名鉄 三河 線 事故。 【運転見合わせ】名鉄三河線 竹村駅~土橋駅間で人身事故が発生・・・現地の状況がtwitterで拡散される

三河線 人身事故に関する今・現在・リアルタイム情報|ナウティス

名鉄 三河 線 事故

120周年のきょう2014年6月25日、からにがはしるっていうしらせをきいた。 から(ちりゅう)までをはしってきた特急がやまがわのにはいって、(とよだし)までいくっていう経路で、リニアの開業にあわせて2027年から運行を開始する予定だっていう。 きょり40. 6キロ、所要時間40分以内で、内停車は土橋(つちはし)のみ。 名古屋からへは、きょりてきには地下鉄(つるまいせん)と(とよだせん)をつかっていく経路が31. 4キロとちかいだけど、おいこし設備がなくて急行運転ができんために、経由での特急をにのりいれすることにしただとおもう。 いや~、むかしはわが(にしおせん)のほうが1時間に1本のがあっただけどな~。 ほれもいまは1日に1往復だけになっちゃっとる。 かたや、はいま1時間に4本のふつう電車だけの運行なのに、特急がはしるようになるだね。 形勢逆転ってやつだ。 はクルマのまちでありながら、じつはこれまでコミュニティーバスの運行やらの一部区間での通勤時間帯のひんぱつ運行やら、市内主要駅での電光表示によるのりかえ案内やら、いろんな作戦で公共交通の充実にちからをつくしてきとるだけど、名古屋への速達化だけは、はたせんでおった。 ほれがこんかいのの運行で念願がかなうわけだ。 は 公共交通の充実をはかる一方で、まちなかへ施設を集中させ、駅を中心とした土地利用をすすめてきただけど、こうしたの努力がみとめられたともいえるじゃないかな。 (さんこう)• 〔ねたもと〕• は、リニアが開通する2027年をめどに、名古屋-間で直通の特急をはしらせる方針をかためた。 いまはかたみち1時間ちかい所要時間を40分以内にちぢめる。 2014年6月25日に創業120年をむかえるは、のの交通需要をとりこみ、のびなやむ本業のてこいれをはかる。 で名古屋からにいくには、とちゅうのでのりかえが必要。 ほのさきのは大半が単線で各駅停車だ。 はリニア開通にあわせ、のりかえなしの特急をはしらせる。 所要時間の短縮には、ほかの移動方法とくらべ不利な現状を解消するねらいがある。 高速道路をつかうと通常は40分前后ですむ。 名古屋地下鉄などをのりつぐと1時間弱だ。 は、リニア開通で豊田と東京方面のあいだで関係者らのいききがおおきくふえるとみこむ。 鉄道の利便性をたかめ、乗客をよびこむかんがえだ。 ほの準備として以前から、を段階的に複線化する準備をすすめてきた。 まあはい八橋(みかわやつはし)付近の工事が完了。 でも2023年ごろに完成する予定だ。 さらにさいきん、若林(やし)付近を2025年ごろに高架化、複線化することでとおおすじ合意し、の運行にめどがたったっていう。 は中核の鉄道がのびなやむ。 2013年度の乗客数は3億6千万人で、ピーク時の1991年度より1わりへった。 少子高令化のえいきょうもあるけど、へりかたはおおて私鉄のなかでおおきい。 リニア開通で東海地方のひとのながれがかわるのをとりこみ、成長につなげたいかんがえだ。

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名鉄三河線の鉄道人身事故一覧

名鉄 三河 線 事故

名鉄三河線連絡線 名鉄三河線連絡線 東海道の宿場町知立 ちりゅう は東海道本線のルートからそれ、知立に鉄道がやって来たのは大正になってからのことでした。 名鉄三河線の前身三河鉄道が1915 大正4 年10月28日に刈谷新 現刈谷 〜知立 現三河知立 を、1920 大正9 年7月5日には知立〜土橋を開業させました。 両線は当初レールがつながっておらず列車の直通はできませんでした。 そこで知立信号所 知立〜牛田にあった と三河線知立駅を結ぶ連絡線がつくられました。 なお知立、新知立両駅は名鉄合併後に統合、知立駅となり長い構内連絡通路で結ばれました。 しかし連絡線の線形から名古屋方面から三河線への直通列車が運転できず1959 昭和34 年4月1日に現在の知立駅が開業、 旧知立駅は名古屋本線側が東知立、三河線側が三河知立と別の駅に戻ってしまいました。 連絡線は貨物列車用に存置されたものの、貨物列車の廃止により1984 昭和59 年4月1日に廃止されています。 現在は無人で側線は保線車両の留置場所となっています。 連絡線は三河知立より猿投方面、名鉄知立寮裏手で分岐します。 三河線と離れしばらくは保線車両や資材置き場となっており線路は現役(?)のようです。 分岐後しばらくなかった架線柱が現れます。 線路は一応複線です。 小さなホッパ車やパワーショベル(鉄道専用)があります。 線路には草が生え保線車両には蔦が絡んでますが最近使われたことはあるのでしょうか。 県道285号線との交差部分で現役部分(?)が終わりますが踏切のレールは残ってます。 少し前まで警報機も残っていたと思いますが・・・ 踏切より先にもレールは残り、一部には架線まで張られています。 旧知立信号所跡、名古屋本線側の分岐器が撤去され、連絡線側の架線柱がなくなってます。 番外編・三河線旧線 三河線 山線 が三河知立を出て名古屋本線をくぐってきたこの地点で手前の生垣へ線路が延びていました。 こちらはテニスコート 名鉄が経営 化して跡形もありません。 刈谷方面へ延びる三河線 海線 にすぐ合流します。 撮影日 2004.

