千と千尋 神様 よきかな。 《千と千尋の神隠し》宮崎監督が暴露!カオナシの正体が悲し過ぎる

カオナシ (かおなし)とは【ピクシブ百科事典】

千と千尋 神様 よきかな

冒頭と結びに登場する彼女ですが、千尋に対してやたらと冷たい態度を取っているように思えます。 対照的に、千尋が迷い込む世界で支配者として君臨している湯婆婆(CV:夏木マリ)は、息子の坊(CV:神木隆之介)に対し過保護であり、かなり甘やかしている様子。 しかし、甘やかされてばかりで何もできなかったはずの坊はネズミに変えられ、家を飛び出し旅をすることで、最終的に千尋の味方をします。 2本足で屹立し、湯婆婆から自立したような状態になるのです。 そしてその描写があった直後、千尋は最後の試練を乗り越え、冷たい態度を取っていた母親のもとに帰ることができたのでした。 子育てにおいて、子どもを立派に自立させることはひとつのゴール。 一見淡白そうな千尋の母親でしたが、やはり最後には帰るべき場所として設定されており、千尋がそれを見失うことはありません。 2人の親の対立構造は、甘やかしてばかりが親の在り方ではないというメッセージになっているようにも感じられます。 宮崎駿監督いわく「カオナシなんて周りにいっぱいいますよ。 中略)ああいう誰かとくっつきたいけど自分がないっていう人、どこにでもいると思いますけどね」とのこと。 彼はカオナシという名前の通り、「個性を持たない」存在として表現されているようです。 実際、カオナシは千尋に自分のことを尋ねられたとき、かなり困ったような表情をしていました。 「自分がない」、「自分の居場所がない」からこそ他者の欲望を煽って自身に取り込み、パーソナリティを得ようとしたのでしょう。 カオナシはしばしば千尋にお金を渡そうとしますが、彼女は断り続けました。 この行為からカオナシは「欲望の象徴」なのではないか、という考え方もあります。 そして、一連の掛け合いや砂金がやがて泥へと変わってしまったことを考えると、この作品には「お金では買えないものがある」というテーマも存在するのかもしれません。 海原電鉄の黒い乗客 3週連続冬もジブリ! 来週は世界が絶賛、日本映画市場圧倒的なNo. 乗客が黒い影で表現されている理由は、作者が宮崎駿であることに注目すれば紐解けそうです。 宮崎駿は宮沢賢治の影響を強く受けていることで有名です。 海原電鉄は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が背景にあると思われます。 死者をあの世へ送るための銀河鉄道に着想を得ているのだとすれば、『千と千尋の神隠し』で舞台となっている八百万の神がいる世界は「あの世」に重ねられているのかもしれません。 海原電鉄の乗客が亡くなった人々として黒い影になっているのも頷けるのではないでしょうか。 その説を支持した場合、『千と千尋の神隠し』という物語は"千尋が味わった一時の臨死体験"とも言えそうですね。 千尋さんは書き間違えただけなのか、わざと間違えたのか…気になるところですぅーー😳 — スタンリー@金曜ロードSHOW! それはなぜなのか。 物語の中で明示されてはいませんが、実は彼女が生還できたのにはきちんと理由があります。 千尋は湯婆婆との契約の際、「萩野千尋」の「萩」の字を「获」と書き間違えていました。 そのおかげで契約は成立しておらず、千尋は現実世界に帰ってくることができたのです。 後にハクからも「湯婆婆に本当の名前を教えてはいけない」と言われた通り、本当の名前でなければあの世界に縛られることはなかったのです。 しかし、ハクは湯婆婆との契約をしっかりとしてしまったせいで、現実世界に帰ってくることはありませんでした。 普通の人より少し遠くを見ていたり、人の内側を見ているような瞳になるように描かれているそうです。 同じような場面は、世界中の逸話にしばしば登場します。 「見るなのタブー」とも言われるこのような描写は、日本の神話やギリシャ神話、旧約聖書にもあり、身近な話としては『鶴の恩返し』などが挙げられます。 物語の結びに古来から用いられてきたそんなお約束を踏まえた上で、千尋に「振り向かないで前を見て進め」とエールが送られているのでしょう。 「行き」のトンネルと「帰り」のトンネルが違うのはなぜ? 荻野一家はトンネルをくぐって神々の世界に足を踏み入れましたが、現実世界に帰って来たとき、トンネルは行きとデザインが異なっていました。 これには、「神々の世界には現実世界と別の時間が流れており、現実世界のトンネルが経年劣化した」という解釈もあります。 しかし、冒頭に建築関係の仕事をしている千尋の父が、トンネルは「モルタル製」であることに触れていますから、帰りのトンネルが石造りになっていることを考えるとその線は薄いのではないでしょうか。 最初から、行きのトンネルには神々の世界に導くための魔法がかかっており、もともと例のトンネルは石造りだったと考えた方が良さそうです。 ユニークな名前が並んでいます。 リンさんの横には「コイ」「ふな」「トロ」…魚の姿をしているのでしょうか。。。 そのほかにも「馬」「へそ」など気になる名前がたくさんあります。 — スタンリー@金曜ロードSHOW! とはいえ、作品の中では風俗のモチーフとして湯女が用いられたわけではありません。 宮崎駿は過去にエンタメ雑誌「プレミア」で、「"あれは日本そのものです。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 "」と語っており、風俗産業の表出というわけではなく、日本の労働環境のモデル化という面があるようです。 宮崎駿監督は最後のシーンについて次のように語っています。 「この物語は、何か思いのほか切ない話です。 特に終わり方が。 しかしどの情報も、肝心となるエンディングの内容はストーリー中の様々な場面をつぎはぎにくっつけたような印象を受け、支離滅裂です。 謎めいた展開が魅力であり、国内では他に類を見ないほどの人気作品ですから、「そういえばそんなシーンあったかも」と「幻のエンディング」の存在が本当であるかのように噂が広まってしまったのだと思われます。 これに関しては過去にネットメディアがジブリと東宝に取材をしており、言質を得ていますので、やはり「幻のエンディング」は存在しないようです。 最後の豚の集団に両親がいないと気づいた理由 物語の終盤、湯婆婆が千尋に課したテスト。 それは豚の集団から、豚になってしまった父母を当てるという難題でした。 そこで千尋はその場に父母がいない、と確信を持って湯婆婆に伝えたことで、元の世界へと戻ることを許されます。 なぜ千尋は答えを出せたのか?これについては様々な考察がなされていますが、宮崎監督も明言していません。 ただひとつ言えるのは、物語を通して千尋が大きく成長し、ある種の洗脳(魔法)が解けた状態になったということ。 宮崎監督も「なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 」と答えたそう。 映画の中での経験が、千尋にとって人生を生き抜く確実な力になったのです。 具体的な考察、説明は野暮なのかもしれませんね。 『いつも何度でも』は映画制作前に作られた 主題歌『いつも何度でも』の優しい歌詞は、本作の不思議な世界観と少女の成長物語に寄り添っているように感じられますが、実はこの曲は映画制作前に完成していました。 というのも、前作『もののけ姫』に感銘を受けた木村弓さんが宮崎監督に自らのCDと一緒に手紙を送ったところ、宮崎監督も気に入り、当時企画中だった『煙突描きのリン』が形になったら連絡する、ということで作品概要を木村さんへ伝えます。 そこから着想を得て作られたのが「いつも何度でも」なのです。 しかし、ある理由がありボツになってしまった『煙突描きのリン』。 曲もお蔵入りしかけましたが、当初『千と千尋の神隠し』の主題歌になる予定だった『あの日の川へ』の作詞が難航し、再度監督が『いつも何度でも』を聴き直したところ、歌詞が映画と合致していることに気が付いたそう。 そして主題歌に起用されたという不思議な繋がりのある曲だったのです。 幻の先品「煙突描きのリン」 先述した『煙突描きのリン』は、1998年6月から企画が進められていました。 物語としては、大地震に見舞われた東京を舞台に、銭湯の煙突に絵を描く18歳の学生・リンが、東京を影で支配する集団と対峙し、戦うというもの。 ですがその制作中、鈴木プロデューサーは鑑賞した『踊る大捜査線 THE MOVIE』で感じた「リアルな若者の気持ち」に衝撃を受けます。 そして、その気持ちを宮崎監督に伝えます。 若者とは言えない自分たちが、本当に若者の気持ちを表現することができるのか疑問に思ったというわけです。 結果監督も納得し、この作品が日の目を見る日はありませんでした。 その後、千尋と同年代の子どもたちに向けた『千と千尋の神隠し』を手掛けるのですから、制作側の心境の変化もうかがえます。 最後に 『千と千尋の神隠し』に関する噂や謎、作品に込められたメッセージやテーマについて考察しました。 公式の見解が出揃っているわけではないので、一概に言えることではありませんが、これほど考察が深まるのはジブリ作品の特徴であり、醍醐味といえるでしょう。 スポンサーリンク.

