紫式部 日記 若宮 誕生。 『紫式部日記』 本文・現代語訳

紫式部日記「若宮誕生」 問題

紫式部 日記 若宮 誕生

説明は、後でします。 まず、ご指摘の「10月10余日」から「と、よろこばせたまふ」までは、道長の娘であり、一条天皇の后である彰子が、待望の男の子を産んで、それを喜んだ道長が、乳母が抱いている赤ん坊を抱き上げたり、抱いている赤ん坊からおしっこをかけられて、喜んでいる様子、が書かれているのですね。 で、次の「中務の宮」からご指摘の「苦しかんなりと、思ひよそへらる」までは、作者である紫式部の、現段階での心情を述べているのです。 訳すと、「道長様は、私が、中務宮に縁のある人間とおもって、その時、進んでいた中務宮つまり具平親王の娘と道長の息子との縁談について、私に、色々とお話をされるけど、本当は、こんな話は 嫌!なんです。 一条天皇が若君を見にこられるので、お屋敷を、菊で飾ったりして、それは、確かに、美しい光景だけども、どうも、今の私は、そんな気分にはなれません。 だって、出家したいのに、宮仕えをさせられているのですから。 水鳥が、楽しそうに遊んでいるけれども、あれは、私の姿なのかもしれません。 だって、浮ついているから。 でも、あの水鳥も、遊んでいるようにみえて、とても苦しんでいたりするかもしれない、なんて思ってしまいます。 」という大意になるでしょうか。 学校の先生(って、勝手に決めつけてしまってすみません)が、どのようにこの部分を説明したのかわかりませんが、この紫式部日記には、消息文 と言われる部分があって、それは、式部から他人にあてた書簡ではないか、と言われています。 ただ、現在、消息文は、この段のさらに後段の、正月を過ぎてからの記述だといわれています。 ただ、この日記も、また源氏物語にも、なぜか、式部が 嘆息した ような文章が交じっています。 質問者ご指摘の部分は、まさに、そのような記述部分かと思われます。 こういう文章が混ざっているので、理解しにくいのだと思います。 ご理解いただけましたでしょうか?もし、この部分がわからない、ということであれば、再度、当方までご質問ください。

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『紫式部日記』 本文・現代語訳

紫式部 日記 若宮 誕生

紫式部日記の内容 基本的には彰子の出産記録 紫式部日記に書かれた内容は多岐に渡ります。 ですが、基本的な内容は、彰子(しょうし)という女性の出産記録と、その後のお祝い事について書かれたものです。 彰子とは、紫式部が仕えていた女性で、一条天皇の妻です。 また、摂関政治で有名な『藤原道長』の娘でもあります。 このような関係上、紫式部日記は道長の要請によって書かれたものではないかとも言われています。 彰子の出産を間近に控えた何気ない1日から始まり、出産時の慌ただしい情景、そして出産を終えた彰子周辺の様子やお祝い事について書かれています。 日記によると、かなり難産だったようで、悲嘆に暮れる女房たちや、祈祷を行う僧侶たちの物々しい読経が絶えず行われている様子が綴られています。 この当時は医学が発達していないので、出産は母子ともにとてもリスクを伴うものでした。 なので、とても重苦しい空気に包まれていましたが、彰子が無事に出産を終えた時には女房たちが安堵し、泣き崩れていたらしく、みんな化粧(白粉)が剥げて酷い顔になっていたそうです。 また、彰子の父である藤原道長は、初孫の誕生に相当な喜びようだったと書かれています。 彰子サロンの雰囲気 道長の要請で書き始めた日記であることを考えると、紫式部日記の主題は彰子の出産記録です。 実際に、紙幅も多く割かれています。 なんですが、途中から紫式部周辺の様々な案件に対する個人的な評論ような内容にシフトしていきます。 つまり、出産とは関係ないことが書かれるようになっていきます。 この、評論部分は『消息文』と呼ばれ、紫式部日記の特徴でもあり、一番面白い部分でもあります。 一般的に紫式部日記と言えば、消息文の方が有名な感じもあります。 紫式部が嫌いな先輩たちと、どう付き合ってきたのかという処世術も知ることが出来ます。 また、彰子に仕える女房たちが消極的なため、雰囲気が良くないと言ったようなことも書いてあります。 他にも、宮廷に泥棒が侵入してきたときの話や、親友の『小少将の君』との間柄についても書かれています。 この消息文のおかげで、紫式部が源氏物語の作者であったことが判明するのです。 清少納言をこき下ろした才女批判 そして、消息文で最も有名な部分が、いわゆる『才女批判』と呼ばれる部分です。 多くの同僚女房の雰囲気や容姿について言及しているのですが、その中でも 『和泉式部』『赤染衛門』『清少納言』の3名については特に詳しく書かれています。 ちなみに、上記の3人に紫式部を加えた4名を『一条朝の四才女』と言います。 和泉式部の和歌は素人っぽいけど、情熱的な歌風、そして言葉の閃きは素晴らしい。 でも、彼女の男癖の悪さには感心しない。 赤染衛門の和歌は落ち着いた歌風。 夫の出世のために、宮廷内で夫の宣伝ばかりしていおり、また、おしどり夫婦でもあったので、夫の名前を取って『匡衡衛門(まさひらえもん)』というあだ名で呼ばれていた。 要約すると、おおよそ上記のようなことが書いてあります。 そして、清少納言については特に辛辣な内容が書かれています。 清少納言は、得意顔でとんでもない人だったようですね。 利口ぶって漢字を書き散らしていますが、その知識はまだまだ未熟で足りないことばかりです。 彼女のように、好んで人と違うことを望む人は、最初は面白がられてもやがて飽きられ、その行く末は異様なものになることでしょう。 風流を気取る人は、周囲と違っていようとするあまり、大したことでもないのに感動したり『素敵』と思ったりするので、そんなことをしている内に、一般的な感覚とかけ離れてしまい、自然と的外れで中身のない人間になってしまいます。 そんな中身の無くなってしまった人の成れの果ては、決して良いものにはならないでしょう・・・。 こんな感じです。 ただし、この清少納言評には注意したいことがあります。 和泉式部と赤染衛門は、紫式部と同僚の関係でしたが、清少納言と紫式部は宮廷出仕の時期が微妙にズレており、直接の面識は無かったとされています。 清少納言評が書かれた背景には、清少納言の枕草子が強く意識されています。 その辺の詳細は、コチラの記事で詳しく解説しています。