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名鉄三河線高浜港駅~三河高浜駅間で踏切事故!様子画像とドライバーの身元安否状態特定情報は!?目撃者のSNSでの反応公開

名鉄 三河 線 事故

8 24. 7 1,067 3 6 1,500 , 運行速度 最高90 路線図 三河線(みかわせん)は、のから愛知県のまでを結ぶ(名鉄)の。 概要 [ ] のから南北に分岐するで、名鉄路線の中では名古屋本線に次ぐ路線距離を持つ。 路線の前身はで、当初は全線が一体となって運行されていたが、に知立駅の配線が形状に変更されてからは同駅を境にが分断され、以来猿投方面の山地へ向かう北側を (やません)、碧南方面の海に近い南側を (うみせん)と通称するようになった。 2016年3月に導入されたは山線、海線とで別々の記号が付与された。 三河線ではが使われており、となっている一部の駅では右側通行でを行う。 これはの配置関係から左側通行より安全であることに加え、かつてを実施していた時の名残で、右側通行の方が通過列車の交換が容易であったためである。 は C(運賃計算に用いる距離は営業キロの1. 25倍)。 すべての駅でなどのが使用できる。 全線がの防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、列車の運行が休止されることになっている。 営業中の区間 [ ] 停車場・施設・接続路線 25. 2 MU02 1927- 刈谷新駅 -1927 26. 8 MU03 下り松川 - -2. 4 0. 4 MU05 : 33. 3 MU06 34. 3 MU07 排水路橋梁 36. 1 MU08 37. 1 0. 1 (臨)新須磨駅 III 1918 38. 2 MU10 1981- 38. 3 新須磨駅 IV 1926-1981 38. 4 (臨)新須磨駅 I 1915, II 1916 39. 8 0. 5 玉津浦海岸駅 41. 4 42. 1 蜆川 矢作川橋梁 423. 9m 矢作川 43. 6 47. 1 寺津駅 I -1927 47. 2 -1969 47. 7 II 北浜川 50. 0 市子川(一色悪水路) 51. 5 53. 5 矢作古川橋梁 56. 0 三河吉田駅 -1943 56. 696および 『鉄道ピクトリアル』通巻第816号 p. 101による 猿投駅 - 知立駅間 (山線) [ ] 山線区間はが盛んな愛知県の真ん中を貫いている。 同市の玄関駅はで、一駅北の梅坪駅からの中心へ向かう(名古屋市内はと相互乗り入れ)が分岐している。 三河八橋駅付近と豊田市駅 - 越戸駅間はであり、豊田市駅 - 梅坪駅間は豊田線の列車も走るためになっている。 越戸駅から猿投駅までは、林の中を抜けていくようなローカル色の濃い区間である。 2001年に線区の合理化を進めるべく、いち早くを開始した。 1973年までは上挙母駅からが分岐していた。 山線の有人駅は知立駅、若林駅(朝のみ駅員配置。 それ以外は駅集中管理システムにより無人)土橋駅、豊田市駅、猿投駅の5駅である。 乗客の流れは、知立駅からの名古屋本線、あるいは豊田市駅・梅坪駅から豊田線を経て、名古屋などとの往来が主体となるが、豊田市内の自動車関連工場への通勤利用による流れも見られる。 近年になって利用者が増加したため、従来の2両編成に替わって4両編成での運行が増加している。 知立駅 - 碧南駅間 (海線) [ ] 海線はで知られるを経て衣浦臨海工業地域東岸のに至る路線で、によって最初に開業した区間でもある。 近年は(JR東海)によるダイヤ拡充での利便性が向上し、接続する刈谷駅でJR線に乗り換えてやなどへ向かう乗客が増えている。 そのため知立駅経由(名古屋本線直通)で名古屋へ向かう利用客が減少したため、名古屋方面への直通電車を取り止めた。 海線区間のうち高架駅は刈谷市駅のみで、三河高浜駅と刈谷駅が橋上駅になっている。 知立駅 - 重原駅間、刈谷駅 - 刈谷市駅間が複線化されているが、区間が短いため列車のすれ違いはほとんどない。 ワンマン運転は2006年に導入されたが、山線側で採用されたホームへのセンサー取り付けは行われていない。 ただし、車両は山線の車両と共通運用である。 海線の有人駅は知立駅、刈谷駅、碧南中央駅の3駅である(高浜市の代表駅である三河高浜駅や終点の碧南駅は無人駅)。 乗客の流れは、知立駅からの名古屋本線、あるいは刈谷駅からJRの東海道本線を経て、名古屋などとの往来が主体となっている。 廃止区間 [ ]• 名鉄三河線 一部路線の営業終了案内(2003年) には両端区間( - 猿投駅間、碧南駅 - 間)が廃止された。 これらの区間は閑散区間で、西中金駅 - 猿投駅間は1985年から、碧南駅 - 吉良吉田駅間は1990年から合理化のため電気運転を廃止し、小型のであるによる運転に切り替えていた。 しかし両区間の乗客の減少は続き、名鉄は1998年11月24日に鉄道事業の合理化策として赤字路線6線区(末端区間と - 間、黒野駅 - 間、 - 間、 - 間。 同月中には翌2001年10月までに廃線とすることを沿線自治体に通知した。 本来の廃止予定だった同年9月末から沿線自治体による年間最大1億円(山線区間)の赤字補填で鉄道の存続が図られた ものの、このまま赤字補填を続けても近い将来に三河旭駅 - 中畑駅間の橋梁の架け替えに莫大な費用(150 - 160億円と概算)が掛かるとの懸念 から、西尾市が先立って存続を断念する表明をした ことで海線側の廃止(及び代行バス転換。 沿線自治体は・・・・)が決まり 、山線沿線自治体(・・・・)も追随する結果となった。 そして2003年3月27日には海線の 、8月6日には山線の廃止届がそれぞれ名鉄からを通じてに提出された。 廃止前の運行本数は一部時間帯を除いて毎時1本程度の設定で、全列車ワンマン運転であった。 多客期には増結が行われ、最大で3両(キハ10形の場合。 