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おしら様がエレベーターで千尋を助けたのはなぜ?天まで行った理由を考察

千と千尋 神様 よきかな

こんにちは。 大学で外国の生徒に向けて日本映画について英語で講義することになりました。 個人的に大好きな映画「千と千尋の神隠し」を選んだのですが、この映画は日本人ですら、すこし難しい内容と思えます。 ・油ばあばの存在、油屋の意味、カオナシ・ハクとの関係など、説明できるか自身ありません。 自分で考えた中で、日本らしさとして説明しやすいだろうと思えるのは、 ・着物を着ている。 (千尋は作業着らしきものですが、) ・ハクの名前の由来のように物には神の名前や昔の地名がよく使われること。 ・題名から「神隠し」の意味。 自分ではこれくらいしか考えられず、困っています。 この映画の中で、日本らしい、と思える事、物があれば教えてください。 よろしくお願いします。 映画が大好きな私の永遠のテーマというか目標は「言葉が通じない人同士が同じ映画を見て、同じ読後感を味わえること」です。 そういう意味でも、「日本らしさ」というよりは、「日本人が見て、すんなり理解できるところと難解なところの差」がどの程度、外国人に伝わっているのかが私は気になりますね。 たとえば、普通に日本で暮らしている人なら子供でもわかりますが、あの映画は「日本らしい」というよりは、むしろ、「現代の日本では、ほぼあり得ない風景」だと思うのです。 では、どこにあの風景があるかといえば、夢の中は別として、少し昔の日本であったり(昭和初期の電車など)、もっと昔の日本であったり(元禄時代の風呂付娯楽所??)、更には交流のあった異国であったりします(中国そっくりの町並み)。 そういうものが、ごく当たり前の今の日本の風景(冒頭と最後の家族とのシーン)と対比しているのが、あの映画の醍醐味だと思うのです。 しかし、日本を知らない人は単純に「現実と幻の交錯」程度にしか思わないかもしれませんよね。 シーンによっての「なつかし度」の違いが薄いというか。 もうひとつ気になるのは、街のいたるところにあった「目」という看板。 日本人なら、あの看板を見て感じる当たり前の感情が、海外で放映されたものやDVDにどの程度反映されているのでしょう(おそらく反映されていない)。 実は、『千と千尋~』を見てしばらくして、私は中国の蘇州を訪れたのですが、そこに、あの町並みがありました。 名物の豚肉料理も、映画に出てきた食べ物と雰囲気がピタリと一致しました。 ああいう感じ、もしも生徒さんの中に中国系の方々がいらっしゃったら、ちょっと話をふってみるのも面白いかもしれません。 こんにちは。 この映画は全編日本情緒あふれる一本ですが、皆さんが触れていらっしゃる「八百万の神々」の他には、「銭湯文化」そのものが日本独特のものではないでしょうか? 娯楽施設、社交場としてのお風呂屋さん。 ローマ時代のイタリアには有ったみたいですけど、現代ではね。 あと、湯婆々の部屋の前に飾ってあった大きな二つの壺、あれのモデルはおそらく幕末、佐賀藩がパリ万博に出品してヨーロッパの人々を感動させた有田焼の大壺だと思います。 それと、「油屋」という屋号は、別府温泉を日本で最初の複合レジャー施設にして成功した油屋熊八に由来していると思われます。 この人は例の温泉マークの発案者とも言われていますが、これには諸説あるみたいですね。 ちょっと反れちゃいますが、この作品を各国の方に観てもらって印象的なシーンを語るり合う、と言う番組を以前観ました。 日本人は涙シーン(ハクから貰ったおにぎりを頬張る場面)、雄大な景色 ヨーロッパ系の人は幻想的なシーン(千尋がハクの正体は琥珀川だと気づいた瞬間の場面) アメリカ人はアクションシーン(千尋が建物外の階段から転げ落ちる場面。 大爆笑していました。 ) だったかな?それぞれツボが違ったようです。 また、カオナシの存在意味は海外の人は全く理解できなかったようです。 日本人は宮崎ワールドを知っているのでまだ大丈夫でしたが。 この作品というよりアニメ全体になりますが、海外の方にとって日本のアニメには独特な何かがあると言っていました(肝心な「何か」を忘れてしまいました・・・)。 日本のアニメは評価高いですしね。 そう言うポイントももしお伝えできれば・・・。 もっとも日本らしいのは、あらゆるもの(川などの自然から日常雑器にいたるまで)が「神」となること。 これは日本人以外にはなかなか理解されにくいのではないかと思います。 いわゆるアニミズムやシャーマニズムともちょっと違いますしね。 それと、名を禁じることによってその存在を縛る「言霊信仰」。 映画というのは、一本で一つの作品ですから、作品全体に流れるテーマから捉えていく必要があると思います。 出てくる要素が日本の物であるというだけでは、日本らしいという事を言うのは難しいでしょう。 日本人の精神であるとか、嗜好であるとかそういったものを捉える必要があるのではないでしょうか。 あるいは、日本人としてどういった部分に惹かれ、どういった部分に感動するのかということを考えてみて下さい。 わたしは、外国の文化の方に疎いので必ずしも適任とは言えませんが、わたしが感じるのは例えば、、、 自然、特に川に対する畏敬の念。 多神的な考え方。 自然からの略奪の否定。 お化け カオナシ に対する接し方。 異形のものも受け入れる精神 一生懸命働く千尋の姿。 だれかが助けてくれる 強欲の否定。 出てくるものとしては、木の屋敷や大衆浴場、田舎の風景も日本特有の文化だと思います。 A ベストアンサー (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の間の潜在的なジブリファンの新しい芽生えの機会がマスコミ等を媒介とすることで増えるし、 本来それ程興味のない方も家族・友達にいるそれらファンの付き合いとして見に行かざるを得なくなるでしょう。 (その証拠に、「もののけ姫」・「千と千尋」の大ヒットの裏側には、不満の意見が旧作より断然多く出て来たと個人的に強く感じます。 大ヒット=多くの満足とは行かず、同時に多くの不満足も出て来ていると言うことです) 昨今国際的映画賞の獲得等によりジブリの知名度はますます上がる一方です。 そして、この推測に依ると、次回作も間違いなく大ヒットすることでしょう・・・。 それから(3)です。 個人的には面白かったです。 特に本作の人物(キャラクター)描写は宮崎作品の中でも特に凝っており、 例えば「顔なし」は主人公の千尋と同様友達がおらず、家族さえもいるのかどうか分からない。 第一の個性である顔を持たず、名前もないに等しい、他者を食べること(他力に頼ること)でしか力を持ち得ない。 思春期の収穫である自己同一性を全く剥奪されたキャラクターなのです。 友達(千尋)の為にはそれが悪いことでも盲従的に何でもやり、拒否されるとヒステリックなまでに暴れ出す、極めて純粋で繊細なキャラクターであり、このキャラクターは引っ越しによって友達を失った千尋の弱い内面の投影とも言えるのでしょうが、千尋は彼に対して努めて優しく接し、守ってあげます。 (これがまあ所謂本作の少女の成長に繋がるのでしょう) 次に「ぼう」です。 独裁的な支配者である魔女「油婆」の息子である彼はまさに支配者階級の申し子とでも言うが如く、醜く肥大化していて、我が儘で、甘ったれで、尊大で、極めて強圧的に振る舞います。 このキャラクターに対し最初は母親にすがるようだったあの千尋は理知的で年上らしく、 つまり「お姉さん」らしく振る舞う成長を見せます。 そして「はく」。 