あわれなる 意味。 哀れ(あわれ)の意味

仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。

あわれなる 意味

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある 『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、 『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。 参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます) 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) [古文・原文] 40段 虫は鈴虫。 ひぐらし。 蟋蟀(きりぎりす)。 はたおり。 われから。 ひをむし。 蓑虫、いとあはれなり。 鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。 侍てよ」と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。 額づき虫(ぬかずきむし)、またあはれなり。 さる心地に道心おこして、つきありくらむよ。 思ひかけず、暗き所などにほとめきありきたるこそ、をかしけれ。 蝿こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬なきものはあれ。 人々しう、かたきなどにすべき物の大きさにはあらねど、秋など、ただ萬(よろづ)の物に居(ゐ)、顔などに濡れ足して居るなどよ。 人の名につきたる、いとうとまし。 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。 火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。 蟻はいとにくけれど、軽び(かろび)いみじうて、水の上などをただ歩みにありくこそ、をかしけれ。 [現代語訳] 40段 虫は鈴虫。 ひぐらし。 こおろぎ。 キリギリス。 われから。 ひおむし(カゲロウ)。 蓑虫は、哀れである。 鬼の生ませた子なので、親に似てこの子にも(人を襲い食らうような)恐ろしい本性があるだろうと思われて、女親が粗末な着物を引き寄せて、「今に秋風の吹く季節になります。 迎えに行くので待っていなさい」と言い残してどこかへ逃げ去っていったのも知らず、秋風の音を聞いてそれと知って、八月の頃になると、「お父さん、お父さん」と儚げな声で鳴いているのが、とても哀れである。 額づき虫、これも哀れな虫である。 そのような小さな体で仏教の修行をしたいという気持ちを起こし、頭をいつも地面に付けて歩くという修行(常不軽の礼拝の行)をしているとは。 思いがけず、暗い所でホトホトと頭を地面に付けて歩いている姿は面白い。 蝿こそは、憎いものの中に入れるべきもので、こんなに可愛らしさのないものはない。 人と同じようにして、目の敵にするほどの大きさはないのだが、秋などは、あらゆるものの上に止まり、人の顔などにも湿った足で止まるのだ。 人の名前に蝿と付いているのは、本当に疎ましい。 夏虫は、とても趣きがあって可愛らしい。 火を近くに寄せて物語などを読んでいると、本の上などを飛び回っているのがとても趣きがある。 蟻はとても憎らしいものだが、非常に身軽であり水の上でも歩けるというのは、面白いものだ。

