バッハ ピアノ 協奏曲。 ♪J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052 / アンドラーシュ・シフ(ピアノ、指揮)ヨーロッパ室内管弦楽団 1989年1月

♪J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052 / アンドラーシュ・シフ(ピアノ、指揮)ヨーロッパ室内管弦楽団 1989年1月

バッハ ピアノ 協奏曲

の素晴らしいところは沢山あるが、何年も続けて聴くことができるのは、本当に優れた点だと思う。 5年前や10年前に死ぬほど繰り返して聴いた曲でも、5年や10年経っても平気でずっと聴き続けている。 指揮者やオーケストラ、演奏者によっても全然違ってくるし、聴き飽きたと思った曲も、生で聴いたら発見がある。 そんなわけで、来る日も来る日もを聴いている。 最近はなぜかバッハを聴いている。 バッハの音楽は一言でいうと「崇高」だ。 バッハにとって音楽とは、楽しみのためのものではなくて、祈りや信仰である。 その形は、科学に近く、バッハにとって曲を書くことは、真理への探究の道であったのかもしれない。 私は楽しみとして聴いているが、バッハとしては自分の音楽が楽しみとして聴かれる時代が来るなんて想像できなかったことかもしれない。 ピアノ協奏曲第1番は、を聴きはじめた頃からずっと聴き続けている曲で、私が持っているCDはそれほど多くないが、同じCDを繰り返し聴いている。 全然、飽きない。 冒頭、オーケストラとが一緒にいなってテーマを奏でる部分はとても壮麗だ。 楽章を通して登場するこのテーマに心を打たれる。 後世のピアノ協奏曲に比べると原始的ともいえるも、古さよりは雰囲気を感じさせる。 第2楽章は緩徐楽章で悲しさや寂しさよりも厳しさを感じる。 とても格調が高い。 第3楽章は第1楽章を思い出させるような気高いものだ。 の演奏も素晴らしい。 色彩が豊かというわけでも、テクニカルというわけでもないが、とても印象的な演奏だ。 タッチは硬めで遊びがなく、ゴツゴツとしており、まるで石造りの教会のようだ。 まるでグールドみたいに叩きつけるようなタッチで、思いのたけをぶつけるような力強い演奏である。 何が彼女をバッハに駆り立てるのだろう。 感動的な名演だ。 またこのCD自体が、一貫したコンセプトで貫かれていて(からのとフーガでピアノ協奏曲を挟み、後半はやリスト、による編曲へと至る)、彼女の独特のプログラミングのセンスを感じる内容である。