この人物は最初、不思議な世界へ迷い込んだばかりの千尋を助けてくれる「ハク馬の王子」様です。 つまり純粋な少女を両親の手から奪いとる(憎っくきw)王子様なわけで、千尋は両親のためにとって置いたお団子をカレにあげます。 (これも成長と言えば成長ですけど・・・お父さんはショックでしょうね。 )、また頼れる素敵な王子様であると同時に、弱みを握られ悪に利用される、愚かでか弱い動物でもあります。 加えて恋人としての役割を果たすと同時に、最終的には幼い頃からずっと千尋を見守っていてくれた友達(自然)という役目も持っています。 以上のようなキャラクター設定などもなかなか滋味深いものがありますし、 相変わらずのメッセージ、例えば「自然と人間の共存」(お腐れ様)、またそれを次代を担う若者が救うとか(よきかな~)、日本的な和風世界を西洋の独裁的な「魔女」が支配するという近代文化への投げかけなどなど、教育の面から観てもよいでしょう。 個人的には宮崎監督お得意のノスタルジー、 例えば夕暮れ時の電車のシーンなどが特に印象に残りました。 以上、手前みそな話を長々どうもすいませんでした・・。 (笑) (2)です。 何を置いても一番の理由は「ジブリ」「宮崎駿」の知名度が上がったことだと僕は思います。 絵、演出、音楽と作品全体の質も当然上がって来てはいますが、 その点は普段それ程映画を観ない一般の方々にはそれ程影響を与えてはいないでしょう。 それよりも、80年代に青春期を過ごし、ジブリの作品に触れた世代の方々が大人になり、 そのまた子供さん達もテレビのロードショウ等で繰り返し旧作に触れることで、 絶対的な知名度も上がり、ファン層を拡大している。 知名度が上がれば、子供達の... 専門家にいわせればもっと分析して、環境汚染がどうだ戦後の豊かさがどうだ成長と旅立ちがどうだ…と、言えるのでしょうが、私にはそんなことはわからないし、ただ、自分が笑えて泣けたことがすべてです。 でも人はえてして、自分の過去にわずかにでも接点があることでなければ感動はしないと思うし、本当の意味での「わかる」というのは共感でしか得られない部分があると思います。 今回、yyukkyさんがまったくこの作品に感銘を覚えなかったのは「たまたま」今までのyyukkyさんの過去において、この作品と共感できる経験がなかっただけではないでしょうか。 だから、本当にそれは「たまたま」なことだと思います。 Q ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それともディズニーそのものがアメリカの文化となってきていると言えるのでしょうか。 日本とアメリカではディズニーへの親しみや認識は違うものなのか、それとも同じようなもなのか、よくわかりません。 なので想像しづらくて。 まとまらず解りにくい文章だと思いますが、お力を貸していただけると幸いです。 ディズニーとアメリカ文化の関係について、レポートを書いているのですがいくつか疑問点があります。 よかったら皆さんのご意見を参考にさせてください。 ディズニーの童話を元にした長編アニメ(白雪姫、シンデレラ、ピノキオ、リトル・マーメイドなど)は原作のストーリーを細かく変更して、人々に受けいれ安い話に変えています。 それは成功して、日本でもディズニーの長編アニメはまるで原作のように思われているほど親しまれている(原作を知らない人が多い)と思うのですが、アメリカでもディズニーの長編ア... A ベストアンサー アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているのでしょうか? 日本が大陸から影響を受けた童話もたくさんありますが、たとえば織姫と彦星の七夕の話や、干支の話(ねずみが牛の背中に乗って一番乗りした話)などがあります。 これらは中国大陸の地方によっても若干異なるストーリーがあるのですが、もちろん日本も元々の話とは若干違っており、日本の文化に合うように話が変化しています。 アメリカは自国に「文化的ルーツが無い」と自覚している国ですので、まさにディズニーの物語はアメリカの御伽噺として原作並みの扱いを受けているといえます。 もちろん教養の高い知識層は原作のルーツがいろいろな国にあることを知っていますが、それでもディズニーが編集したストーリーはアメリカが原作だ、と思っていることでしょう。 なぜアメリカ人がこのように思うかと言うと、オリジナルのものをアメリカで受け入れられるように修正を加えているからです。 特にアメリカは日本と違って宗教的なタブーも多く存在しますし、なによりも様々なルーツを持つ移民がそれぞれの源流となる文化、価値観に反せずに受け入れられるように修正が必要だったからです。 この修正によって、さまざまな国の童話がアメリカのみならず、世界中に広まることが出来るようになったわけで、アメリカ人がディズニーの童話をアメリカ原作としても、ある意味適正な表現と言えます。 また、日本でも同様な修正は行われており、たとえば孫悟空に出てくる沙悟浄は、日本では河童ということになっていますが、もちろん中国には河童はいませんので、日本で親しみやすい様に変化させたわけです。 しかし、河童では世界中で親しむようにはなりませんので、ディズニーの修正は原作を越える力を持っている、と言える部分もあるのです。 このようなビジネスに関わらない一般的なアメリカ人にとっては世界=アメリカ合衆国、なのが現状であり、アメリカ人ほど世界を意識しない内向きの国民も珍しいのです。 日本でも外国から「MANGAは素晴らしい!!」と言われて初めて漫画も文化だと気づいたように、アメリカ国内ではディズニーは「子供のためのもの」(漫画も日本でも同じ言い方ですよね)なのです。 親しみ方、という点ではアメリカ人はディズニーにどっぷり浸かって幼児期を過ごしますので、必然的にディズニーがアメリカ文化に与える影響は大きいのだと思います。 しかしそれは外国の視点で見ない限り、それに気づかないのではないでしょうか。 日本も同様に、日本文化とアニメが融合しても外国の目から見ないと、それと気づきません。 一例ですが「日本のアニメ等には見得きりがある」のです。 日本のヒーローは必ず見得を切ります。 時代劇ですが桃太郎侍の「桃から生まれた桃太郎」は有名ですね。 ところがスパイダーマンもバットマンも見得を切りません。 日本人が歌舞伎などの影響で「主役は見得を切るもの」と思っているからなのです。 これは比較して初めて意識することで、ディズニーアニメしかないアメリカでは文化もナニも、ディズニーはまさに当たり前の空気のごとき存在だと思います。 まあ日本ならサザエさんとかドラえもんがそれに近いでしょうが、この二つを日本の文化の筆頭にあげたり「日本のアニメは見得を切る」ことを日本文化として紹介したら、普通の日本人は首をかしげますよね。 そのぐらい浸透しているのがディズニーであり、日本とはまったく違うのです。 アメリカに住んでいたことがあります。 まず前提として、日本はアジアの片隅にある島国で隣には4千年の歴史を有する中国大陸があり、日本自体も1500年以上の歴史を有しているのに対して、アメリカ合衆国はピルグリムファーザーがメイフラワー号に乗ってやってきてから200年強の歴史しかなく、また人種も移民により雑多ですから元になる文化や宗教も様々なところの影響を受けている、という違いを考慮する必要があります。 >アメリカでもディズニーの長編アニメは同じようにまるで原作のように親しまれているの...

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【画像150枚】きっと見たくなる!千と千尋の神隠しの高画質な画像・壁紙集!