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梁塵秘抄

あわれなる 意味

スポンサーリンク 源実朝の和歌 20首 秋ちかく なるしるしにや玉だれ のこすの間とほし風のすずしき 【現代語訳】 秋が近くなった印だろうか、小簾 こす、おす の間を通ってくる風の涼しいこと 【補足】「玉だれの」は「こす」にかかる枕詞です。 秋はいぬ 風に木の葉は散りはてて 山さびしかる冬は来にけり 【現代語訳】 秋は去ってしまった。 風で木の葉は散り果てて、山も寂しげになる冬がやってきた 天の原 ふりさけみれば月きよみ 秋の夜いたく更けにけるかな 【現代語訳】 天を仰いで見ると月が清らかで、秋の夜がひどく更けてしまったなあ 【補足】安倍仲麿 あべの なかまろ の次の歌が思い起こされます。 天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出 いで し月かも 出でていなば 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ春を忘るな 【現代語訳】 私が 出て行ったならば主 ぬし のない家となってしまうとしても、軒端 のきば の梅よ、春を忘れるな 【補足】実朝が暗殺された日、参拝に鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう へ行く直前に詠んだ歌です。 そのため、吾妻鏡 あづまかがみ=鎌倉時代に成立した歴史書 では「禁忌の和歌」とされています。 この歌からは、菅原道真 すがわらのみちざね のものが思い浮かびます。 こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ 神といひ 仏といふも世の中の 人の心のほかのものかは 【現代語訳】 神と言ったり仏と言ったりするものは、世の中の人の心以外のものだろうか いやそうではない 昨日まで 花の散るをぞ惜しみこし 夢かうつつか夏も暮れにけり 【現代語訳】 昨日まで花の散るのを惜しんできて、夢かうつつ =現実 か夏も暮れてしまった 暮れかかる 夕べの空をながむれば 木 こ 高き山に秋風ぞ吹く 【現代語訳】 暮れかかっている夕方の空を眺めると、木が高くそびえる山に秋風が吹いている 木のもとに 宿りをすれば片しきの 我が衣手に花はちりつつ 【現代語訳】 木の下にとどまっていると、片敷 かたしき の私の袖に花が散り続けて… 【補足】片敷とは、片方の袖を体の下に敷いて横になることをいいます。 今朝みれば 山もかすみて久方の 天の原より春は来にけり 【現代語訳】 今朝見ると山も霞んでいて、広々とした大空から春は来たのだなあ 【補足】「久方の ひさかたの 」は「天 あま 」にかかる枕詞 まくらことば です。 天の原 あまのはら は「大空、天空」の他に「 神々がいる 天上界」の意味も持ちます。 月をのみ あはれと思ふをさ夜ふけて 深山がくれに鹿ぞ鳴くなる 【現代語訳】 月だけを趣 おもむき があると思っていると、山奥深くに隠れて鹿が鳴く スポンサーリンク 時により すぐれば民のなげきなり 八大龍王雨やめたまへ 【現代語訳】 時によっては 度が 過ぎると民の嘆きとなる。 八大龍王よ、雨を止めたまえ 【補足】八大龍王 はちだいりゅうおう は、古くから雨乞いの神様として祀られてきました。 ながむれば 吹く風すずし三輪の山 杉の木ずゑを出づる月影 【現代語訳】 眺めれば吹く風が涼しい三輪の山。 杉の梢 こずえ がら出てくる月… ながめつつ 思ふもかなし帰る雁 ゆくらんかたの夕暮の空 【現代語訳】 眺めながら思いを寄せるのも哀しい、雁が帰る方角の夕暮れの空 萩の花 くれぐれまでもありつるが 月いでて見るになきがはかなさ 【現代語訳】 萩の花が日が暮れる頃まであったけれど、月が出て から 見ると無くなっているというはかなさ 春すぎて いくかもあらねど我がやどの 池の藤波うつろひにけり 【現代語訳】 春が過ぎ去って幾日にもならないけれど、私の家の池の藤の花は散ってしまった 吹く風の すずしくもあるかおのづから 山の蝉鳴きて秋は来にけり 【現代語訳】 吹く風がすずしくもあるか、いつのまにか山の蝉が鳴いて、秋が来たのだなあ ほととぎす 聞けどもあかず橘の 花ちる里の五月雨のころ 【現代語訳】 ほととぎす の鳴き声 は聞いていても飽きない、橘 たちばな の花が散る里の五月雨 さみだれ が降るころに 水たまる 池のつつみのさし柳 この春雨にもえ出でにけり 【現代語訳】 池の堤 つつみ に挿木 さしき した柳が、この春雨で芽ぐんできた 【補足】「水たまる」は「池」にかかる枕詞です。 物いはぬ 四方 よも のけだものすらだにも あはれなるかなや親の子を思ふ 【現代語訳】 物を言わないあちこちにいる獣でさえも、いとしいものだなあ、親が子を思うのは 【補足】四方は東西南北、前後左右方向を示していて、。 「あちらこちら、いたる所」という意味でも使われます。 我が心 いかにせよとか山吹の うつろふ花に嵐たつらむ 【現代語訳】 私の心をどうせよというのか、散りゆく山吹花に嵐が起きるのは 関 連 ペ ー ジ 次のページには実朝の歌も一首あり、他も和歌を代表する傑作ぞろいですので是非鑑賞してみて下さい。

