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木村 屋 総 本店

株式会社 木村屋總本店 代表取締役社長 木村光伯さん 2001年、学習院大学経営学科卒業後、家業である木村屋總本店に入社。 02年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパン作りを本格的に学ぶ。 05年に取締役、06年に常務取締役に就任。 同年、7代目社長となる。 4期連続赤字状態で7代目を引き継ぐ 河合聡一郎さん(以下、河合): 木村屋總本店といえば、あんぱんやジャムパンの発明に代表されるように、日本に「パン」という新しい食文化をもたらした草分けというイメージがあります。 会社は創業以来、創業家の方々が代々事業承継されていますが、木村さんご自身も幼少期から「いつかは社長になる」と思っていたのでしょうか? 木村光伯さん(以下、木村): 学生時代から父から「会社に入れ」と言われていたこともあって、いつかは会社を継ぐだろうと意識はしていました。 私自身も、学生時代からアルバイトで木村屋の工場で製造ラインに立って、その当時から現場の人には可愛がってもらいました。 そのまま大学卒業後に木村屋總本店に入社して、5年後に社長に就任しました。 河合: 木村さんは他社を経験しておらず、キャリアとしてはいわば木村屋一筋です。 もちろん経営者としての経験も初めてだと思いますが、社長としての心構えはどのようにして身につけていったのでしょうか? 木村: 就任当初は社長になった実感もないまま、というのが正直なところです。 当時会社は4期連続で赤字が続いている状況。 現場でパン作りの経験を積むことにも興味はありましたが、まずはいかに業績を回復させるかが急務でした。 私の場合、まずたくさんの先輩経営者の方々にアドバイスを聞いてまわりました。 その時に教わったことがやはり「社長としての心構え」が大切だということ。 例えば、 日本製粉の澤田浩会長からは「覚悟と心構え。 自分で軸を持ちなさい」というアドバイス をいただきました。 アサヒビールの故中條高徳さんからは自分一人でも行いを慎む「慎独」という言葉を 教えてもらいました。 この2つの言葉は今でもとても大事にしています。 河合: 家業は創業150年という歴史を持つ老舗企業。 そんななかで、就任早々に経営再建という重要な課題を任される。 重責を背負うことに対してプレッシャーはなかったのでしょうか。 木村: その当時はプレッシャーよりも、会社を建て直すことへの使命感の方が強かったかもしれません。 代々受け継がれてきた歴史をここで止めるわけにはいかない。 工場閉鎖やリストラなど、苦しい経営判断を下さなければならない局面もありましたが、その思いがあったからこそやって来られたように思います。 河合: その後、経営改革を経て黒字回復を果たされました。 組織に関してはどのような取り組みを行ってきたのでしょうか。 木村:黒字化した頃に社内でアンケートを実施しました。 すると驚くことに、社員からは「将来の展望が見えない」といったネガティブな回答が多く寄せられた んです。 業績が回復して「さあこれからだ」と思っていたら、大切な社員が疲弊してしまっていた。 マイナスをゼロにするよりも、ゼロからイチを生み出すことの方が難しい。 経営者としてのプレシャーを感じ始めるようになったのはこの頃からです。 社員一人ひとりがやりがいを感じられる職場にしなければならない。 そう考えるようになりました。 社員のモチベーションを引き出す「食で感動を繋ぐ」.

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福永暢彦・木村屋総本店副社長:1968年生まれ、滋賀県出身。 神戸大学経営学部卒業後、大手生命保険会社、業務改革コンサルティング会社にてキャリアを積む。 2011年1月より、株式会社企業再生支援機構にて、中堅印刷メーカーの再生に構造改革責任者(CRO)として従事し、再生経営者としてのキャリアをスタートさせる。 13年4月より、株式会社経営共創基盤に参画し株式会社木村屋総本店に経営者として派遣され、13年10月に代表取締役副社長に就任。 17年4月に株式会社木村屋総本店に転籍する。 「強みのある領域にフォーカスする」「仕組み・基準・手順に基づいて行動する」ことを信念とし、創業149年老舗企業の一層の発展に取組中。 明治の初めに創業した老舗、 木村屋総本店副社長の福永暢彦氏は、外部から送り込まれた経営者だ。 従来のやり方に慣れ親しんだ社員たちや業界慣習と向かい合い、この老舗を見事によみがえらせた。 回復フェーズを通過し、成長フェーズをうかがう福永氏に、これまでの苦闘とこれからの展望、戦略を聞いた。 福永暢彦氏(以下、福永) 木村屋というと東京・銀座4丁目にある、あんぱんで有名な銀座木村家が知られていますが、木村屋総本店と同じルーツの別の法人であり、事業内容や主力の商品なども異なっています。 福永 木村屋総本店のスーパー・ コンビニエンスストア向けの事業では、袋パン向けに独自に開発設計したあんぱんを、埼玉と千葉にある工場で製造しています。 当然、あんぱんの老舗をルーツとする企業として、こだわりの生地とこだわりの餡を使用した、大手メーカーとは差別化した袋パンのあんぱんです。 福永 木村屋総本店には、デパートなどで伝統的なあんぱんを中心に販売している「直営店事業」と、袋パンを製造・販売している「スーパー・コンビニ向け事業」に大きく分かれており、後者が売上全体の80%を占めています。 外から来てみてパン業界の難しさは、どのようなところでしょうか。 福永 一番の特徴は日配(にっぱい)業だということですね。 前日までに受注した一定のボリュームを、翌日の決められた時間までにはスーパーやコンビニの店舗に届けなければなりません。 物流は時間がタイトで待ったなしの状態であり、受注から納品までのリードタイムが短く生産計画がとても立てにくい状況にあります。 袋パンの場合、消費者が製造メーカーを認識しづらいほど類似品が溢れかえっていて、パンメーカーは数が多いので競争が激甚です。 近年、コンビニ向けにはパン専業ではない食品メーカーがパンを提供したりして、新規プレーヤーの参入も続いています。 もうひとつ特徴を挙げると、小売りの力がとても強い、言い換えると、メーカーサイドの提案力がとても弱いということです。

