学生」としての基礎訓練が控えています。 海上自衛隊の「航空学生」 「海上自衛隊航空学生」の場合は、まず山口県下関市にある「海上自衛隊小月教育航空隊」に入隊します。 ここでは4年間教育を受けますが、最初の2年が「航空学生課程」と呼ばれる基礎教育課程です。 その後、3年目からは「操縦士基礎課程」に進み、4年修了までには単独飛行からアクロバット飛行、編隊飛行ができるまでの基礎訓練などを受けます。 基礎訓練を終えると、「戦術航空士要員」は千葉県柏市にある下総航空基地での「航空士戦術課程」、「回転翼要員」は徳島県徳島市にある徳島航空基地と、鹿児島県鹿屋市にある鹿屋航空基地での「計器飛行(回転翼)課程」、「固定翼要員」は徳島航空基地と下総航空基地での「計器飛行(固定翼)課程」に進み、それぞれ訓練を積み国家資格の取得等を経て、一人前の「海上自衛隊」のパイロットとしての証である「海上自衛隊ウイングマーク」を支給され、認められるようです。 航空自衛隊の「航空学生」 「航空自衛隊航空学生」の場合は、山口県防府市にある防府北基地で2年間の基礎教育を受けます。 その後「飛行準備課程」に進み、約半年間で飛行訓練に必要な知識を学びます。 その後の「初級操縦課程」では静岡県浜松市の浜松基地か防府北基地で約半年間、最初の飛行訓練を受けます。 そして鳥取県境港市の美保基地や、福岡県遠賀郡の芦屋基地、宮崎県児湯郡の新田原基地、宮城県東松島市の松島基地、愛知県小牧市の小牧基地、そして浜松基地などでそれぞれ、「戦闘機要員」「輸送・救難機要員」に分かれ、必要な技術を身につける訓練があります。 各課程の中で国家資格の取得が必要であり、資格を取得すると、「航空自衛隊」のパイロットの証である「航空自衛隊ウイングマーク」が授与されます。 まとめ このページでは「航空自衛隊」や「海上自衛隊」のパイロットになるための訓練を受ける「航空学生」になるには、どうすればよいのかご紹介しました。 「航空学生」になるためには、「航空学生試験」に合格する必要があります。 「航空学生試験」を受ける前に現役の「自衛官」に直接質問できる方法もあるようですので、疑問がある方は思い切って質問してみましょう。 「航空学生」になるために注意したいのは、他の公務員などと比べて、受験できる年齢幅が狭いということです。 「自衛隊」のパイロットとして第一線で活躍するためには、多くの訓練が必要であり、そのためには時間や体力が不可欠です。 そのため、若い世代しか受験することができません。 「航空学生」は「国家公務員」としてパイロットを目指せる希少な立場です。 日本の平和のために働きたい方や、例えば「ブルーインパルス」などの戦闘機に憧れている方など動機は様々かと思いますが、気になった方はぜひ「航空学生」について調べてみてはいかがでしょうか。 mod. html.

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パイロットになる方法その5,防衛省・海上保安庁パイロット

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しかし、やろうと思えばいくらでもある。 飛行作業にかかわることを除いて、日課の円滑な進捗、各所の整備、隊員の士気高揚、規律の振粛、福利の向上などいろいろ工夫して担当者を動かすのも、なかなかに骨の折れる仕事である。 どこにも書いてないが、各種の体育競技会をどう戦うかも、副長の腕の見せ所である。 体育競技で勝つには、三つの要件がある。 まずベストのメンバーを選ぶ。 ほんとはあいつの方が良いんだが、あれにはあの仕事をやらせているから、などと言うのを見過ごしていては、勝てない。 本務はもちろん大事だが、万事やるなら徹底してやることである。 戦力は絶対に眠らせておかない。 次にそのメンバーに十分な練習を積ませる。 指導者の選定もそうだが、練習に打ち込める環境づくりも重要である。 仕事をカバーする態勢もそう、ユニフォームの準備、栄養剤の差し入れなど物の支援もそう、期待されているという意気込みとプレッシャーが良い結果を生む。 最後は応援態勢である。 サッカーは最もホームゲームの勝率が高いゲームだそうだが、それはサポーターと呼ばれるファンの熱烈な応援が作用している。 実力伯仲なら絶対に応援が熱心な方が勝つ。 だから、競技会当日は、応援者の動員と応援ムードの盛り上げにあの手この手を尽くす。 成功すれば、少しくらい格が上の相手からでも勝利をもぎ取れる。 それにこの応援による一体感は、本来の業務にも良い効果をもたらす。 私の笛が上手だったか、踊り手がうまかったか、この時期のわが一空は、サッカー、ハンドボール、ラグビー、水泳など、運動会を除くすべての競技で優勝をさらった。 ここ何年かまったく勝算のなかった種目も含めてである。 昭和六十年(一九八五年)十月二十三日、終生忘れられない痛恨の一大事が発生した。 そのとき、私は隊司令の杉山靖樹一佐(幹候一五期、防大八期)と一緒に、昼食を終わって食堂を出たところであった。 飛行当直士官が息を切らせて走って来た。 通報は事実であった。 基本操縦訓練を実施中、何らかの原因で高度が低下、宮崎県串間市の築島という小さな島に本土から架け渡した送電線に接触、海上に墜落したものであった。 目撃した付近の人たちがすぐさま舟を出して、二名のパイロットと同乗整備員の計三名全員を収容したものの、すでに死亡していたという。 遺体は物言わぬ姿で基地に戻って来た。 通夜の執行、葬儀の準備のかたわら、各部への報告、通報、機体の揚収作業、事故調査の支援など、忙しい作業が次から次へとのしかかってくる。 それでも基地を挙げての支援を受けて、しめやかなうちにも盛大に部隊葬をとり行なうことができた。 何より救われたのは、殉職した三人の隊員の遺族がみな、悲しみのうちにも冷静な対応を示されたことであった。 機長夫人はまだ幼い長男を抱え二人目の子供を妊娠中という状態で、愛する夫を突然失つた悲しみもさることながら、大黒柱に先立たれた心細さもひととおりではなかったはずである。 さらに偶然にも、三人が三人ともご両親にとってはかけがえのない跡取り息子、それを不慮の事故で失った心痛と失意も想像にあまりある。 それでいて取り乱すこともなく、かえって我々がねぎらわれる始末、頭が下がる思いであつた。 つい最近、この事故で殉職したコパイロットの妹さんが結婚された。 当時の群司令の伊藤達二元自衛艦隊司令官、司令だった現呉地方総監杉山靖樹海将、飛行隊長だった現海幕援護業務課長小西矩吉一佐の他、一、二の元一空隊員と一緒に浜松のホテルで行なわれた披露宴に出席してきた。 実は、あの後父上が病死されるという不幸があり、このお嬢さんには早く幸福な結婚を、と関係の隊員みな等しく願っていたところだったので、美しい花嫁さんに一同目をうるませて喜んだことであった。 他のご遺族共々の健康で幸せな日々を願って止まない。

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