千と千尋 神様 よきかな

今回は 「名作の考察・解釈・謎解き・解説」をテーマに記事を書いていきます。 「強いメッセージ性は感じるけど、意味が良く分からない」という名作や名言って、沢山ありますよね? それを、RINRISM的に考察し、解釈して、その名作や名言をより深く理解できるような手助けが出来ればと思っています。 せっかく「名作・名言」なのだから、その素晴らしい価値が、より深く、より多くの人に伝わったのなら、 それを作った人にとっても本望なのではないかと思います。 もちろん、考察や解釈は人それぞれで良いのだと思います。 あくまでも主観的な解釈であり、「これを伝えたいんじゃないかな?」という視点で解釈していきます。 さて、本題です。 僕、アニメが大好きです。 その中でも宮崎駿監督のジブリ映画は大好きです。 …という事で、今回解釈するのは スタジオジブリの名作 「千と千尋の神隠し」です! ・・・先にお伝えします。 ネタばれ有りです! ・・・さて、千と千尋の神隠しと言えば に公開。 興行収入は300億円を超え、第1位の記録 は現在も塗り替えられていない。 批評的にも日本国内にとどまらない評価を受けた。 ではを受賞。 ではを受賞した。 同部門を受賞した唯一の手描きアニメーションであり、唯一の日本のアニメーション映画である。 とにかく、記録的に大ヒットしましたよね。 これは名作です。 そのまま何も考えずストーリーで見ただけでも面白いですし、全てにおいてクオリティがとても高いと思います。 そして作中には「強いメッセージ性」を感じるシーンが、多々あります。 これは、宮崎駿監督がこの作品を通じて「何か」を伝えたがっていると思うわけです。 ご両親が豚になったシーンの意味• 「名前を取られる」の意味• なんで風俗店がテーマなの?• カオナシってなんなの?• 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの?• 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味• 最初赤かったトンネルが、最後色が違うのはなぜ?• 千尋が現実世界に戻っても、銭婆にもらった髪留めだけが残った意味 などが、この作品の「謎」であり「メッセージ性」を感じる部分です。 根拠を読み取りながら、 一つずつ、解釈していきます。 千と千尋の神隠しのテーマ 宮崎駿監督が、この作品を通じて人に伝えたかった事。 すなわち 「この作品のテーマ・メッセージ」から、お伝えする事が必要だと思います。 ・・・いきなり、重々しく感じるかもしれませんが(笑) で書いたように、この社会には、洗脳が溢れています。 宮崎駿監督は、それをどうにかしたいがゆえに、この作品を作ったのではないかと私は思っています。 何事も結論から話すと、分かりやすくなるものです。 とりあえず今は「へーそうなんだ」くらいに思って頂ければと思います。 下記の謎解きと、解釈を読んで頂ければ「そうかもしれない」と思ってもらえると思います。 ご両親が豚になったシーンの意味 この映画を見始めて、最初に衝撃を受けるシーンは 「パパとママ、豚になっとる!」 というシーンだと思います。 僕は小学生の時にこの映画を見たのですが、トラウマになりそうなくらいの衝撃でした。 そのシーンまでのざっくりした流れとしましては、、、 不思議な街に、千尋とご両親が入ってしまって、 屋台っぽい場所に美味しそうな料理が並べられていて、 パパとママが「お、うまそうだな」とか言いながら、ためらい無くその料理を食べ始める。 そして千尋は「やめようよ~」とか言い、止めようとするが、パパママは「うまいうまい」と言って止まらない。 そして千尋が一人で探索していたらハクと出会い「ここにはいてはいけない!」と怒られて、千尋はパパとママの居るところに戻る。 そしたら、パパとママ豚になっとる・・・。 ・・・という流れです。 この衝撃的なシーンには、どんなメッセージが込められているのでしょうか? 単純に 「魔法のやばい世界に入っちゃった」と捉えるには、もったいないくらい、衝撃的なシーンです。 ・・・辛辣な表現にもなってしまいますが、 豚とは、代表的な家畜です。 人に、人のために、飼いならされているのが家畜です。 ほとんどの大人たちは、この社会で生きるうちに洗脳されて、家畜化させられてしまっています。 (辛辣な表現ですみません) TVの情報、新聞の情報、メディアの嘘の情報にさらされているうちに、嘘の情報を信じ込んでしまっています。 すなわち洗脳され、社会の上の方の人たちにとって都合が良いように、働くように、疑わないように「飼いならされて」しまっています。 そして、子供なら 『こんなの変だ!』と素直に思うような嘘の情報を、簡単に信じ込んでしまっています。 ・・・宮崎駿監督は、まずそれを伝えたかったのだと思います。 「社会には洗脳が溢れていて、みな洗脳されてしまっている」ということを伝えたかったのだと思います。 気付かぬうちに、社会に飼いならされて家畜化されてしまっていることを、伝えたかったのだと思います。 豚=代表的な家畜 疑わずに、バクバク食べる=情報の鵜呑み 子供なら簡単に「変だ」とわかる事が、分からない大人たち これが、このシーンの意味だと、僕は解釈しています。 「名前を取られる」の意味 【名言の紹介】 ハク「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ。 いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」 ハク「名を奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。 私はどうしても思い出せないんだ」 ・・・この映画では、 「名前を忘れてはいけない」「名前を湯婆婆に取られたら、一生この環境から抜け出せない」 という表現が良く登場します。 「名前」というものは、その人のアイデンティティであり、個性であり、名付けた親の思いが込められています。 すなわち名前には「自分の生まれた意味」が込められています。 「名は体を表す」のです。 キャプテンと呼ばれれば、だんだんキャプテンらしくなっていくものですし、 社長と呼ばれれば、だんだん社長らしくなっていくものです。 (名前、呼び名というものは奥が深いので、いつか別に記事を書きたいと思います) ・・・この社会には、 この社会に適合するように頑張って生きているうちに、 「自分の生まれた意味」を忘れさせる仕組みがあります。 お金のために、生きるために、家族を守るために、常識から外れないようにするために、と頑張って生きているうちに、 「自分は誰で、何をしたい人か」つまり 「自分の生まれた意味」という、大事なことを忘れさせられるのです。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 なんで風俗がテーマなの? 千尋が「湯女」として働くことになる、湯婆婆の「湯屋」は、 表向きには「神様が疲れをいやす温泉旅館」のような環境として描かれていますが、 実際のところ「風俗店」であるという裏話があります。 「湯女」=「遊女」であるらしく、あの湯屋は、風俗店であるらしいです。 〈風俗店と資本主義社会の共通点〉• 生きるために、上の存在の快感を満たす世界• 神様的な偉い人のために、身を削って働いている• それが出来ないと、生きられない• 疑わずにそこで働かせるために、洗脳する• そして、「自分は誰で何をしたい人か」という「名前」を取られていく。 という事です。 湯婆婆「契約書だよ。 そこに名前を書きな。 働かせてやる。 その代わり嫌だとか、帰りたいとか言ったらすぐ子豚にしてやるからね」 という湯婆婆の、ブラック企業的なセリフが代表するように 風俗店も、資本主義社会も、 「神様的な偉い人」「支配者」の快適な生活のために、その社会で生きる一般人は、生きるために身を削って働かされているという事です。 すなわち「搾取」です。 下から上に吸い上げるようにして、生きるために働かせるようにして、この資本主義社会は成り立っています。 ピンと来ない方も、これについては少し調べてもらえればわかります。 宮崎駿監督は、それを皆に気付かせて、それに警鐘を鳴らしたかったのだと思います。 (中略)みんな千尋が暮らす湯屋の従業員部屋のような、ああいうものだったんですよ。 日本は少し前までああいう感じだったんです。 ぼくの考察の根拠として、追記させて頂きます。 要するに、宮崎駿監督が「湯屋」を通じて伝えたかったことは、 「あの湯屋の環境は、日本の社会の環境と同じだ」という事ではないでしょうか? カオナシって何なの? 『カオナシって何者なの?何なの?』 という疑問は、この映画を見たほとんどの人に生まれる疑問だと思います。 カオナシ=「名無し」 であるのだと思います。 つまりは、先ほどからの解釈と照らし合わせると 「自分は誰で何をしたい人か」が無い存在。 