バーネット ニューマン。 バーネット・ニューマン/Barnett Newman

「崇高はいま」バーネット・ニューマン

バーネット ニューマン

20世紀アメリカの画家であるバーネット・ニューマン(1905-70)が1948年に雑誌『タイガーズ・アイ』に寄稿したエッセイ。 このエッセイは、生前ニューマンが発表したテクストのなかでもとりわけ有名なものである。 ただし、「崇高はいま」の議論の対象となっているのは、(しばしば「崇高」と形容される)ニューマン自身の絵画ではない。 ニューマンはここで、19世紀以降の近代絵画の展開に言及しており、それらが従来の造形性、形式性からの逃避のみに力を注いできたことを批判している。 ニューマンによれば、古代ギリシャ以来、西洋の芸術は「美しい」造形性と「崇高な」精神性との葛藤のうちに置かれてきた。 近代絵画の歴史は、ルネサンスにおいて隆盛を極める前者の「美」から「崇高」へと移行せんとするものだったが、それらはあくまでも造形の次元における試みにとどまっていたという点で誤りだったとニューマンは言う。 彼の言う「崇高」とは、ある絶対的なものを志向する作家の精神性のことなのである。 そのうえでニューマンは、同時代(1940年代当時)のアメリカの一部の画家たちが、そうした西洋の絵画的伝統から解放されつつあるという点を積極的に評価している。 著者: 参考文献• 『芸術/批評』0号, 「崇高はいま」, バーネット・ニューマン(神林恒道訳), 東信堂, 2003•