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バッハ イタリア協奏曲:ピアノがピアノを超えるとき

バッハ ピアノ 協奏曲

バッハ イタリア協奏曲 BWV971 バッハのクラヴィーア練習曲集第2巻に収録されているこの曲は、「ゴルトベルク変奏曲」と並んで、おそらく最も人気の高いバッハのクラヴィーア作品 またはピアノ作品 に違いない。 協奏曲と名が付いているが鍵盤楽器ソロの曲だ。 少し楽曲について解説したら、僕はなぜこの曲がこんなに人気になったかについて語りたいと思う。 譜面だけで言えば難易度としてはそれほど超絶技巧が必要なものではなく、バッハをある程度弾けるようになれば誰でもさらうことができるというのも程よくていいところ。 実際にバッハはそれに応じて多くのイタリアの協奏曲を鍵盤用に編曲した。 この「イタリア協奏曲」は、そうした過去のアレンジの経験を活かし、今度はバッハのオリジナルの主題で、独奏部と合奏部による掛け合いを鍵盤が2段あるチェンバロを使って表現する「ひとりコンチェルト」を実現させたものだ。 独奏部には「フォルテ」、合奏部には「ピアノ」と強弱記号を付けて表現している。 今では別に強弱記号など普通のことだが、この頃の作曲家は後の作曲家ほどしっかりと強弱記号を書き込むことなどなかったので珍しいことなのだ。 ではなぜこの曲はこんなに人気なのか。 まず1つは、この曲の持つ「それほど色濃くないイタリア風」という要素を挙げることができるだろう。 もちろん協奏曲というスタイル自体がイタリア風なのはそうだし、第1楽章が急、第2楽章が緩、第3楽章が急という急緩急の3楽章構成という伝統的な協奏曲の様式は採用されているのだが、曲調そのものはというと、それこそヴィヴァルディでも誰でも良いのだが、あの陽気なイタリアンミュージックと比較すると、やはり相当真面目である。 よくバッハは固いと言われるが、その固さを少し和らげるようなイタリア風の曲調という絶妙なブレンド感が、バッハらしい格調高さプラス歌うような旋律の混在という形で現れている。 もっとイタリア寄りでも、もっとバッハ寄りでも、こうはならなかったのではないか。 そして何より、この曲の人気を支えるのは、「ピアノという楽器の魅力を最大限に引き出すことができる」という事実だろう。 当然、バッハが作曲した頃はチェンバロで弾くことを想定しているので、チェンバロで弾くのがスタンダードだと言って良いのだが、僕はこんなにも「ピアノがピアノを超える」ことを理解させてくれる曲もそうそうないんじゃないかと思ってしまう。 チェンバロで弾くか、ハンマークラヴィーアで弾くか、1840年製プレイエルで弾くかというのは喫緊の課題ではなく、その曲が潜在的に持っている響きを明らかにすることがよりいっそう重要なのだ。 ダイナミクスも色彩も拡張しているモダンピアノはそういうことができる。 だからピアニストはオーケストラや声楽や室内楽にもっと精通しなければならない。 そういう修行を積めば、イタリア協奏曲の1楽章でソロとトゥッティのあるオーケストラ音楽として弾くこともできるし、2楽章をオーボエと通奏低音のアリアとして弾けるし、3楽章は今回はチェンバロとして弾くぞ、ということもできるのだ。 全くもっておっしゃる通りであり、そういうことが可能なのがモダンピアノという楽器であることを多くの人に信じていただきたい。 古楽的に、歴史と事実をもとにこの曲を紐解いていけば、チェンバロでひとりコンチェルトができて面白いねというところ止まりだと思う。 それはそれで面白い 興味深いと言い直しましょうか し、チェンバロの名演もたくさんあるので否定するつもりはまったくない。 僕も結構聴く。 ただ、バッハの時代には存在していなかったモダンピアノの無限の可能性と、この曲の持つ潜在的な響きの豊富さがまさに共鳴しあったからこそ、名曲として歴史に名を残すことになったのだと声を大にして言いたい。 もひとつおまけに、だからこそグールドのあの名演も生まれることができたのだ、と。 お気軽にフォローしてください! 人気記事• カテゴリー• 3 アーカイブ アーカイブ.

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チェンバロ協奏曲 (バッハ)