キハ20形・キハ30形では2両)での運転も見られた。 廃止後、山線廃止区間(西中金駅 - 猿投駅間)には豊田市から委託された・による(現・ さなげ足助線)が運行を始めた。 四郷駅 - 猿投駅 - 西中金 - 香嵐渓 - 足助 - 百年草を結んでいる。 一方、海線廃止区間(碧南駅 - 吉良吉田駅間)では代替バスとしてが運行を開始。 碧南 - 吉良吉田 - 吉良高校前間を運行している。 これは海水浴場の最寄り駅としての設置を決めた後、同駅北東部に位置するなどの誘致運動に対応したためといわれる(詳細はを参照)。 また、 - 間にある寺津高架橋は、三河南部からへのアクセス道路となる県道衣浦岡崎線への踏切設置を避けるためにおよそ20億円(国が11億円、県が9億円、名鉄は3000万円を負担)の費用で建設されたもので、11月に供用を開始して間もなく名鉄は区間廃止を表明したため、わずかな期間しか利用されなかった高架橋工事への批判が噴出した。 山線廃止区間は山間部ゆえに放置されたレールが落ち葉に埋もれるなど自然に還りつつある部分もあるが、地元自治体の活動(後述)によりやが広場として一部整備された他は駅舎・ホーム・レール・鉄橋(矢作川橋梁など)はほとんど撤去されずに廃線当時のままの姿が残っている(部分は撤去)。 同区間では廃止後、地元では廃線跡と未成区間の用地を活用し、遊歩道兼として猿投から足助までを結ぶ「でんしゃみち」構想が計画され、計画の一環として自治会による廃線跡の整備やボランティアによる路盤の手入れが行われている。 地元の構想に対し当初は豊田市も計画実現への意欲を示していたが、に伴う市財政の悪化によって計画の見直しが迫られることになり 、結局、2008年度からの(第7次豊田市総合計画)に「でんしゃみち」構想は盛り込まれなかった。 2019年11月には、名鉄と中日本航空が共同で実施するドローンによる貨物輸送の実証実験に使用された。 一方、海線廃止区間は前述の矢作川橋梁を含むレールや鉄橋などがほとんど撤去され、駅ものように駅舎が解体されたり、のように駅そのものが更地化されるなど、往時の面影を偲ばせるものは少なくなっている。 碧南レールパークになった三河旭駅跡地 未成区間 [ ] 山線の終点はであったが、が当初まで延伸する計画を立てていた。 しかし、の影響や用地買収の難航などが足助付近の建設に支障し、路盤のほとんどの完成を見た時にはの開戦に見舞われた。 敷設されるはずだったレールは南方戦線に供出されてしまい、ついに電車が走ることのなかったかつての路盤は現在、細い市道となっている。 足助にはの名所として知られるがあり、毎年秋のシーズンになると三河線に並行する()が激しい渋滞を起こすためになってしまったことが悔やまれているが、通年利用者数が期待できず、採算性の面から実現は乏しかったとする見方もある。 また、三河鉄道の子会社であるが取得していた八事(名古屋市) - 挙母間の鉄道敷設免許は、会社の合併によって三河鉄道、名鉄へと引き継がれ、紆余曲折を経てとして開業した。 路線データ [ ] 営業中の区間 [ ]• 路線距離():猿投 - 碧南間39. 8 km• :1067mm• 駅数:23駅(起終点駅を含む)• 区間:梅坪 - 豊田市間、知立 - 重原間、刈谷 - 刈谷市間。 それ以外は。 区間:1500V• :自動閉塞式• 区間 廃止年 路線距離 (営業キロ) 軌間 駅数 複線区間 電化区間 閉塞方式 西中金 - 猿投間 2004年 8. 6 km 1067mm 4 なし(全線単線) なし(全線) スタフ閉塞式(西中金 - 猿投間で1閉塞) 碧南 - 吉良吉田間 2004年 16. 4 km 1067mm 11 なし(全線単線) なし(全線非電化) 票券閉塞式 新川口支線 1955年 0. 6 km 1067mm 1 なし(全線単線) 直流1500V 大浜口支線 1946年 0. 4 km 1067mm 1 なし(全線単線) 不明• 猿投駅を除く• 碧南駅を除く、吉良吉田駅を含む• 交換可能駅は三河平坂駅のみ(同駅では朝のみ係員が派遣されて閉塞扱いが行われ、それ以外の時間帯は碧南・吉良吉田間を1閉塞にしたが施行されていた)• 新川町駅を除く• 大浜港駅(現:碧南駅)を除く 起終点について [ ] 『』による起点は猿投駅だが、1941年の名鉄合併時点では蒲郡駅が起点とされていた。 これは1936年の - 間(現、区間。 当時は三河鉄道)の開通で蒲郡駅がに最も近くなったため、猿投(西中金)方面が「下り」になったものと考えられている。 また、三河線は歴史的経緯(後述)により、距離を示すが2つ打たれている(三河知立駅起点と知立駅起点)。 列車運行および旅客案内、の設定においては、碧南駅から知立駅および知立駅から猿投駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。 猿投駅の20. 5キロポスト (三河知立駅のゼロキロポスト起点) 歴史 [ ] 11月に出身の代議士三浦逸平や刈谷の有力者大野介蔵、太田平右衛門、高野松次郎らと大阪の才賀電機商会のら計31人が発起人となって、大浜(現在の碧南市)からを結び、刈谷駅で東海道線に接続し碧海郡役所のある知立を結ぶ碧海軽便鉄道 (軌間762mm 動力蒸気)を申請した。 1911年7月に免許が下付されたが、同年8月に知立 - 挙母(豊田市)の敷設免許が下付された才賀が発起人総代の知挙軽便鉄道 (軌間762mm 動力蒸気)と合同することになり、1912年5月に創立総会を開き社長は地元の武山勘七が就任。 社名を とすること、軌間を762mmから1067mmにすることを決議した。 1913年1月刈谷から大浜港までの工事に着手したが、不況により株式の払込が不調であり、また株主から経営者に対する不満から武山勘七は社長を辞任。 久保扶桑にかわった。 ようやく1914年2月に刈谷新駅 - 大浜港駅間、1915年10月刈谷新駅 - 知立駅間と旧碧海軽便鉄道の区間が開業した。 