であるのだと思います。 〈カオナシの特徴〉• 「欲しい」が口癖• 「他者を食べること(奪うこと)で、ステータスを上げていく」 この社会に適合しようとして頑張って生きているうちに 「名前」が奪われ、「名無し」になり、「カオナシ」になり、「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせます。 そして、忘れた上でやることは「欲の追求」です。 『良い女が欲しい、良い車が欲しい、良い家が欲しい』と、 自分の本来の目的「自分は誰で何をしたい人か」という欲求ではなく、 作られた目先の欲を追求するようになってしまいます。 そして、自分第一主義になってしまいます。 自分と一握りの身内だけが、得をするように、得をするように、生きるようになってしまいます。 自分より下のものから搾取したり、自分を守るために行動したり、自分のストレスを解消するために目下の者に当たり散らしたりする。 いわゆる「ブラック企業」ですね。 そして「貰う事、奪う事が目的」になってしまいます。 「もらう事が目的」という事は、それは「価値のある人生」とは真逆です。 価値のある人生とは「与える事を優先する」ことで手に入ります。 宮崎駿監督は、 社会には、カオナシのような人「もらう事を優先する人」を生み出すシステムがあるのだと、 伝えたいのだと思います。 あそこを出た方がいいんだよ」 というのがあります。 それは、そういう事です。 この社会に適合して生きようとするから、そうなってしまうのです。 この社会のシステムから抜け、この作られた常識から抜ければ、 今どんなにブラックなカオナシみたいな人も、みな本当は良い人なのです。 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味 ストーリー的には、千尋の職場の支配者の 「湯婆婆」には、双子の姉の 「銭婆」が居ます。 物語の終盤。 千尋は銭婆を訪ね、相談に乗ってもらいます。 湯婆婆と、銭婆。 「欲」と「良心」。 どちらも、誰でも持ち合わせているものです。 しかし、この両者が両立しないという状況は、存在します。 宮崎駿監督が伝えたかったのは、 「二面性を持たないと、この社会システムでは生きられない」 という事だと思います。 「湯婆婆」の強欲で、お金第一主義で、人を大切にしないキャラクター。 その正反対の 「銭婆」の、心を感じられ、愛情があり、質素で、人を大切にするキャラクター。 銭婆「あたしたちは二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」 そうです。 「欲」と「良心」というものは、全ての人が持っているのです。 しかし、それを切り離して「二面性」を持たなくては、生きられない社会になってしまっているのです。 分かりやすい例だと「ハク」がそうです。 二重人格キャラですよね。 千尋に「優しい心」を見せたかと思えば、湯婆婆の元で生きるため「心ない冷徹で効率的」な人にもなる。 ・・・この社会は、そうなってしまうシステムがあるのです。 二面性無くして、生きられなくなってしまっているのです。 「会社ではひどい上司だけど、家では良いパパ」 こういう人は、沢山いるのだと思います。 宮崎駿監督は、 『二面性を持たずしては生きられない社会ではダメだ』と、言いたいのではないでしょうか。 この社会は、「良心より欲を優先するようにさせるシステム」があります。 良心も欲も、両方あって一人前の人間です。 しかし、欲を優先するばかりで、良心の部分がないがしろになってしまう、社会になってしまっています。 本当は、欲も良心も、両立できるはずです。 「他者を優先する気持ち」というものは、人間誰しも持っています。 心理学的に言うところの「返報性」というやつです。 皆、本来それを持っているのに、その優先順位が低くなってしまっているのです。 「欲よりも、心を優先する社会システム」は、作れるはずです。 それが、目指すべき良い社会であると、僕は思います。 ・・・カオナシは、湯婆婆の環境を離れ、銭婆の元に居場所を与えられて働くことになります。 そして、描かれてはいませんが、カオナシは本来持っていた「素朴な良い心」を引き出して働いていくのだと思います。 どんな悪い人も皆、この社会システムにいるから、そうなってしまうのです。 この社会システムに間違いがあるのだと、宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 この社会のあらゆる問題は、 この社会システムの間違いから始まる。 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの? 千尋が「もとの世界に戻るために呪いを解く試練」として、湯婆婆から問題を出されます。 「沢山いる豚の中から、千尋の両親を探し当てろ」という問題です。 そして千尋は答えます。 千尋「おばあちゃんだめ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん」 みんな「大当たり~~!」 ・・・そして、千尋の呪いは解けます。 ・・・ここが、見てる人にとって一番の 「なんで?」ってポイントだと思います。 この社会には洗脳があり、 全ての人が、大なり小なり、洗脳されてしまっています。 それを解くための方法は 「挑戦」なのです。 目的を持ち、挑戦し、失敗し、反省することで、自分の中の間違った情報(洗脳されていた部分)に気付くことが出来ます。 そして、その間違った情報に気付き、取り除いて行くことで洗脳から解放されて生き、理想的な人生が手に入ります。 (詳しくは過去の記事をご参照ください) 千尋は、湯婆婆の作る環境の常識にとらわれず、 「元の世界に戻る」という目的を持ち続け、沢山の挑戦と失敗を繰り返したことで、湯婆婆の洗脳が解けたのです。 奪われかけた名前を、取り戻したのです。 つまり「自分は誰で何をしたい人か」を取り戻したのです。 ・・・その「洗脳から解放された千尋」だから、たくさんいる豚を見た時に「明らかに、ここに両親はいない」と分かったのです。 「洗脳され切った人」と、 「洗脳されていない人」とでは、 世界の見え方が違います。 宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。 ・・・さて、ここでクエスチョンです。 ではなぜ、映画を視聴している観客である我々は 「あの中に両親が居ない」と、分からなかったのでしょうか? あのシーンについて、どのように目を凝らして、並んでいる豚さんを見ても、 観客の我々には、本物の両親を見つけられなかったはずです。 見つけるためのヒントのようなものも描かれていません。 ・・・これは、宮崎駿監督なりの、風刺であり、ブラックなジョークに見えて仕方がないのですが。 我々が見えなかった理由は、 「我々が皆、洗脳されているから」です。 ・・・これは、笑うところです。 あのシーンを通じて 「みんな社会に洗脳されてんだよ!」 という事を、宮崎駿監督は我々に伝えたかったのだと思います。 これは、スタンディングオベーションすべき、強烈な、ナイスジョークです。 ・・・これは、さっきの宮崎駿監督の 辛辣なジョークの「お詫び」のように感じています。 色の違いに気付けたお客さんに、 「ほら、みんなも洗脳から解けて、見え方が変わってきているよ」 という事を、伝えているのだと思います。 あの髪留めは、千尋の力になってくれた「銭婆」が、千尋にプレゼントしたものです。 物語が終わり、千尋からあの魔法の世界の記憶が薄れても、髪留めだけは残るのです。 「こんな社会でも『心を優先し、与えることを優先する事』が必要だ」と 宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。 自分のための欲よりも、他人のための良心を優先し、「他のために与えたもの」は、世の中に残り続けるのです。 逆に、欲を優先し、「もらう事」を優先しても、何も世の中に残すことは出来ないのです。 「墓までは持っていけない」というように、 自分だけのために手に入れたものは、 自分が死んでしまえば、自分の物語が終わってしまえば、消えてしまうのです。 ・・・しかし、今生きている間に「他に与えたもの」は、世の中に残り続けます。 物やお金もそうですし、 知識や知恵もそうですし、 人を助けたり元気づけたりして与えた「エネルギー」もそうです。 それは、たとえ自分が死んでしまっても、 世の中をめぐり続け、世の中に残り続けます。 「生きている間に、他にどれだけエネルギーを与えたか?」それが、価値のある人生であるのだと思います。 それを伝えたかったのだと思います。 ・・・ちなみにこれが、当ブログ『RINRISM』のメインテーマだったりします。 最初のシーンと最後のシーンで、変わらずに母にくっついて歩く千尋 最初と最後で、同じシーンが描かれています。 