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紫式部日記若宮誕生品詞分解

紫式部 日記 若宮 誕生

紫式部日記「若宮誕生」 問題 若宮誕生(紫式部日記) 問題 次の文章は、寛弘五年九月一条天皇の中宮彰子が男子を出産して一ヶ月ほど経ったころの記事である。 これを読んで後の問に答えなさい。 十月十余日までも、御帳出でさせ給はず。 西のそばなるa 御座に、夜も昼も候ふ。 殿の、夜中にも暁にも参り給ひつつ、御b 乳母の懐をひき探させ給ふに、うちとけて寝たるときなどは、何心もなくc おぼほれておどろくも、いといとほしく見ゆ。 心もとなき御ほどを、わが心をやりて、ささげうつくしみ給ふも、ことわりにめでたし。 「あはれ、この宮の御しとにぬるるは、うれしきわざかな。 このぬれたる、あぶるこそ、思ふやうなる心地すれ。 」と、喜ばせ給ふ。 中務の宮わたりの御ことを、御心に入れて、そなたの心寄せある人とおぼして、語らはせ給ふも、まことに心の内は、思ひゐたること多かり。 行幸近くなりぬとて、殿の内をいよいよつくりみがかせ給ふ。 よにおもしろき菊の根をたづねつつ、掘りて参る。 色々うつろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植ゑ立てたるも、朝霧の絶え間に見わたしたるは、げに老いもしぞきぬべき心地するに、なぞや。 めでたきこと、おもしろきことを見聞くにつけても、ただ思ひかけたりし心の引く方のみ強くて、もの憂く、思はずに、嘆かしきことのまさるぞ、いと苦しき。 いかで、今はなほ、もの忘れしなむ。 思ひがひもなし、罪も深かなりなど、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふことなげに遊び合へるを見る。 問1 文中に動詞活用の意図的な誤用がある。 ただしたものを記しなさい。 その理由を20字以内で説明しなさい。 1 懐をひき探させ給ふとあるが、何のためにそのようなことをするのか。 一〇字以内(句読点は含まない)で簡潔に答えよ。 advanced Q. 2 老いもしぞきぬべき心地するのはなぜか、簡潔に説明しなさい。 advanced Q. 2 罪も深かなりと考えるのはなぜか、簡潔に説明しなさい。

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