ただその間社内では1914年9月に久保が死去、さらに事業不振の責任をとって役員全員が辞任するという事態が生じていた。 困った株主達はに社長の就任を要請し1916年4月になり神谷は社長となった。 開業時は大浜港(現在の碧南)、新川町、高浜港、吉浜、小垣江、刈谷町(現在の刈谷市)、刈谷新(現在の刈谷)の各駅と北新川の停留所が置かれ、14. 5kmの区間を所要時間1時間以上かけて運転されていた。 神谷は1916年11月に臨時株主総会を開き猿投越戸まで路線を延長すること、資本金を125万円にすることを提議し決議を得た。 そして自ら沿線町村をまわり株の引受を依頼し応募は順調にすすんだ。 路線は1920年7月から順次開通し1922年1月にまで開通した。 開通してまもなく財政を立て直した神谷は4月に死去した。 しばらくの間社長は空席状態が続き、専務にのがついた。 1924年2月には増資して資本金を525万円とすることにして北は足助町、南は蒲郡町への延長と既設線の電化を決定した。 1926年11月になり2代目神谷伝兵衛が社長に、専務には電気鉄道経営の専門家として社長のがついた。 1926年9月に神谷駅(後の松木島駅)まで延長され、1928年には三河吉田駅(現在の)まで開通した。 開通時に神谷駅と呼ばれた松木島駅は、神谷伝兵衛の出身地で、その功績をたたえて駅名を神谷とした。 1941年に三河鉄道は名古屋鉄道に合併された。 知立駅付近の変遷 [ ] 線形の変遷 三河線は知立駅でするとなっているが、現在の知立駅は3代目で、三河知立駅が初代および2代目知立駅(「B知立」)に当たる(詳細はを参照)。 名古屋本線の知立駅(旧・愛電新知立駅。 後の2代目知立駅の「A知立」)は三河線との交差地点上にあり、三河線の駅とは連絡橋で結ばれていた。 1959年4月1日に現在の知立駅が開業し、それまでの知立駅は名古屋本線のもの(A知立)が東知立駅、三河線のもの(B知立)が三河知立駅に改称された。 同時に新しい知立駅への新線が開通し、現在の線形となった。 貨物列車のため従来の線路も残されたが、貨物列車廃止後は廃線となり、今でも複雑に入り組んだ連絡線の廃線跡がかなり残っている。 複線化計画 [ ] 山線では沿線のに本社を置くが、前の高層ビルに営業部門を集結させたことや、沿線にある同社の工場へ通勤する上での電車利用を推進する方針を打ち出したことで、さらなる輸送人員増加が期待できることから、名鉄は2006年度からの新3カ年経営計画で、とともに「高架化、複線化、高速化など、需要に応じた投資を多角的に行う」と明示し、からまでの複線化計画についても本格的に検討を開始した。 すでに豊田市は、複線化用地取得費用の面で及び腰だった名鉄側の姿勢を見た上で、独自に区画整理事業、立体交差事業を進め、あらかじめ複線化対応での高架化を計画するなど、「後は複線の線路を敷設するだけ」という積極行動に出た。 2009年度に完成した三河八橋駅付近の高架化、2020年現在事業中の若林駅付近の高架化ではいずれも複線化が可能な幅を確保しており 、平面区間を含む上挙母駅 - 三河八橋駅間について、2027年のリニア開業に合わせて複線化が可能な状態にする。 また、優等列車の運行のため、2010年3月27日に橋上化が完了したにおいては、将来的に知立方面の増線(2面4線化)が可能な構造へと改良されたほか、高架化後の若林駅については当初から2面4線とされる予定である。 一方、知立駅についても、既に仮駅整備に向けた工事や一部の周辺整備事業が開始されているが、すべての完成予定は2023年度と、工事の進行が当初計画と比べて大幅に遅れている。 また知立市の計画では、当初より既にまで部分複線化されている海線側の高架化工事は複線対応で行う予定であったが、現在も単線である山線側については、一連の連続立体交差事業により知立駅と同時に高架化される予定のまでが複線化対応で、三河知立駅から三河八橋駅手前までの区間は、単線のままの高架化計画となっていた。 これは一つの事業としての費用を低く抑えるために、現時点で名鉄側との確約が取れていない複線化を先行して行わないという消極的判断によるものであり、この点は豊田市の対応とは対照的である。 しかし、知立市が行う一連の連続立体交差事業の事業費のさらなる圧縮と駅勢圏拡大のため、三河知立駅の高架化計画をとりやめ、高架区間から外れた知立市山町茶碓山に移転し、知立駅と同駅の間を複線化することとなった。 海線では1967年9月に沿線自治体4市により名鉄三河線複線化促進期成同盟会が結成されて以来、1976年の知立駅 - 重原駅間、1980年の高架化に伴う刈谷駅 - 刈谷市駅間の複線化がなされたものの、翌1981年にの移設開業では1面1線の駅構造となり、複線化対応は見送られた。 1984年に貨物営業が廃止されると各駅構内の整理が進み、間もなく吉浜駅、高浜港駅も棒線化された。 そんな中、2002年に河川改修に伴う周辺の工事では、刈谷市駅寄りにおよそ300mの複線区間が完成した。 なお、重原駅 - 刈谷駅間は全線に渡って複線分の用地は確保されており、JR東海道本線をまたぐ橋梁も複線分用意されている(2006年5月25日に撮影された国土地理院の空中写真には、下をくぐる市道を建設するため一時的に反対側に振り替えられている様子が映っている)。 年表 [ ]• 1911年(明治44年)• 7月18日 - 碧海軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(知立-大浜間)。 8月5日 - 知挙軽便鉄道に対し鉄道免許状下付(知立-挙母間)。 (45年) - 三河鉄道設立。 (3年)• - 三河鉄道が刈谷新駅 - 大浜港駅(現、碧南駅)間開業。 9月4日 - 鉄道免許状下付(西加茂郡挙母町-同郡猿投村間)。 (大正4年)• - として新須磨駅(初代)開業。 年内に廃止。 - 新川町駅 - 新川口駅間(新川口支線)開業(貨物運輸)。 - 知立駅(初代) - 刈谷新駅間開業。 - 大浜港駅 - 大浜口駅間(大浜口支線)が開業。 (大正5年)• - 臨時駅として新須磨駅(二代)開業届出。 年内に廃止。 (大正7年)• - 臨時駅として新須磨駅(三代)開業。 - 新須磨駅(三代)廃止。 - 三河高浜駅開業。 (大正9年)• - 知立駅(初代) - 土橋駅間開業。 - 土橋駅 - 上挙母駅間が開業。 - 上挙母駅 - 挙母駅(現、豊田市駅)間が開業。 12月2日 - 鉄道免許状下付(碧海郡大浜町-宝飯郡蒲郡町間)• 1921年(大正10年)11月2日 - 鉄道免許状下付(西加茂郡猿投村-東加茂郡足助町間)• (大正11年) - 挙母駅 - 越戸駅間開業。 (大正12年)• - 重原駅開業。 - 梅坪駅開業。 (大正13年) - 越戸駅 - 猿投駅間開業。 (大正15年)• 2月5日 - 大浜港駅 - 猿投駅間電化。 常設駅として新須磨駅(四代)開業。 - 大浜港駅 - 神谷駅(後の松木島駅)間開業、大浜口支線の哩程を0. 1マイル(約160m)短縮。 (昭和2年)• - 寺津駅移転。 - 建設の資材輸送の依佐美村大字高須山ノ田までの臨時専用線が開通。 - 臨時専用線の運転開始。 - 北寺津駅開業。 - 猿投駅 - 枝下駅間開業。 - 枝下駅 - 三河広瀬駅間開業。 - 臨時専用線廃止。 - 味浜駅を西一色駅に改称。 - 刈谷新駅を移設し刈谷駅に改称、国鉄との共同駅。 (昭和3年)• - 三河広瀬駅 - 西中金駅間開業。 - 付近でブレーキ故障により冒進した列車が対向列車と正面衝突する事故が発生 (を参照)。 - 愛知電気鉄道が知立駅(初代) - 分岐点信号所(後の)間(知立連絡線)開業。 - 神谷駅 - 三河吉田駅間が開業。 (昭和10年) - 玉津浦駅の構外側線として大浜臨港線運送専用線開通。 (昭和11年) - 蒲郡方面延長線(三河吉田駅 - 蒲郡駅間)全通。 (昭和16年)• 6月1日 - 名古屋鉄道が三河鉄道を合併、西中金駅 - 蒲郡駅間を三河線とする。 - 豊橋線(現、名古屋本線)新知立駅と三河線知立駅(初代)を知立駅(2代)に統合。 (昭和18年)• - 西尾線吉良吉田駅(初代)を移設し三河吉田駅に統合。 12月 - 刈谷乗務区を設置。 (昭和19年) - 北寺津駅休止。 (昭和20年) - 午後1時頃、竹村駅へ向かう列車が到着100m手前での戦闘機から銃撃を受ける。 即死2名、重軽傷者75人。 (昭和21年)8月1日 - 大浜口支線廃止。 (昭和23年) - 三河吉田駅 - 蒲郡駅間を蒲郡線として分離。 (昭和24年) - 神谷駅を松木島駅に改称。 (昭和25年) -。 知立連絡線を介して名古屋本線との直通運転を開始• (昭和27年) - 刈谷町駅を刈谷市駅に改称。 (昭和28年) - 被災、海線区間が冠水。 冠水した玉津浦駅• (昭和29年) - 大浜港駅を碧南駅に改称。 (昭和30年)2月1日 - 新川口支線廃止。 (昭和31年) - 油ケ淵排水路橋梁の改築工事竣工。 (昭和33年) - 足助駅 - 西中金駅間の免許失効、延伸計画を断念。 (昭和34年)• 4月1日 -。 知立駅(2代)を三河知立駅・東知立駅とし、新たに知立駅(3代)を設置して配線変更。 刈谷乗務区を知立乗務区に移転。 - 挙母駅を豊田市駅に改称。 11月1日 - 三河吉田駅を吉良吉田駅に改称。 - の被害により大浜臨港線運送専用線廃止。 (昭和39年) -。 「快速特急」運転開始(使用。 三河線内は普通運転)。 (昭和41年) -。 「快速特急」が線内で特急運転開始。 (昭和44年) - 北寺津駅廃止。 (昭和47年) - により西中金駅 - 猿投駅間不通、同年8月10日復旧。 (昭和51年) - 知立駅 - 重原駅間複線化。 (昭和52年) -。 定期特急全廃。 (昭和55年) - 刈谷駅 - 刈谷市駅間高架複線化。 (昭和56年)12月14日 - 新須磨駅(四代)を移設し碧南中央駅に改称。 (昭和59年)• - 貨物営業廃止。 4月1日 - 知立連絡線廃止。 (昭和60年)• 西中金駅 - 猿投駅間の電気運転を廃止し、を投入。 同区間で開始。 - 吉良吉田駅 - 碧南駅間のをタブレット閉塞式から票券閉塞式へ変更。 (昭和61年)10月1日 - 梅坪駅 - 豊田市駅間が高架複線化。 (平成2年) - 碧南駅 - 吉良吉田駅間の電気運転を廃止し、レールバスを投入。 同区間でワンマン運転開始。 (平成5年) -。 知立駅 - 碧南駅間を昼間時20分間隔から15分間隔に増発。 (平成6年)7月 - 三河高浜駅橋上駅舎化。 (平成8年)• 猿投駅 - 知立駅間を昼間時20分間隔から15分間隔に増発。 - 越戸駅 - 梅坪駅間のうち1. 1kmが高架化。 (平成10年) - 寺津高架橋完成。 三河楠 - 寺津間高架化。 (平成12年) - 越戸駅周辺高架化。 (平成13年)10月1日 -。 猿投駅 - 知立駅間にを導入、ワンマン運転開始。 (平成14年) - 前川河川改修工事により小垣江駅北300mを複線化。 (平成15年)10月1日 - 猿投駅 - 知立駅間の各駅にを導入。 (平成16年)4月1日 - 西中金駅 - 猿投駅間、碧南駅 - 吉良吉田駅間廃止。 (平成17年)9月14日 - 知立駅 - 碧南駅間の各駅に駅集中管理システムとトランパスを導入。 (平成18年) -。 知立駅 - 碧南駅間でワンマン運転開始。 (平成21年) - 三河八橋駅周辺高架化。 駅南約500mを複線化。 (平成22年) - 土橋駅橋上駅舎化。 (平成23年) - ICカード乗車券「」供用開始。 (平成24年) - トランパス供用終了。 2024年度 - 若林駅付近の高架化が完了する予定。 ホームに設置された赤外線センサー 山線区間では5時台、23時台を除き終日15分間隔で運行されている。 この区間にはが導入されており、からワンマン運転が開始された。 