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助動詞「べし」の練習問題

あわれなる 意味

次の文章は、『大和物語』の一話である。 女が、生活に困って別れた夫を探しに、かつて住んでいた難波 なにわ へ出かけた場面である。 これを読んで、後の問題に答えなさい。 車をやらせつつ家のありしわたりを見るに、屋もなし、人もなし。 「いづ方へ往にけむ」とかなしう思ひけり。 これが顔を見るに、その人と言ふべくもあらず、いみじきさまなれど、わが男に似たり。 なお、同じものを選んでもよい。 ア あないみじ、犬を二人して打ち給ふ。 死ぬ べし。 イ 毎度ただ得失なく、この一矢に定む べし、と思へ。 ウ 道の程のをかしうあはれなること、言ひつくす べくもあらず。 エ 頼朝が首をはねて、わが墓の前に掛く べし。 オ 憂へ給ふなかれ、必ず救ひ参らす べし。 「べき」の後ろに否定表現の「なし」がありますので 、「べき」は可能の意味になります。 「べき」の前にある「さす」は「~させる」という意味の使役の助動詞です。 「たづね」は、「探す」という意味のナ行下二段動詞です。 ここの文章の現代語訳は「 探させることができる方法もない」になります。 「べし」の前に「ぬ」があります。 この「ぬ」は強意(確述)の助動詞で、「ぬべし」で、「 きっと~だろう」と訳します。 よく出てくる表現ですので、覚えておきましょう。 「べし」は推量(~だろう)の意味になります。 次に、それぞれの選択肢を見ていきましょう。 アは、「死ぬべし」の前の文章から、「べし」の意味を推測します。 「あないみじ」は「ああ、ひどい」という意味で、「いみじ」は「 たいそう・ひどい・すばらしい」という意味がある重要単語です。 「犬を二人して打ち給ふ」は、「犬を二人で叩きなさった」という意味です。 犬が叩かれたということですので、「死ぬべし」は、「死ぬ にちがいない」という訳になります。 「~にちがいない」は推量の意味になります。 イは、「べし」の識別の解説で例文として出しました。 この 「べし」は意志の意味になります。 訳は、「そのたびごとに当たり外れを考えるのでなく、この一本の矢で決め ようと思え」です。 ウは、「べく」の後ろに打消の助動詞「ず」がありますので、 可能の意味になります。 訳は、「道のりが見事で風情があることは、言葉で言い尽すことが できない」となります。 エは、「べし」の識別の解説で例文として出しました。 この 「べし」は命令の意味になります。 訳は、「頼朝の首をはねて、自分の墓の前に掛け よ」です。 オは、「参らすべし」の前の文章から、「べし」の意味を推測します。 「憂へ給ふなかれ」は「お嘆きにならないで下さい」という意味で、「必ず救ひ参らす」は「私が必ず救い差し上げる」という意味で、主語が一人称(私)ですので、 「べし」は意志の意味になります。 訳は「お嘆きにならないで下さい。 私が必ず救い差し上げま しょう」です。 これを読んで後の問題に答えなさい。 七月十三日に下る。 (中略) その日は立ち騒ぎて、時なりぬれば、今はとて簾 すだれ を引き上げて、うち見あはせて涙をほろほろと落として、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれまどひて臥 ふ されぬるに、とまるをのこの、送りして帰るに、懐紙 ふところがみ に、 思ふこと心にかなふ身なりせば秋の別れを深く知らまし とばかり書かれたるをも、え見やられず。 ことよろしきときこそ腰折れかかりたることも思ひ続けけれ、ともかくも言ふア べきかたもおぼえぬままに、 かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君にわかるイ べしとは とや書かれにけむ。 (中略) 八月ばかりに太秦 うづまさ にこもるに、一条より詣 まう づる道に、男車、二つばかり引き立てて、ものへ行くに、もろともに来ウ べき人待つなるエ べし。 問 傍線ア~エの「べし」のうち、意味上、次の例文の「べし」と同じものを、一つ選べ。 例文「人の歌の返し、疾くす べきを、え詠み得ぬほども、心もとなし。 」(『枕草子』) ア「ともかくも言ふ べきかたも」 イ「君にわかる べしとは」 ウ 「もろともに来 べき人」 エ「待つなる べし」 (学習院大学 文学部 2013年) 練習問題2の解説 まず、例文の「べき」の分析から見ていきましょう。 「べき」の前の文章は「人からの和歌の返事は早くする」という訳になります。 「疾く(とく)」は「早く」という意味の重要単語です。 「返事を早くする」ことは今でも常識ですので、 「べき」は当然の意味になります。 訳は、「人からの和歌の返事は、早くす べきだが、詠むことができないときも、気掛かりである」となります。 次に、それぞれの選択肢を見ていきましょう。 ア の「べき」は、「べき」の後ろに否定表現「おぼえぬ(わからない)」がありますので、 可能の意味になります。 訳は、「なんとも言葉に尽く せることも分からないまま」となります。 イの「べし」は、「べし」の前にある文章「君にわかる」が、「私があなたと別れる」という意味ですので、主語は「私」であり、「私」は一人称です。 よって、 「べし」は意志の意味になります。 訳は、「私があなたと別れることにな ろうとは」となります。 ウの「べき」は、「べき」の前にある「もろとも」が「一緒に」という意味で、「一緒に来る」というこの場面での常識的な事柄となりますので、 「べき」は当然の意味になります。 訳は、「一緒に来る べき人」となります。 エの「べし」は、この文章の主語が、「もろともに来べき人」という三人称ですので、 推量の意味になります。 訳は、「一緒に来るべき人を待っているようで あろう」となります。 練習問題2の正解:ウ 問題文の現代語訳 七月十三日に父が東国に下る。 その日は大騒ぎをして、出発の時刻になったので、今はもうこれでお別れと父は簾を上げて、私とちらっと見合わせて涙をぽろぽろ流して、すぐに出てしまうのを見送る気持ちは、目もくらみ戸惑って泣き伏していると、ここに残る下男が、父を送って帰ってきた時に、懐紙に、 自分の思っていることが叶えられる身であったならば、秋の別れを深く知るのだろうか と書かれていたのを、見ることもできない。 たいしたことではない時は、下手な和歌のことも思い続けていたが、なんとも言葉に尽く せることも分からないまま、 少しも思わなかったよ。 この世で少しの間でもあなたと別れることに なろうとは と書いたのだろうか。 八月頃に、太秦の広隆寺に籠るの時に、一条大路を通って参詣する途中の道に、男車が二つぐらい止めてあり、どこかへ行くのに、一緒に来る べき人を待っているようで あろう。 いかがでしたでしょうか。 「べし」の分析は、 主語が何人称かということと 否定表現が後ろにあるか が基本で、それで分析できない場合は、 前後を訳してみて判断することになります。 これは慣れが必要ですので、古文で「べし」が出てくるたびに、現代語訳と照らし合わせて、どの意味になるかを確認して経験を積んでいくことが大切です。 経験を積めば、それほど難しい問題ではありません。 「べし」の識別は入試問題でもよく出題されますので、本番までに解けるようにしておきましょう。

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