変わるという事は、簡単ではないのだと、言いたいのだと思います。 それでも、挑戦し、反省し、洗脳から脱却し、少しずつ成長し続けることが必要だと、言いたいのだと思います。 なんでこんなにまどろっこしいメッセージの発信の仕方なの? ここまでに書いてきた「宮崎駿監督が伝えたかったメッセージの考察」ですが、 これが仮に全てが「当たり」だったとして、 「なんでこんなに遠まわしで、まどろっこしいメッセージの伝え方なの?」 という疑問が湧きます。 どんなに人に役立つ良いメッセージを持っていても それを発信するために、映画を作るためには、 当然、「お金」が必要です。 スポンサーが必要です。 スポンサーは、この社会でお金を持っている権力のある、企業や人だと思われます。 スポンサーからお金を集めるために ストレートに「この映画のテーマは、資本主義社会の洗脳から脱却です」 といっても、ほとんどのスポンサーはお金を出してはくれないでしょう。 スポンサーのほとんどは、この社会システムで大儲けしている人です。 洗脳から脱却され、今の仕組みが壊れる事が、都合の悪い人です。 ・・・または そこまで深読みしなくても、 単純に 「メッセージやテーマがシビアに見えては、売れない」ということかもしれませんね。 売れて沢山の人に見てもらえなければ、せっかくの価値あるメッセージが、広がって行かない。 ・・・これもまた事実です。 メッセージ性を取るか、大衆受けを取るか。 これは、メッセージを発信する人たちにとって、永遠のテーマだと思います。 両立する道を、探したいですね。 そして、宮崎駿監督の作品は、それこそ芸術的にこれを両立できていると、僕は感じます。 ・・・いずれせよ、何らかの理由で、表向けのテーマは別のものにして、 「本当のテーマのメッセージは、あえて隠している」 という事だと、ぼくは思います。 そうすることで、 真実の情報を発信できないこの社会の中でも、 「表現方法を駆使して、発信していこう」としているのではないかと思います。 ・・・しかし、ここは深読みのし過ぎかもしれません。 ・・・何度も申し上げますが、ここまでの「考察・解釈・謎解き・解説」は全て「ぼくの主観」です。 合っているかもしれないし、まるで違っているかもしれません。 宮崎駿監督に、「この解釈どうですか」と聞いてみたいです! 「ぜんぜん違う!」 と、おっしゃるかもしれませんね(笑) とはいえ、 ここまで深く考えさせる映画をお作りになられた 宮崎駿は、まさに天才だと思います! 長文になってしまいましたが、 読んで下さり、ありがとうございました! この記事を気に入って下さった方、ぜひ、トップページから他の記事も読んでみて下さい。 『本物の人生』を全ての人が謳歌できる社会に向けて、価値の有る情報を配信しているブログです。 まさに探し求めていたものに辿り着けて、読んでいるうちに涙が溢れてきました。 私はこれまで、自分に正直に生きることを何よりも大事にしていて、資本主義社会のおかしさに気づき始めていました。 そんな私にとって、洗脳の始まりともいえる学校という場所が苦痛で仕方ありませんでした。 今もそうです。 世の中は洗脳された人がほとんどで、違和感を伝えようとしても「考えすぎ」「気持ちの持ちよう」で済まされてしまいます。 ふと気になって調べた大好きな作品の中にその答えが隠されていたなんて、こんなに感動的なことはありません。 人生と映画が繋がっているようです。 私事ですが、学生の私には可能性も選択肢もまだまだあります。 自己完結で済ませずに、社会にこのメッセージを伝えていくこと、影響を与えていくことを強く心に決めました。 現代の社会システムのおかしさに気づきながら生きるのは辛いけど、戦って行こうと思います。 きっとそれが、「自分の生まれた意味」だから。 soraさん。 心が熱くなるコメントを下さり、誠にありがとうございます。 そう言って頂けますと、書いてよかったと、本当に思います。 「自分に正直に生きる」という生き方。 素晴らしいです。 僕はそれを「心と言葉と行動を一致させる」と呼んでいます。 資本主義もそうですし、日本も世界も、社会のどこを見ても「おかしい」のです。 「現実」という結果を見て、 おかしな事や、嘘や、理不尽な事だらけなのに、まるで有効な対策を取らない社会なのです。 そして、それに慣れてしまって、「これが当たり前」と、感覚が麻痺してしまっている人が、ほとんどです。 そもそも、その「当たり前」「社会常識」「社会通念」と言うものが、間違っていて、嘘であり、洗脳です。 民をコントロールするために、誰かが作った、都合の良いルールです。 soraさんが感じられてきた「おかしい」「違和感」「なんだか合わない」という感覚。 僕から見てその感覚は、正しいです。 僕も、同じように感じています。 ただ、そういう正しい感覚を持った人が、うまく生きるのが難しい、この社会なのです。 根本的には誰も悪くない。 人を作る、社会が悪いのです。 社会を、根本的に改善していく事が必要なのです。 反対運動のような活動では、社会の根本的はなかなか改善しないと思っています。 では、どうすれば良いのか?ですが 「自分に正直に、心と言葉と行動の一致」 「自分も皆も、みんな幸せ。 両福」 「常に明るい方向を向いて、前に進む」 これにつきます。 いま、これから、どんな場所に居ようとも。 どんな仕事に就こうとも。 自分に正直に生きて、皆の幸せを願って、明るい方向を向いて生きていく。 これにつきます。 「類は友を呼ぶ」ように、 自分と合う人と、出会えます。 人は皆、合う人と一緒に居たいものです。 ぼくの文章に出会ってくれたように、必ず出会えます。 単純に、soraさんが、soraさんを生きる事です。 そして、環境を手に入れる事です。 「社会を良くしたい」と、同じ志の人たちが集まる、コミュニティを作るか、見つける事です。 その環境で、みな幸せに、みな学び、みな育ち、みなが影響力と情報の発信力を持つ。 その環境が、拡大していく。 この先に、社会の根本的な改善があると、僕は思っています。 ふと、千と千尋って何が言いたいんだろう?と突然気になり、こちらのブログを拝見しました。 すっと、頭に入ってきて、すごく納得できました。 わたしは現在、留学中で、また来年は就職活動をする学生です。 やっと自分について、自分の内面について目を向ける時間が出来、自分って何だろう?何がしたいんだろう?今まで何をしてきたんだろう?と自分探しの迷子中です。 また、私の留学先は、日本の裏側にある国で、GDPなどの経済指標も日本と比べると「発展途上国」なのかもしれません。 でも、この国の人は、日本の人より幸せそうで、自己肯定感が高いようにわたしには思えます。 そのような、異なる文化の中で、幸せって何だろう?と、貨幣の存在に不信感?のようなものも感じてきました。 正解がなくて、ずっと悩んでいたのですが、この記事や、他の記事も拝読し、考えを進めるヒントになり、少しスッキリしました。 長い文章になってしまいましたが、感謝の気持ちをお伝えしたくて、コメントさせていただきます。 honokaさん。 素敵なコメントをありがとうございます!励みになります。 少しでもお力になれるよう、これからも記事を書きます! 自分探しの活動、とても良いと思います。 「私は誰で、何をしたい人か」。 全ての人は自身のそれを見つけ、その人生を歩むべきだと思います。 結局、突き詰めれば「何が好きで、何が嫌いかが、自分」です。 要するに「自分は何をする事に、エネルギーが湧くのか、ワクワクするのか」という事です。 どうせなら、よりワクワクする人生の方向性を生きるべきだと、僕は思います。 その自分の人生の方向性を生きている状態が、幸せだと思います。 一般社会的には「お金できる限り稼いで安定する」という一つの方向だけを向かせようとしていますが、それだけではありません。 「人生の方向性」は、膨大な種類があります。 とは言え、人間は誰しも、知っていることしか知らないのです。 知らなければ、憧れる事も、目指す事が出来ません。 そこで、色んな人と出会い、人をよく見て「たくさんの人生の方向性を知る」という事が、大切です。 知って行く中で「これだ!」と憧れる、人生の方向性が見つかるはずです。 なので、honokaさんが今、留学によって、 場所を変え、環境を変え、居る人を変えているという事は、素晴らしい事だと思います。 きっと、色んな人に出会うと思います。 きっと、憧れる人生を生きている人にも出会うと思います。 そしたら「私は誰で、何をしたい人か」という事が、その憧れを通じて、分かると思います。 焦らずじっくりです。 一日一日、明るく楽しく生きるという事が一番です。 大学の授業で映画の作品分析をしていてこちらのサイトに辿りついたものです。 このサイトを最初に読んだとき、小さいときに見ていた映画はこんなに奥が深かったのだと改めて考えさせられました。 