知立駅、豊田市駅、猿投駅を除く各駅にはホームに赤外線センサー が据え付けられ、列車発車直後の列車接触を検出するようになっている。 - 間には・・直通列車が運行される。 赤池方面からの電車と接続を図るため、知立行きの列車は豊田市駅にて5分から7分ほど停車する。 このほか、土橋駅で夜間滞泊する豊田線の運用車両の出庫を兼ねて、発豊田市行きが6時台と7時台に1本ずつ設定されている(休日は5時台と6時台)。 なお、でのイベント開催時など、臨時に列車を増発する際には線内のをすべて使用して毎時6本(約10分間隔)の運転となる。 山線の最長編成は地下鉄直通用の6両編成を除くと4両である(ただし、猿投駅に留置線がある関係でや疎開留置で山線全線に渡り6両編成の回送が運転されることがある)。 平日日中と土休日は2両編成が中心だが、平日ラッシュ時は4両編成の運転となる。 には豊田市で開催されたイベントへの参加者輸送のため、豊田市駅まで本線から直通のが運転された(6000系などを使用)。 名鉄標準の方向幕には通常三河線で使用される知立、猿投の他に豊田市も入っており、イベントなどで使用されることがある。 知立駅 - 碧南駅間 [ ] 運転台上部にある小型液晶モニター 海線区間においても約15分間隔の線内折返し運行となっている。 山線と同じく平日日中と土休日は2両編成が中心となるが、平日ラッシュ時は4両編成に増強される。 海線にも全線でより駅集中管理システムが導入されたことにより、からワンマン運転が開始された。 山線で採用されているホームセンサー方式は採用されず、で採用された小型液晶モニター支援によるワンマン運転となっている。 この区間の最長編成は山線と同じく4両である。 知立駅 - 重原駅間や北新川駅での列車交換はほとんどの時間帯で行われていないが、小垣江 - 三河高浜の往復に10分超かかるため、これ以上の増発は困難である。 以前は多数の名古屋本線直通列車が走っていたが、同改正で数本を残して廃止された。 同改正で残された直通列車のうち、三河線終着便 は2006年4月29日改正で消滅し、三河線発着便 も2008年12月27日改正で廃止された。 廃止区間 [ ] 廃止区間の西中金 - 猿投間、碧南 - 吉良吉田間は、廃止時点でレールバスを使用しての区間内折り返しワンマン運転で、60分間隔の運行であった。 また出入庫の関係上知立までの直通列車も存在していた。 平日朝のみ三河平坂駅での折り返しや列車交換も行われていた。 使用車両 [ ] ここでは基本的に2001年以降の車両について記述する。 現在の車両 [ ] 6000系 海線における平日午後の1往復と山線の梅坪 - 豊田市間に乗り入れる豊田線の電車をのぞき、基本的にワンマン運転対応車で運転され、車内放送は自動放送によって行われている。 ワンマン運転対応の車両はホームセンサー対応で、自動放送装置のほかにホーム監視のためのモニター、運転席の放送用マイク、などを装備するが、都市型ワンマンのため、整理券発行機や運賃箱などは設置されていない。 また、全編成とも先頭車は前面貫通型となっている。 ワンマン対応の車両である6000系はで名古屋本線など他の路線でも運用されている。 なお、山線の沿線でイベントが開催されて列車の増発が行われた場合には通常の三河線用のワンマン車両だけでは足りなくなるため、通常は当路線での定期運用のない、、、などが入線することがある。 ただし三河線では猿投 - 土橋間をのぞき3500・3700系・3300系などの車の入線は基本的に行っていない。 :通勤用3ドア車でワンマン仕様のものは全席ロングシート。 当路線のワンマン用としては2両編成12本と4両編成8本が在籍。 2両編成のうち11本は1980年 - 1983年に製造された開閉可能な窓を持つ、俗に言う中期車で、ワンマン化に際して側窓の下部に保護棒が取り付けられた。 2両編成のもう1本(6014編成)は1978年製、4両編成は1976年製・1977年製(6004編成と6005編成)・1979年製で、これらは固定連続窓を持つ、俗に言う初期車である。 、・・:これらは地下鉄鶴舞線規格の20m4ドア車で6両編成を組む。 いずれも全席ロングシート。 当路線では基本的に豊田市 - 梅坪間の1区間のみに乗り入れてくるが、名鉄車のみ前述の早朝に2本設定のある土橋発豊田市行きの運用がある。 この運用では自動放送は行われない。 三河線内では6000系とは編成の向きが逆である(犬山線内の向きを基準としたとき、三河線内では豊橋寄り先頭車が6000系では猿投向き、100系・200系では知立向き)。 過去の車両 [ ] 7700系• :もともとは()の中間車として1975年に12両が製造されたものであるが、1984年にこのうちの2両(モ7101号とモ7104号)のみ6000系8次車と同様なスタイルの先頭車に改造されたものである。 当初は4両編成を組んでいたが、1987年に2両編成に組み直され、さらに2001年にワンマン化され、7700系と共通運用されていた。 7700系と同様の2ドアの転換クロスシート車であったが、こちらの方はロングシートの割合が多かった。 2009年11月27日に定期運用を離脱し、2日後にを行った。 :もともとはセミパノラマカーと呼ばれ、7000系が入線できない支線区の特急車として運用されてきた。 1973年に4両編成4本、2両編成4本が導入された。 特急運用離脱後は三河線を中心に運用され2001年に8本ともワンマン化された。 しかし、老朽化によって運用を終えることが決まり、2010年3月21日にさよなら運転が実施された。 運用終了時では名鉄で唯一方向幕を持たない車両であった。 :当路線全線でのワンマン化にともない当路線での定期運用はなくなっていたが、2009年10月5日に行われた車両運用の一部変更によって、平日午後に限って海線に1往復定期運行が再開された。 休日の同運用は6000系であったが共に車掌が乗務し、車内放送も車掌の肉声によって行われていた。 