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バーネット・ニューマンの絵画における空間

バーネット ニューマン

ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵のバーネット・ニューマン「十字架の道行き」連作14点が信楽のMIHO MUSEUMで特別展示されるとの情報を得た時には二重の意味で驚愕した。 このような展覧会が日本で開かれることが一つ、そしてMIHO MUSEUMという会場で開かれることが一つ。 しかしいずれにも理由があった。 まずワシントン・ナショナル・ギャラリーは現在改修中のため、作品の大規模な貸し出しが可能となったようである。 そういえば先日も私は三菱一号館美術館で印象派を中心にしたこの美術館のコレクション展を見たばかりであった。 ニューマンの14点組はミュージアム・ピースと呼ぶべき作品であるから通常であれば貸出しはありえない。 (唯一の例外は作家の回顧展であろう。 私は2002年、テート・モダンで開かれたニューマンの回顧展でこの作品を見ている)このような機会に、こともあろうに日本への貸与が実現したことは奇跡のように感じられるが、これには二番目の事情、つまりMIHO MUSEUMという会場が関わっている。 この二つの美術館はいずれもI. ペイが建築を手がけており、建築がとりもつ縁でこのような展覧会が可能となったらしい。 私は以前にもMIHO MUSEUMを訪ねたことがある。 レセプションから美術館まで電気自動車で向かう行程はロスアンジェルスのゲッティ・ミュージアムを連想させ、地上から楽園へ、宗教法人でなければありえない豪奢な造りの美術館である。 しかしコレクションに現代絵画は含まれておらず、展示はガラスケースが多用されるから、果たしてニューマンの大作が映えるのだろうか。 このような懸念は会場に入るや霧消した。 ゲストキューレーターにポロック展の大島徹也氏を迎えた展示はさすがによく練られている。 展示効果は劇的といってよい。 その完成度において私は以前このブログでも論じた川村記念美術館でのロスコ展を想起した。 今述べたとおり、私はこの連作を2002年にロンドンでニューマンの回顧展でも見ている。 その際にも強い印象を受けたが、今回とは比較にならない。 これらの作品は回顧展の一部としてではなく、あくまでも独立した連作として見られるべきであろう。 それどころか展覧会全体の印象としては今回の方が強いかもしれない。 まさにモダニズム絵画の絶頂を画する作品であり、必見の展示といえよう。 「十字架の道行き Stations of the Cross」とはキリスト教美術にとって伝統的な図像の一つである。 キリストが死刑を宣告され、十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩み、そこで磔刑に処されるまでの物語を14の場面に分けて描くものであるが、場面が多すぎるせいか、「聖衣剥奪」といった図像が単独で描かれることはあっても連作として知られる例としてはマティスのヴァンス、ロザリオ礼拝堂の装飾プランしか思い浮かばない。 マティスの作品に関して岡崎乾二郎が「ルネサンス 経験の条件」の冒頭で詳細な分析を加えたことは記憶に新しい。 私たちはまずニューマンがここに展示された連作を長い期間にわたって制作した点に注目しなければならない。 《第一留》と《第二留》が1958年に制作された後、この連作は基本的に二年間に二点ずつというペースで制作され、1966年に最後の二点が完成された。 つまり連作の開始から完成までには8年もの時間が費やされている。 これらの連作に関して私は二つの事実を指摘しておきたい。 一つは遅さである。 14枚の作品は8年の年月をかけて制作された。 少し長くなるが、ニューマンのステートメントを引用する。 誰かが私にこれらの「十字架の道行き」をつくるように求めたのではない。 それらはどこかの教会から委嘱されたものではない。 それらは慣例的な意味における「教会」芸術ではない。 だがそれらは私が感じ理解するところの「受難」にまさにかかわっている。 そして私にとって一層重要なことは、それらが教会なしに存在しうるということである。 私はこれらの絵画を8年前に始めた。 何であれ絵画を始めるに際して私がとってきた仕方で、つまり描くことによって、自分が何か特殊なものをここで扱っていることに思い至ったのは作品を描いているさなかのことであった。 (そのとき私は4番目のものに取り組んでいた)あの瞬間、それらの絵画がもっていると感じられた強度が、私に「十字架の道行き」のことを思い起こさせたのである。 作家が述べるとおり、委嘱された仕事ではないから期限があった訳ではなかろう。 しかし今回のカタログの論文にもあるとおり、当時ニューマンは不遇の中にあった。 ほかの抽象表現主義の画家が華々しい成功を収める中で、作品は売れず、57年には最初の心臓発作が作家を襲っている。 しかし逆境の中にあっても作家は実にゆっくりとしたペースでこの連作を制作している。 上の引用にあるとおり、自分が何を扱っているかを想到したのが四番目の作品を制作している時であったというから1960年、最初の作品を描き始めてから2年後のことである。 作家自身も自分が何を描いているのか理解するまでに2年もの時間がかかったのである。 それはニューマンにとって初めての体験ではなかっただろう。 ジップ絵画、そしてこの連作は作家にとってもそれがどのような意味をもつかを確信するまでに長い時間を必要としたのである。 色彩や構図といった要素を可能な限り排除した二つの絵画は垂直のジップのみによって成立する点で共通している。 絵画が対として構想されている点が二番目の事実だ。 《第一留》と《第二留》は1958年に制作され、《第三留》と《第四留》は1960年といった具合に二年ごとに二点というペースがほぼ踏襲されている。 先にも述べたとおり、「十字架の道行き」はよく知られた物語であり、伝統的な図像である。 しばらく前に私はメル・ギブソンの「パッション」を見て、この道行きの苛酷さと凄惨さをあらためて思い知った。 もちろんニューマンの作品にはキリストはおろか具象的な対象は一切描かれていない。 