私も名前という自分の名札、肩書きに踊らされ、洗脳されて無理に納得して前に進んでしまっていたうちの一人でした。 好きか嫌いかという二択で生きているだけなのにその中で多数の人の意見に流されしまう、人生とは難しいですね。 奪う人生ではなく与えられる人生を生きられるようになりたいものです。 サイトに感動して思い切って感想を書いてしまい、あまり文がまとまっていなくてすみません。 考えと価値観にとても感動し、共感しました。 これからもこのサイトが沢山の人の心に響きますように。 みこさん 宮本です。 心のこもったコメントを下さり、誠にありがとうございます! 本当に励みになります!! おっしゃる通りです。 頑張って生きようとしているだけで、知らず知らず、社会に流されてしまいます。 そして、流されていくうちに「自分が本当に生きたい人生」から、遠ざかってしまいます。 やっぱり生まれて来た以上、『本当にやりたい事』を目一杯やっていきたいですよね。 それを目一杯やって、人を喜ばせて、与える事を優先する人生を生きる。 こう生きていきたいと強く思います。 本当は、それが当たり前に出来る社会でなくてはいけません。 しかし、こんな社会である以上、本当にやりたい事をやるためには、学ぶ必要があるのです。 これからも僕は、僕がそのために学んで来た事をブログに書いて行きたいと思います。 加えて、こんな社会である以上、 ご自身の「本音」「本心」を発見し、見据え、表現する事がとても大切です。 そして、本音や本心を互いに引き出して語り合える「本物の話し相手」「本音で語れる環境」が必要なのだと、 最近強く思っています。 この社会では、本心よりも、表面を合わせる事が優先されてしまっています。 それが原因となり様々な問題が解決に向かわず、そしてほとんどの人が「本当にやりたい事」を出来なくなってしまいます。 …そう思って、最近僕は「職業は、最高の話し相手です」と言うようにしています(笑) そしてこれから、そういう環境を作るために動いています。 電車の運転手さんについてです。 たしか、あの電車は自殺した人が乗る電車ですよね。 運転手さんも透けていた、つまりあの人も自殺をされたのでしょうか。 終点についてしまったらあの人はどうなるのでしょうか? とても気になっているのですが納得のいく考えが思い浮かびません…。 今ふと思ったのですが、カオナシが透けているのと、電車に乗っている方たちが透けているのは、なにか関係があるのでしょうか。 宮本さんの考えが知りたいです! このサイトをみていて、改めて宮崎監督がひとつひとつの映画を大切に製作しておられるのだと感じました。 その思いとじっくりと向き合っておられる宮本さんはすごいです! わたしもメッセージを読み取ろうと思うのですが、情景描写などの読み取りが苦手で、頭がパンクしてしまいそうになります。 それができるようになったら、さらに映画鑑賞が楽しくなるのに、と思います。 今から、宮本さんの解釈をもとに、もののけ姫を観賞したいと思っております。 再び疑問ができましたら、質問をしたいと考えていますので、またお付き合い願います。 最後までお付き合いしていただき、ありがとうございました! てとさん。 ご丁寧なコメントを下さり、誠にありがとうございました! 大変励みになります! てとさんから、「電車のシーン」についてのご質問を頂いて、 改めて僕もそのシーンについて、考察してみました。 ブログの記事ではスルーしてしまっていたシーンですが、 今思えば、このシーンもまた、とても印象深いですよね。 何かメッセージが込められていると思います。 ここについて、あくまで僕の主観ですが、僕なりの解釈はあります! ただ、少し文章が長くなってしまう事と、 検証するために、そのシーンの映像をもう一度見直したいので、もう少しだけ待っていて下さい。 準備が整い次第、ブログの記事に、「追記」という形でアップロードします。 その時はまた、コメントにてお知らせします。 (^^) はい、僕にとっても考え直すきっかけになり、なにより楽しいので、 何か疑問がありましたら、ぜひ教えてください(^^) ありがとうございます! メイ こんにちは。 先週の金曜日に仲間たちと「千と千尋の神隠し」を見てきました。 宮本さんの解釈を読んでからの映画鑑賞はとても分かりやすく、心に伝わるものが多くすごく感動しました。 何回みても見るたびに得るものは違うと思います。 映画をみてからみんなと食事にいって感想を交わしたり、とても楽しい週末でした。 特に汽車に乗っているシーン、見てて涙が溢れてきました。 人の人生はお墓へ走る汽車に乗っているようだ。 途中にはたくさんの駅があるけど、ずっと最後までそばにいてくれる人はいない。 だからいてくれた人が降りる前に、いくらさびしくても、感謝の気持ちでさよならを言おう。 2年前に父親を亡くして、すごく悲しんできました。 千尋は汽車の中で人が次から次へと汽車から降りる人を静かに見ていました。 まるで自分みたく…. 世の中は再会と別れの繰り返し、父親はきっと違う世界で私を待っているのではと思ったらそんなに寂しくはないです。 なので父親の分も頑張って生きようと決めました。 中島みゆきさんの歌詞の中のようにたとえさよならでも愛している意味……とても意味深いです。 中国語の歌でFaye Wong 王菲-《你在終點等我》っていう唄があります。 日本語で訳すと「あなたは終点で私を待っている」です。 元は恋の歌なのですが、私は違う意味でこの曲を理解することになりました。 そばにいてくれた人、それで先に駅から降りた人たちはきっと人生を終着駅で私を待っていると…. とてもいい唄なのでおすすめしたいです。 最後にエンドソングの「いつも何度でも」が大好きです。 メイも歌えることになりました。 録音していますので送れるなら送ってみたいですが、残念です。 歌詞がとても意味深く歌っていてすごい感動を受けました。 聞いて歌って心が穏やかになります。 思いいたる所まで書いてしまい、失礼しました。 このサイトは何回も何回も読みました。 これからもまた読ませていただきたいと思います。 本当にここにたどり着いてラッキだと思います。 今後ともよろしくお願いします。 メィ 中国大連から メイさん ご丁寧なコメントを下さりまして、誠にありがとうございます! メイさんから、中国では先日から千と千尋の神隠しの映画が公開されたと聞いておりましたので、 中国の皆様がこの映画を見て、どのような感じになられたのかが、頂いたコメントから伝わってきました。 国は違いますが、日本の皆様と同じように映画を楽しまれたようで、なんだかとても嬉しい気持ちです! 映画のメッセージの解釈は、一人一人違っていて、十人十色である事が、素晴らしい事だと思います。 その中で、メイさんのこの映画の解釈に、このブログが少しでもお力になれたのでしたら幸いです! 一人一人これまでの人生の経験が違い、見え方も違います。 お父様を亡くされて、辛い胸中にいらっしゃるメイさんの見え方を通じて、 ぼくもまた、この映画の新しい見方をすることが出来ました。 本当にそうですね。 出会いが必ずある以上、別れも避ける事は出来なくて。 いくら寂しくても、感謝の気持ちでさよならを言って、前を向いて、その人の分も生きて行かないといけませんね。 中島みゆきをご存知とは、びっくりしました。 彼女の歌詞も、人生の真理を突いている言葉が沢山ありますよね。 おすすめ頂いた「faye wong」という曲も、後ほどYouTubeで探して聴かせて頂きます。 ところで、日本語が本当にお上手ですね!文章力もすごいです。 さらに、このブログではそれなりに難しいテーマについて書いているつもりですが、その日本語の文章を読解できるのもすごいです。 日本人より、日本語が上手だと思ってしまいます(笑)日本への留学の経験などがあるのですか? メールも下さりまして、ありがとうございました。 コメントだと長くなってしまいますので、続きは頂いたメールアドレスの方に送らせて頂きました。 ご確認ください。 ぜひ、また当ブログを見に来ていただいて、お気軽にコメントやご質問をしてください! ありがとうございました。 森薗漱志 突然のコメント失礼いたします。 この作品が好きすぎて、2004年に公開(当時私は小学生)されてから、すでに何十回も見ています。 年齢を重ねるごとに、見方も変わってきまして、最近時は作品全体のメッセージ性について考えていたところでして、このページを見つけました。 大変参考になります。 資本主義への風刺、、だなんて想定外でしたし、とても解説が分かりやすかったです。 しかも偶然、最近社会人になり、一日10時間、週5日も拘束されて働くことへの疑問をもちはじめたところだったんです。 本来自由なはずであるのに、なんでこんなに拘束されてるんだって。 しかもなんで周りは、疑問を持たないんだって。 ああ、結局、資本家の陰謀なんだよなって。 だからそれが、大好きな映画の大きなメッセージであったと分かり、感動しました。 記事を作っていただき、ありがとうございます。 