また、この6800系と上記6000系のうちの非ワンマン仕様の2両編成のほとんどは固定セミクロスシートとなっていた。 2011年3月26日のダイヤ改正で元のワンマン車両による運用に戻り、定期運用を再び離脱した。 :2008年6月、2009年9月から10月の間、猿投検車区(現・)へ疎開留置された5000系一部編成による定期運転が週1往復設定されていた。 また、ワンマン化される以前は前出の6500系や3500系のほか、やなども主に本線との直通列車で定期運用があったほか、1990年代半ばまではやなどの旧性能車による定期運用も存在した(こちらの方は晩年は線内運用が主体であった)。 このほか、7000系もかつては臨時特急で猿投まで乗り入れた。 団体列車のみではあるが、8800系や1000系も乗り入れたことがある。 非電化区間が廃止されるまではレールバスも(猿投検車区での給油のため)で電化区間を走っていた。 電化区間ではレールバスはワンマン運転をしていなかった。 利用状況 [ ] 愛知県の統計によれば、2010年度(平成22年度)の輸送人員は、 29,984千人(一日平均82,147人)、輸送密度は 16,758人であった。 廃止前の廃止区間(西中金 - 猿投・碧南 - 吉良吉田)を含めた輸送人員は、2002年度(平成14年度)は一日平均72,424人、2003年度(平成15年度)の一日平均74,200人と、全線の約3分の1にあたる25kmもの区間が廃止されたにもかかわらずほとんど変わっていない。 なお、猿投駅、豊田市駅、刈谷駅、刈谷市駅等の利用者数はここ数年は上昇傾向にある。 駅一覧 [ ] 全駅に所在。 営業中の区間 [ ] 普通列車のみ運行。 全列車、各駅に停車。 1 1. 1 | MY09 1. 1 2. 0 4. 4 5. 8 7. 8 10. 6 12. 3 15. 4 17. 1 20. 7 21. 2 23. 7 25. 6 26. 6 29. 0 31. 4 | MU06 1. 9 33. 0 34. 3 | MU08 1. 8 36. 0 37. 1 38. 2 | MU11 1. 6 39. 上挙母駅: - 廃止• 新川町駅:名鉄新川口支線 - 廃止• 碧南駅:名鉄大浜口支線 - 廃止 廃止区間 [ ]• 駅名・所在地などは廃止時点のもの。 営業キロは西中金駅起点(各支線は割愛)。 0 | 2. 8 2. 8 | 1. 3 4. 1 | 3. 0 7. 1 | (現存) 1. 5 8. 7 49. 1 (廃止) | 0. 9 50. 0 | 0. 7 50. 7 | 1. 5 52. 2 | 1. 0 53. 1 54. 5 55. 8 | 0. 5 56. 3 | 2. 3 58. 6 | 1. 5 60. 1 | 2. 0 62. 1 | (現存) 2. 7 64. 新川口支線(1955年2月1日廃止) 駅名 駅間 キロ 接続路線 所在地 - 名古屋鉄道:三河線 碧南市 (貨)新川口駅 0. 6 大浜口支線(1946年8月1日廃止) 駅名 駅間 キロ 接続路線 所在地 - 名古屋鉄道:三河線 (貨) 0. 4 12 吉良吉田駅(現存) 未成区間 [ ] 足助駅 - 追分駅 - 中切駅 - 野口駅 - 東中金駅 - 連続立体交差事業 [ ] 知立駅付近にて(鉄道高架化)を実施している。 事業主体は愛知県で、2023年度に事業完了予定。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 乗車駅によってはJR線経由の方が運賃も安くなる。 ダイヤ上、知立駅 - 重原駅間には土休日早朝の3本、刈谷駅 - 刈谷市駅間には平日早朝の1本(784列車と781列車)のみ、複線区間でのすれ違いが認められる。 2004年が当初の廃止期限であったが、代替バスの運行開始を学校の新年度に合わせることで半年の前倒しとなった。 後にこの区間には三河高浜駅が増設され、夏の海水浴シーズンには新須磨臨時停車場が設置された。 取締役の神谷伝兵衛は2代目。 その後現在はとなっている三河吉田駅 - 蒲郡駅間も三河鉄道により敷設され1936年に開通した。 当該区間は1941年の名古屋鉄道合併後も三河線を名乗っていたが、1948年に蒲郡線に改称された。 官報では11月15日• 赤外線センサーはあくまでもセンサーであり、ホーム柵としての機能はない。 また、降車した客がセンサーを遮り、発車した電車が緊急停車することがしばしば発生している。 液晶モニターを使用するのは無人駅のみで、有人駅や共通運用先の山線区間ではモニターに何も表示されない。 弥富発碧南行き2340列車。 名古屋本線内は急行。 碧南方面の終電。 碧南発佐屋行き843列車。 これは豊田線の電車も同様。 なお、放送は豊田線および犬山線から地下鉄鶴舞線に乗り入れる電車ともども、やと同じく女声によるものとなっている。 トラブル発生時などには適宜運転士がマイクによる肉声で放送する。 出典 [ ]• 太田貴之「輸送と運転 近年の動向」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 38頁。 - 名古屋鉄道、2016年3月14日• 『名鉄時刻表 Vol. 26』名古屋鉄道、2011年、70頁、264頁。 