バッハ ピアノ 協奏曲

歴史 [ ] 期を通じて、は非常に重要なジャンルであった。 そのため、当時の鍵盤楽器の代表格であったチェンバロのための協奏曲も多く作曲されることとなる。 特にのものは有名である。 これらのは現在ではしばしばでなくで演奏されることがある。 バッハのチェンバロ協奏曲は弟子の指導用に書かれたと考えられている。 バロック期においてはまだハンマー式の鍵盤楽器()は発展途上にあり、独奏楽器としての使用には必ずしも耐えうるものではなかったが、やがてになるとかなり質のよいピアノが作られるようになり、作曲家達はこの楽器のための協奏曲も作曲するようになった。 これはちょうどの時代と一致し、主としてらの手によって、ピアノ協奏曲はさまざまな方面からそのあらゆる可能性が追求されることとなった。 モーツァルトは27のピアノ協奏曲を作曲し、それを自分自身で演奏した。 またこの時代の鍵盤楽器の名手達も自作自演用に多くのピアノ協奏曲を作曲している。 その代表格として挙げられるのがであり、全部で5曲のピアノ協奏曲を作曲している。 とくに4番、5番は非常に優れている。 また、それ以降の時代にも、、、、、、といった大が重要な作品を作曲している。 そのほか、ややマイナーな部類に属するが、やらの作品も比較的知られている。 ピアノの名手に限らず、いろいろな作曲家がこのジャンルにおいて作品を残している。 そのなかでよく知られているものとしては、、らの作品が有名である。 また、演奏機会は少ないものの、も極めて優れた作品を残している。 これらの作品は現在は不朽の名作として扱われているが、オーケストレーションを他人に任すことの多かった19世紀においてはこのような作品は価値が低く見られていた。 初演が一回きりで捨てられたのピアノ協奏曲は、とても退屈で、二流の陳列品だと批判された。 しかしこれらの作品は、ピアニスト達が作曲してヨーロッパやアメリカ各地で自ら演奏して歩いた「一時的な演奏効果」をねらったような作品とは異なり、音楽の「内容」を豊かに含んでいたため、とくに形式面において、「正統的な」作曲家達によって継承されていった。 その軌跡がHyperion社の膨大なリリースによって確認されたのは20世紀末の話である。 ピアノ協奏曲は20世紀においても重要なジャンルであり、21世紀になってからも作られている。 20世紀以降のピアノ協奏曲としては、、、、、、、、、、らの作品が知られている。 ピアニストから委嘱されることによってピアノ協奏曲が作曲されることもある。 とくに有名なのがピアニストのの例である。 ウィトゲンシュタインはで右手を失い、ピアニストとしての生命が途絶えそうになる危機が訪れたが、このときウィトゲンシュタインは知りうる限りの作曲家に声をかけ、左手のみで演奏できるピアノ曲の作曲を委嘱した。 この委嘱により、、、、、、、がを作曲した。 またこれ以後も何人かの作曲家はこのスタイルによるピアノ協奏曲の作曲を試みるようになり、やがて「左手のためのピアノ協奏曲」はピアノ協奏曲のひとつのジャンルとして確立されるに至った。 はこれを発展させて「三手のためのピアノ協奏曲」 一人が片手しかひかない を生み出している。 20世紀後半は必ずしも両者が協奏関係にあることを重視しないため「ピアノ協奏曲」とは明記せず、「ピアノとオーケストラのための作品」と断り書きを入れられることも増加した。 この種の作品ではピアノがを披露することが省略されたりする。 のようにとを組み合わせる作品もある。 伴奏がオーケストラとは限らない作品もある。 複数の奏者によるピアノ協奏曲 [ ] 複数の奏者による鍵盤楽器のための協奏曲としては、バロック時代にバッハによる2・3・4台のチェンバロのために書いた一連の協奏曲の例があるが、古典時代になるとモーツァルトらにより2台や3台のピアノによる協奏曲が作曲され、ロマン派の時代にはメンデルスゾーンらが作曲を試みた。 は、のための協奏曲を作曲しており、現在も演奏の機会がある。 20世紀には、ヴォーン=ウィリアムズ、プーランク、ブリスなどが2台用の協奏曲を作曲している。 形式 [ ] 古典的なピアノ協奏曲は、協奏曲の形式にのっとって、3つの楽章から構成される。 ソナタ形式による速い第1楽章。 管弦楽による前奏、ソロパートから展開・再現部を経て、コーダへ至る。 「」と呼ばれている。 緩徐楽章• によることが原則。 モーツァルトやベートーヴェンは、この形式にのっとって作曲している。 一方、リストののように、さまざまな形式の追求もなされている。 作曲家とその作品 [ ] (生年順)• 1740年 - 6曲• 1754年 - 1曲• 1756年 - 30曲(, , , , , , , , , , )、三つのピアノ協奏曲K. 107。 1760年 - 15曲• 1770年 - 6曲(, , , , , の編曲, 5番は特に「皇帝」として有名)• 1778年 - 8曲 , , +コンチェルティーノ1曲、協奏的作品多数• 1782年 - 7曲• 1784年 - 8曲• 1786年 - 2曲(、)、• 1794年 - 8曲• 1809年 - 5曲(, , , 2台のピアノのための:ホ長調, 変イ長調)• 1810年 - 生前に公表できたものは4曲。 ()、コンチェルトシュトルックのピアノとオーケストラのための改訂版、ピアノとオーケストラのための序奏とアレグロ・アパッショナート、ピアノとオーケストラのための序奏と協奏的アレグロ。 このほか、ピアノとオーケストラのための協奏的楽章ニ短調を含む未完の断片が複数ある。 