感謝しています。 これからもこういう解説記事を作っていただけると大変うれしいです!! ご丁寧な熱いコメントをありがとうございます!大変、励みになります! ちょっとややこしいニュアンスですが、 「働く」のは良いこと、「働かされる」のは良くないこと。 と、僕はこう思っています。 要するに、「働く」という活動をするにあたって、自らの意思と目的を持ってやるような主体的な状態であるか、それとも誰かに言われて仕方なくやるような客体的な状態であるか。 という違いです。 自らの意思と目的を持って主体的に行う「働く」は、本当に価値が高いと思っています。 その目的のために、沢山のことを学び、能力が身につきます。 しかし、この社会は「働かせる」の仕組みが強いです。 自分の意思・目的というものを抱かせることなく、働かなくては生きて行けないような仕組みです。 本当は、社会がすべき事は「保証」だと思っています。 人々の生活を完全に保証してしまう事だと思います。 その上で皆、自分の個性を生かして、好きな事を追求して、負けたくない事で競争して、協力し合って、他に恩恵を与えるサービスを作って行くのが、僕の社会の理想像です。 しかしながら、今の社会は、なかなかそうなって行かなそうです。 だからこそ今、我々一般庶民が出来ることは、 「本音本心で繋がること」だと、思っています。 繋がって、当たり前のように助け合って、互いを保証し合う事だと思います。 「自立」ではなく、「共存共栄協力」こそ、あるべき姿だと僕は思います。 海を越え、文化を越え・・・・ジブリはもはや共通言語だ!同感です。 暖かいコメント、どうもありがとうございます。 心が癒されました! 「いつも何度でも」の曲にあわせて、中国語の歌、《你在終點等我》by Faye Wong 王菲をぜひ聞いてみてください。 今日はカオナシのことが思い出しました。 カオナシは「欲しい」が口癖、いつももらうことばかり考えているように見えますが、千尋に対してはいつも与えていて助けてあげようとしています。 きっと千尋のことが好きだったと思います。 ここからまた思ったのは恋っていうのは自分の思うままにはいかない、いくら好かれたとしても好きになることにはつながらない時があるのですね。 千尋はカオナシをかわいそうと思っているだけで、実際すきなのはハクのことです。 でもカオナシは多くの画面で千尋のそばにいました。 一瞬カオナシがかわいそうに見えました。 宮本さんのコメントのようにいくらブッラクなカオナシでも実は心のどこかは優しいいい人です。 生まれてから悪い人はまずいないのですね。 今日はカオナシの顔が思い浮かんでまたコメントを残しました。 よろしくお願いします。 メイ メイさん コメントとメールを下さり、ありがとうございます! 以前教えて頂いた「Faye Wong 王菲」さんのこの曲を、昨日にYouTubeで発見してから流して聴いております。 素晴らしいボーカリストですね!ぼくは中国語を読めませんので歌詞は理解できませんでしたが、メロディーと歌声が素晴らしく、作業用のBGMとしてリピートして聴いております。 素敵な曲を教えて下さり、ありがとうございました。 日本と中国は、政治的な都合の影響で、互いの情報がなかなか交換できない状況にあると思います。 実際に知り合いに居れば、情報を交換して共有する事が出来ますが、 特に、インターネットでの情報の交換が、難しくなっているのを感じます。 日本のマスメディアは政治的な方針が強く反映され、意見が偏っています。 それこそ、この千と千尋の神隠しのテーマにあるように、洗脳じみているメディアも沢山あります。 まだ中国には行ったことがないので分かりませんが、きっと中国でもこの「政治的なメディアの意見の偏り」というものは、あるのではないかと思います。 日本でも、中国でも、その他の国でも、 もっと互いの真実の純粋な情報を、リアルタイムで共有する事が出来たのなら、 国の違い、文化の違い、宗教の違い、あらゆる違いを超えて、 もっと仲良く、もっと楽しく、繋がっていけるはずだと思いっています。 TVや新聞などのマスメディアがダメなら、インターネットで個人がメディアになって行くことが、今の時代に必要だと思っています。 しかし、特に中国と日本の間には、そのインターネットでの繋がりに壁があるのが、悩ましい所です。 そういった意味で、メイさんがその壁を越えて、このブログを見つけて下さったことには、強い希望を感じております。 これからも、メールやコメントで、色々教えてください。 いつもありがとうございます! りゅう 昔はこのアニメを見たけど、あまり印象はありませんでした、まるでハクについての記憶を思い出せない千尋みたいですね。 今月、やっと正式版は中国で上映でき、私と妻が一緒に見ました。 妻と共感することは千尋の親、特にお母さんが千尋に冷たい感じも謎ですが、 やっぱり一番理解できないことは豚の集団の中に親がいないことをどうやってわかったかです。 日本のサイトをいろいろ探し、いろいろ答えがありました。 例えば「自然保護に加えてトトロの世界に共通する宮崎監督のいつも伝えたいメッセージである「純粋な子供には見える大切な事」だと思います。 」のような答えもあって、 「宮崎駿監督のコメント 最後の豚の集団をみて、千尋がお父さんとお母さんがそこにいないとなぜわかったのか説明していない。 理論としておかしいと、説明を求めるタイプの人たちがいる。 でも、僕はそういうのを大事だと思っていないから。 これだけ経験を経てきた千尋は両親がいないことがわかる。 なぜわかるか、でもわかるのが人生ですよ。 それしかないんですよ。 そんなにここが欠けていて、あそこが欠けていてって、指摘ができるなら、観客が自分で埋めればいいんだから。 僕はそんなところに無駄な時間を費やしたくないんですよ。 」のような公式でもはっきりしない答えもあります。 最終的に、このページにたどり着いて良かったと思います。 一番納得で、大人らしい答えを見つけました。 ありがとうございます。 コメントいただけたら幸いです。 中国吉林省長春市 りゅうより りゅうさん コメントを下さりまして誠にありがとうございます! つい最近、中国で「千と千尋の神隠し」が上映されるようになったそうですね。 りゅうさんの他にも中国の方がコメントを下さり、教えて下さりました。 りゅうさんも日本語が素晴らしくお上手ですね。 この宮崎駿監督の公式のコメントの事は、ぼくは知りませんでした。 とても参考になります。 そしてこの監督の意見に、ぼくも同意です。 映画でも絵画でも、芸術作品と言うものは「見る人によって見え方が違う」という所が、その価値なのだと思います。 一人一人、その人のこれまでの人生の経験によって、見え方は違います。 そして、見え方の違いこそが、人と人の違いであり、つまり個性なのだと思っております。 そして、一人一人が自分のその違いや個性を活かして、互いに力を合わせて組み合わさって行くことこそが、より大きな発展を生むのだと、ぼくは考えております。 そして、その人それぞれの見え方の違いに気付かせてくれる芸術作品と言うものが、ぼくは好きです。 さらに言えるのは、見え方というものは一人一人違うにしても、作品から受け取るメッセージがみんな違うにしても、 「より良い方が、良い」という事です。 自分の人生の成功のためにプラスになったり、社会の改善や発展のためにプラスになったりするような『より良い見え方・より良い受け取るメッセージ』があるはずです。 そして、それを発見するためには、『一人一人の見え方や、受け取ったメッセージについて、同じ立場で共有し合う』という事だと思っております。 共有する中で、より良いそれを磨き合い、より良いものが見つかって行くのだと、ぼくは思います。 そして、それが見つかった時、その芸術の価値は最高に高まるのだと思います。 さらに、ぼくがこのブログを使って、自分の考察を書かせて頂いているのは、 先述した「見え方と受け取ったメッセージを、磨くために共有する」という事のために有ります。 そういう意味で、 ぼくは日本人ですが、国や文化を超えて、中国人のりゅうさんが記事を読んで下さり、そして共感してコメントを書いて下さり、互いの見え方を共有する事が出来て、本当に嬉しく思います。 「人と社会のために、より良い方が良い」という前提となる価値観のもと、 国を超えて、文化を超えて、あらゆる違いを超えて、 このようにして、互いの意見を共有し合い、 そして、互いの意見を磨き合い、高め合う事が出来たのなら、 それは、より良い社会、より良い世界への、大きな一歩なのだと思います。 …このような目的で、ぼくは情報発信の活動をして行きたいと思っております! また何か感じるものがありましたら、ぜひコメントやご質問をしてみてください! コメントを下さり、ありがとうございました。

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