色彩は白と黒に限定され、注目すべきは地塗りされないカンヴァス、いわゆるロウ・カンヴァスが導入されている点だ。 ただし今回、作品を実見して初めて気づいたが、作品中、《第十二留》(主題としてはキリストの死、クライマックスとなる箇所だ)は黒ではなくグレーが用いられている。 きわめて微妙な色調の変化なので、実物を見なければわからないし、複製をとおした場合、今回のカタログのような大図版で、あらかじめ差異を見出そうとしなければ識別することの困難な相違である。 ロウ・カンヴァスの意味については後で論じる。 もう少し子細に作品を見てみよう。 《第十四留》など面的な構成がとられた数点を除いて、垂直のジップが画面の左端と画面に向かって右四分の一あたりに貫入している。 ただしジップは時に絵具を塗り込んで、時に塗り残して実現されており、色彩の存在と不在、ポジとネガとして成立している。 画面にはニューマンとしては比較的珍しい刷毛や滴りの跡が残されているが、興味深いことには多くイメージの右側に残されているため、全体としてこの連作は左から右への方向性を帯びている。 今回の展示においても、《第一留》から《第十四留》までは展示室内で時計回りに、つまり左から右へ向かって陳列されている。 カタログで確認する限り、64年のグッゲンハイム美術館においても同じ方向性を伴って展示されていた。 時に崇高に擬されるニューマンの絵画における特殊な享受の体験はこのような直接性、そして非時間性と関わっている。 モダニズム絵画の知覚の特殊な時間性はマイケル・フリードがミニマル・アートを批判する根拠となった。 ニューマンの絵画における時間性はこれとは異なり、作家自身のテクスト「崇高はいま」にいたる豊かな問題群を形成しているが、ここで詳述することは控える。 そこでは一枚の絵画ではなく連作として一つの主題を確立することがめざされている。 この連作の主題については先にも引用したステートメントの中でニューマン自身が次のように述べている。 4枚目の絵画を制作する中で初めて得られたというこの主題はこの連作においていかに実現されているであろうか。 私の予断を述べよう。 ニューマンにおいて絵画の主題は、私たちの体験の審級を知覚から事件へと転じることによって実現されている。 通常私たちは絵画を視覚的に認知する。 絵画とは視覚的であるがゆえに、図版を介しても再現可能であり、作品に直面せずとも同じ経験が与えられるとみなされてきた。 しかしニューマンの絵画の知覚はやや異なる。 先に色彩に関して述べたとおり、一見黒に見える色彩は実見するならば濃いグレーであり、図版として再現するにはあまりにも精妙なのである。 おそらく同様の困難は例えばロスコの絵画にも認められる。 ロスコ・チャペルの深い紫の壁画は天井から差し込む自然光の効果とも相俟ってその相貌を刻々と変える。 抽象表現主義の大画面はその巨大さゆえに単純な視覚的体験に還元されない特殊な視覚を形成する。 ニューマンの大画面は観者の身体を函数として成立しており、見る者に対していわばその場限りの知覚を与える。 作家自身が鑑賞に際してなるべく作品に接近するように求めたというエピソードはこのような知覚の成立に関与している。 このような体験がミニマル・アートの作家たちに大きな示唆を与えたことに疑いの余地はない。 一度きりの視覚、再現されない視覚とは知覚ではなく事件と呼ばれるべきではないか。 さらに「十字架の道行き」においては作品のみならず、観者も事件の契機となりうる。 キリストが十字架を背にヴィア・ドロローサを歩んだように私たちも時間をかけて絵画の中を歩むのだ。 私たちが事件を体験することによって主題が実現されると言ってもよかろう。 私はワシントンを訪れたことがないので、ナショナル・ギャラリーでこれらの作品がどのように展示されているか知らない。 しかし作家の生前になされたグッゲンハイム美術館での展示の写真を確認する限り、観者は建築の構造上、《第一留》から《第十四留》までを順番にたどったはずだ。 この行程は不可逆的だ。 つまり一つの方向性とともに展示室をめぐることが作品の構造に組み込まれている。 ニューマンのジップ絵画に特徴的であった、瞬時的あるいは非時間的な知覚と、「十字架の道行き」の知覚は大きく異なる。 この点はカタログの中でも次のように指摘されている。 ニューマンは「場の感覚」の重要性について繰り返し論じている。 通常のジップ絵画において私たちが絵画によって「場の感覚」を与えられるのに対して、「十字架の道行き」においては私たち自身が「場の感覚」をつかみとらなければならない。 ジップ絵画の単数性に対して「十字架の道行き」の複数性。 最初に述べたとおり、この連作が二点ずつ対比されつつゆっくりと制作された事情はかかる問題と関わっているだろう。 両端にオレンジと黒が細く塗り込まれたこの作品も構図において特異である。 私はこの作品にニューマンがあえて「存在せよ」というタイトルを与えた点に興味をもつ。 カバラ的解釈に立つトマス・ヘスはこれをユダヤ教において創造主が被造物に発する命令であると理解する。 しかし私はこの命令は私たち観者にこそ向けられているのではないかと考える。 つまり絵画という場の中に「存在せよ」と命じられているのだ。 「十字架の道行き」において色彩が白と黒に限定されていることはすでに述べた。 このほか地塗りされないロウ・カンヴァスも作品の重要な構成要素だ。 ニューマン自身もロウ・カンヴァスが必要に迫られて導入されたと述べ、次のように続ける。 「それは数ある色彩のなかのひとつとしてではなく、(中略)私は素材それ自身を真の色彩へとつくりかえなければならなかったのである。 白い光のように、黄色い光のように、黒い光のように」ロウ・カンヴァスは色彩ならざる光として導入されたのである。 「十字架の道行き」がモノクロームと光によって描かれているとするならば、それは「教会なしの受難劇」の表象にまことにふさわしい。 ニューマンの絵画の前に立つ時、私たちを満たす圧倒的な感情については多くが論じられてきた。 「十字架の道行き」をめぐりながら、私たちは作品の主題から現実の展示まで重層的に「場の感覚」が実現されていることを知る。 本来ならば作品が設置された場でなければ体験できないかかるセンセーションをもはや《アンナの光》なき日本において体験すること、それはまさに一つの奇跡といえよう。