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あんぱん有名な木村屋総本店、袋パン事業が「捨てる経営」でV字回復

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株式会社 木村屋總本店 代表取締役社長 木村光伯さん 2001年、学習院大学経営学科卒業後、家業である木村屋總本店に入社。 02年に日本パン学校で、翌年にはアメリカに留学してパン作りを本格的に学ぶ。 05年に取締役、06年に常務取締役に就任。 同年、7代目社長となる。 4期連続赤字状態で7代目を引き継ぐ 河合聡一郎さん(以下、河合): 木村屋總本店といえば、あんぱんやジャムパンの発明に代表されるように、日本に「パン」という新しい食文化をもたらした草分けというイメージがあります。 会社は創業以来、創業家の方々が代々事業承継されていますが、木村さんご自身も幼少期から「いつかは社長になる」と思っていたのでしょうか? 木村光伯さん(以下、木村): 学生時代から父から「会社に入れ」と言われていたこともあって、いつかは会社を継ぐだろうと意識はしていました。 私自身も、学生時代からアルバイトで木村屋の工場で製造ラインに立って、その当時から現場の人には可愛がってもらいました。 そのまま大学卒業後に木村屋總本店に入社して、5年後に社長に就任しました。 河合: 木村さんは他社を経験しておらず、キャリアとしてはいわば木村屋一筋です。 もちろん経営者としての経験も初めてだと思いますが、社長としての心構えはどのようにして身につけていったのでしょうか? 木村: 就任当初は社長になった実感もないまま、というのが正直なところです。 当時会社は4期連続で赤字が続いている状況。 現場でパン作りの経験を積むことにも興味はありましたが、まずはいかに業績を回復させるかが急務でした。 私の場合、まずたくさんの先輩経営者の方々にアドバイスを聞いてまわりました。 その時に教わったことがやはり「社長としての心構え」が大切だということ。 例えば、 日本製粉の澤田浩会長からは「覚悟と心構え。 自分で軸を持ちなさい」というアドバイス をいただきました。 アサヒビールの故中條高徳さんからは自分一人でも行いを慎む「慎独」という言葉を 教えてもらいました。 この2つの言葉は今でもとても大事にしています。 河合: 家業は創業150年という歴史を持つ老舗企業。 そんななかで、就任早々に経営再建という重要な課題を任される。 重責を背負うことに対してプレッシャーはなかったのでしょうか。 木村: その当時はプレッシャーよりも、会社を建て直すことへの使命感の方が強かったかもしれません。 代々受け継がれてきた歴史をここで止めるわけにはいかない。 工場閉鎖やリストラなど、苦しい経営判断を下さなければならない局面もありましたが、その思いがあったからこそやって来られたように思います。 河合: その後、経営改革を経て黒字回復を果たされました。 組織に関してはどのような取り組みを行ってきたのでしょうか。 木村:黒字化した頃に社内でアンケートを実施しました。 すると驚くことに、社員からは「将来の展望が見えない」といったネガティブな回答が多く寄せられた んです。 業績が回復して「さあこれからだ」と思っていたら、大切な社員が疲弊してしまっていた。 マイナスをゼロにするよりも、ゼロからイチを生み出すことの方が難しい。 経営者としてのプレシャーを感じ始めるようになったのはこの頃からです。 社員一人ひとりがやりがいを感じられる職場にしなければならない。 そう考えるようになりました。 社員のモチベーションを引き出す「食で感動を繋ぐ」.

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