1810年 - 2曲(, )• 1811年 - 3曲• 1811年 - 2曲(, )、他に、遺作の協奏曲など• 1819年 -• 1823年 - 1曲• 1823年 - 2曲• 1824年 - 4曲• 1829年 - 6曲(, , 3, , 5,ピアノとオーケストラのための幻想曲Op. 84)• 1833年 - 2曲(, )• 1835年 - 5曲(, , , , )• 1836年 - 1曲• 1840年 - 3曲(, , ,第1番が特に有名)、他に• 1841年 - 1曲• 1841年 -• 1842年 - 1曲• 1843年 -• 1844年 -• 1850年 - 4曲(, , , )• 1852年 - 2曲(, )• 1854年 - 2曲 1,• 1856年 -• 1856年 - 2曲• 1859年 -2曲 1, , 他に• 1860年 - 1曲• 1860年 -• 1860年 - 2曲 1, 2• 1861年 -• 1862年 -• 1862年 -• 1863年 - 1曲• 1864年 - 2曲• 1865年 - 2曲 , 2• 1866年 -• 1867年 -• 1869年 -• 1869年 - 1曲• 1870年 - 2曲(, )• 1871年 - 2曲(1, )• 1872年 - 、他に• 1872年 - 1曲• 1872年 - 1曲• 1872年 - 後に、に改作• 1873年 - 4曲(, , , 、他に• 1874年 -• 1874年 - 2曲 2 左手 、他に の主題による2つの協奏的• 1875年 - 2曲(, )• 1876年 -• 1877年 - 2曲+変奏曲1曲• 1877年 - 3曲 2 左手 , 3「苦悩を通って永光へ」 、 他にロシア狂詩曲• 1878年 - 5曲• 1879年 -• 1879年 -• 1879年 -• 1880年 - 3曲 , ,• 1881年 - 1曲, 他に狂詩曲や、左手のためのピアノ協奏曲• 1881年 - 3曲(, , )、 他に2台のピアノと打楽器のための協奏曲 の編曲版• 1882年 - 2曲• 1882年 -• 1886年 -• 1887年 - 1曲• 1887年 - 5曲• 1890年 - 1曲• 1890年 - 2曲• 1890年 - 5曲()• 1891年 - 5曲(, , , , )• 1892年 -• 1892年 - 5曲• 1892年 - 8曲+ピアノ独奏付きの巨大な管弦楽作品が3曲• 1896年 - 1曲• 1897年 -• 1897年 - 2曲 参照• 1898年 - 、他に• 1899年 - 6曲• 1899年 - 、他に• 1900年 -• 1901年 - 1曲• 1903年 - 、他に• 1904年 - 4曲(, , , )• 1904年 - 2曲(, )• 1905年 -• 1905年 -• 1906年 - 2曲(, )• 1907年 - 3曲(,)• 1907年 - 1曲• 1908年 -• 1908年 - 5曲。 ピアノとオーケストラのためのピアノ協奏曲、ピアノと室内オーケストラのためのダイアローグス、弾き振り出来る指揮者兼ピアニストとオーケストラのためのサウンディングス、ピアノとオーケストラのためのインターヴェンションズ、ピアノと室内オーケストラのためのダイアローグス II• 1910年 - 1曲• 1910年 -• 1912年 - 1曲 1936年• 1913年 -• 1913年 - 1曲• 1913年 - 、他に• 1914年 - 1曲• 1916年 - 2曲• 1922年 - 、、• 1923年 -• 1928年 -• 1928年 - 3曲• 1929年 - 4曲• 1929年 - 存在が判明しているもののみ「四つの楽章」、「Azione a Due」、「ピアノ協奏曲」、「Mare」、「Experimenta」、「ピアノ協奏曲第3番」、 「BlueS V」、「ピアノ協奏曲第4番」、「BlueS VI」、「ピアノ協奏曲第5番」、 「BlueS VII」、「ピアノ協奏曲第6番」、「BlueS VIII」、「ピアノ協奏曲第7番」の合計で14曲。 1929年 - 、この曲の前、未公開に終わった作品 が一曲ある。 1930年 - コンチェルト・フォー・マイセルフ• 1930年 - 「アーク」「アステリズム」「リヴァラン」「夢の引用」(2台ピアノとオーケストラ)• 1933年 -• 1935年 - 「終結音」• 1937年 - 1曲()• 1938年 - 3曲• 1940年 - 2曲• 1944年 - 1曲• 1945年 - 4曲。 ピアノ協奏曲第0番、第1番、第2番、キアロスクーロ 初版と改訂版の二つの稿がある• 1946年 - 番号付けされたものが7曲、Marcel Duchamp, the Picabias and Apollinaire attend a performance of Impressions d'Afrique 1999— 2000 を含めて8曲。 ただし、4番と6番のみソロ用のためこのカテゴリーには6曲。 1953年 - 6曲 第一番、第二番、流れ-闇の訪れたあとに、シャーマン、星の鏡、ヴィシュヌの臍• 1960年 - 3曲(連弾ピアノとオーケストラのための1曲を含む)• 1960年 - 3曲• 1971年 - 1曲• 1972年 - 「リフレックス」• 1977年 - 「白と黒」• 1982年 - 「水玉コレクション」 初版と改訂版の二つの稿がある 脚注 [ ].

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