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【美術解説】バーネット・ニューマン「カラーフィールド・ペインティングの代表格」

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語源 [ ] もともとは巨大な絵を制作することを通して、観客を包み込むような「場所」を作り観客に超越的な感覚を与えたいと語っていた画家の絵画を評して、批評家がに使った言葉であった。 この言葉は、色彩( カラー)を使ってキャンバスに「場( フィールド)」を出現させようとした同時代の抽象画家、特に などの作家について説明するためにも使われるようになった。 色彩と場 [ ] グリーンバーグの説明する「場」とは、部分や要素の集合ではなく全体性や構造こそ重要視されるべきとしたを応用したものである。 カラーフィールド・ペインティングで作られる絵画平面では、色面に中心や焦点がなく、「地」と「図」(柄と背景)の区別もなく、厚みもなく平面的で、どこをとっても均質で、画面を越えて色面がどこまでも続いているように見える、「オールオーバー」といわれる画面作りがされている。 ここでは、絵画はのぞき窓ではなく、を乗せた単なる平面だと認識された。 そのため、画面の中に三の奥行きや世界があるように錯覚させる陰影や透視法などヨーロッパ絵画の伝統的な「イリュージョン」は否定されている。 また花や人物、幾何学的図形といった主役となる中心(ヒエラルキー)は「地」と「図」の区別をつくってしまうためこれも否定されている。 色彩はこうした陰影や物を描くために従属的に使われるのではなく、平面自体が主役となるような場を作るために使われている。 クレメント・グリーンバーグは、これら色彩や輪郭線の区別のあいまいな絵画作品を、に自ら企画した展覧会名にちなみ「 ポスト・ペインタリー・アブストラクション」(「絵画的抽象以降の抽象」、「地」に何か「図」が描いてある絵画的な状態を克服して、平面的で一切のイリュージョンを廃した抽象画)と呼んだが、最初にニューマンを評した際に使ったカラーフィールド・ペインティングが定着した。 フォーマリズムとモダニズム [ ] グリーンバーグは、同時期の絵画を評して使われた「」という用語の、美術家の 行為を重視する見方より、美術家が作り出す絵画の 形態を重視するの立場を強調し、内容よりも形態こそが美術を批判的に評価して前進させる原動力と考えていた。 彼は、 美術は自己批判を繰り消しながら余計な物をそぎ落とし根本的な要素までし、形態・輪郭・色彩が平面上ですべて一つになる「形態的な純粋性」にいたる途上にあるとして、カラーフィールド・ペインティングをモダニズムの前衛として評価した。 他の時代の美術との関係 [ ] 還元的になりすぎたカラーフィールド・ペインティングは1960年代には一旦下火になりグリーンバーグも大きな批判を受けたが、その作家たちは以後も試行錯誤を続け後進の美術家たちに影響を与え、1990年代以降にはグリーンバーグも再評価の動きがある。 カラーフィールド・ペインティングの原点を、20世紀前半のに求める考えもある。 また、観客を包み込み空間を変容させる作品、というアイデアは、1970年代以降のにもつながっている。 カラーフィールド・ペインティングの代表的な画家 [ ]• (Yoshiro Negishi) 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ].

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