『中日新聞』2003年2月28日朝刊33面「名鉄三河線 碧南 - 吉良吉田間 来年3月末で廃止」• 交通新聞社 : p. 2004年4月7日• 『』1998年11月25日朝刊1面「名鉄が赤字鉄道廃止 岐阜・愛知両県の6線区 地元に意向」• 『中日新聞』2000年3月3日朝刊1面「名鉄 三河線など赤字6線区 廃止、9月までに届け出」• 『中日新聞』2000年3月16日夕刊10面「三河線の区間廃止方針通知 名鉄が豊田市に」 『中日新聞』2000年3月17日朝刊20面「碧南市などにも通知 三河線区間廃止で名鉄」 『中日新聞』2000年3月31日朝刊西三河版18面「西尾市と一色町に三河線廃線を通知 名鉄」• 『中日新聞』2000年7月20日朝刊西三河版22面「三河線 猿投 - 西中金 豊田市などが赤字を補てん 名鉄に3年間の存続要請へ 碧南 - 吉良吉田 2市3町は対応を協議」 『中日新聞』2000年8月17日朝刊15面「赤字補てん条件 3年存続を要請 名鉄三河線で2市3町」 『中日新聞』2000年9月27日朝刊1面「岐阜県内の赤字4線区 名鉄きょう廃止届 1年後には廃線 愛知県の2線区 最長04年秋まで」• 『中日新聞』2001年2月28日朝刊西三河版18面「名鉄三河線碧南 - 吉良吉田間 バス化など代替交通検討へ 廃止視野に 西尾市長が検討」• 『中日新聞』2001年6月5日朝刊西三河版18面「『来年度にもバス化を』 名鉄三河線 碧南 - 吉良吉田間 西尾市長が表明」• 『中日新聞』2002年5月9日朝刊西三河版18面「路線バスの素案説明 三河線の碧南 - 吉良吉田間廃止で碧南市」 『中日新聞』2003年2月28日朝刊33面「名鉄三河線 碧南 - 吉良吉田間 来年3月末で廃止」• 『中日新聞』2002年11月26日朝刊県内市民版18面「名鉄 廃線は予定通り 三河線猿投 - 西中金間 住民要望に回答」 『中日新聞』2002年12月3日朝刊30面「名鉄三河線の猿投 - 西中金間地元5市町 存続断念」• 『中日新聞』2003年3月28日朝刊34面「三河線廃線を届け出」• 『中日新聞』2003年8月7日朝刊26面「三河線の廃止届提出」• 『中日新聞』2000年3月17日朝刊愛知県内版20面「県議会 委員会 三河線区間廃止方針 県側『遺憾』と不快感 国と県が大半出資 高架化間もない…」• 徳田耕一「名古屋鉄道三河線」『新・鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』今尾恵介、JTBパブリッシング、2010年、159頁。 豊田市. 2016年3月21日閲覧。 - 中日本航空、2019年10月23日• 碧南市. 2016年3月21日閲覧。 碧南市. 2016年3月21日閲覧。 『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、名古屋鉄道、1961年、687頁。 新實守「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』徳田耕一、JTB、2001年、155頁。 『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、名古屋鉄道、1961年、293-294頁。 『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、名古屋鉄道、1961年、296-297頁。 - 愛知県、2016年2月8日• 『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、名古屋鉄道、1961年、870頁。 碧南市. 2016年3月27日閲覧。 『新愛知』朝刊、1928年4月2日• 『朝日新聞』朝刊、1928年4月2日• - 国立国会図書館デジタルコレクション、2014年10月19日閲覧。 新實守「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』徳田耕一、JTB、2001年、156頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、216頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、986頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、994頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1000頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、398頁。 新實守「三鉄ものがたり」『名鉄の廃線を歩く』徳田耕一、JTB、2001年、160頁。 碧南市. 2016年3月27日閲覧。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1018頁。 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1058頁。 徳田耕一「1993年8月 地下鉄鶴舞線全通と名鉄ダイヤ改正」『鉄道ピクトリアル』第581巻、電気車研究会、1993年10月、 59頁。 『名鉄時刻表 Vol. 13』名古屋鉄道、1996年、3頁。 交通新聞社 : p. 1996年9月10日• 「鉄道記録帳2003年10月」『RAIL FAN』第51巻第1号、鉄道友の会、2004年1月1日、 19頁。 - 国土交通省、2019年3月30日閲覧。 『名鉄時刻表 Vol. 26』名古屋鉄道、2011年、64頁、258頁。 豊田浩基「名古屋鉄道 列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、 241-242頁。 『名鉄時刻表 Vol. 20』名古屋鉄道、2005年、83頁、292頁。 『名鉄時刻表 Vol. 22』名古屋鉄道、2007年、96頁。 愛知県統計年鑑(平成24年度刊)10-6「鉄道輸送状況」より。 翌年度から愛知県内合計のみの記載となっているため、路線別の情報としては最新となる。 愛知県. 2018年9月25日閲覧。 関連項目 [ ]• ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 外部リンク [ ]• (名古屋鉄道).

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