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命 ある 限り 生き抜い た 先 に

「命ある限り生き抜く」 ある雑誌に瀬戸内寂聴さんが語っておられました。 私は瀬戸内さんの小説は一冊も読んだことがありません。 出家されたのはもう30数年も前だったでしょうか、当時流行作家のお一人でした。 その瀬戸内さんは幼いころからとても優秀だったらしく、大学を出られたあと小説家になられたのですが、優等生によくありがちな不良に憧れ、いつしかのめり込んでいかれたそうです。 ご自身も語られておられましたが、家庭を捨て、子供も捨て、悪いこともたくさんされながら小説を書き続けたそうです。 そんな流行作家の地位まで捨て仏の道を選ばれたのは一体何だったのか? ご本人は確固たる信念がなければ本当の小説は書けないと気づかれたそうです。 自分にはそれがなかったと云われています。 そして何か人間より大きな存在に救いを求めたいという思いにかられたそうです。 それが仏門に入られた理由だったようです。 私はそんな経緯を知りませんでしたから、驚きと大きなチカラの導きの尊さを改めて感じたのです。 まもなく中尊寺で得度式を迎えます。 頭を丸める際に天台宗では毀形唄(きぎょうばい)という声明を横で奏上するそうです。 毀形とは形をこわすことを云い、まさしく女であることをこわす、浮世の人間であることをこわす、ことになったのです。 丸めたご自分の顔を鏡で見て、「ああ、これが自分か」と思ったら、ストンと何かがわかった気がした、と述べられていました。 執着を捨て、裸になると人間は何かを悟るのかも知れません。 瀬戸内さんはこの度の東北大震災に病の身体をおして、被災地の方々が震災から目が覚め、途方に暮れるであろう時期を見定め、慰問と説法に赴かれました。 その様子はテレビでも何度も放送されていました。 印象に残った言葉は、 「命ある限り生き抜いてください。 必ず明るい光が待っていますから。 ね、頑張ってください。 」 という言葉でした。 あの小さい身体から光が放たれているようでした。 瀬戸内さんは90を迎えようとしています。 仲間だった川端康成さんや三島由紀夫さんなど作家の多くが先に行き、死に対する恐怖感はないそうです。 ブッダ(悟りの人)を目指して仏教僧は修行を積むのですが、ご本人はいたって楽天的で、この世はいっぱい楽しんだ方がいい、と云っておられます。

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命 ある 限り 生き抜い た 先 に

これは、三浦綾子氏の恩師の一人である榎本保郎牧師の生涯を綴ったもので、同系列の作品として『愛の鬼才』(西村久蔵について)、『夕あり朝あり』(五十嵐健治について)があり、ほぼ同時期に書かれている。 『ちいろば』はこの「恩師」三部作ともいうべきものの一つである。 三浦綾子氏は一九六四年に四二才で文壇デビューを果たし、一九九六年まで文学創作活動を続け、一九九九年秋に多臓器不全によって死去されている。 九〇年直前は、いよいよ綾子氏の闘病生活が過酷なものになってきた時期であり、死期を悟る中で、どうしても自分の恩師達について、作品として世に伝えておきたいという気持ちがあったのではないか。 さて三浦文学が多くの独創的な特徴を持っていることを、これまで何度か論じてきた。 そのうち特に重要と言えるのが、三浦文学の「証の文学」そして「キリスト教と出会う日本人」という執筆姿勢である。 そして、これらの要素は独立してあるのではなく、密接に関係し合っている。 まずそれらのベースになっているのは、三浦綾子が通過した戦前戦中と、敗戦後の日本人としてのアイデンティティ喪失、そしてキリスト教に出会って新たな自分を見出したという経験である。 その綾子氏が、正しい生き方、意味のある生き方とは何なのかを真摯に探し求めてきた自分の姿を、小説の形で表すことで、三浦文学が成立してきた。 それをフィクションの形で表したのが『氷点』『ひつじが丘』などであるが、真実の生き方をテーマとする三浦文学は必然的に、その題材を架空のものではなく、実体験に基づいたものに求めるようになった。 自分自身の人生を題材として書いたのが幾つかの自伝やエッセイ、そして他者を題材としたのが歴史小説や伝記小説である。 実はキリスト教には、日常の生活の中での様々な出会いを「証」として共有する伝統があり、三浦文学はこれを文学創作に展開したものだった。 ゆえに三浦文学は「証の文学」とも呼ぶことができる。 次に『塩狩峠』(一九六六年)、これは名前こそ違うが実際にあった、人命救助の殉教の話であり、最も初期の伝記小説とみなすことができる。 次には自伝小説の代表『道ありき』三部作(一九六七年~)、そして最初の本格的な歴史小説が『細川ガラシヤ夫人』(一九七三年)である。 この後、これらの形式を取り混ぜる形で文学執筆がなされ、晩年まで続いている。 敢えて言えば、初期は史実ではなくフィクション的に書いていた、これが本格的にノンフィクションとして確立したのが『細川ガラシヤ』の時である、ということである。 しかしこれらの作品群にはフィクション、ノンフィクションを問わず、一貫して「証の文学」という姿勢が貫かれており、両者の本質的差違は認められない。 例えば歴史小説において綾子氏の描いた人物像は、無論、実際の史実とはある程度違うものであるといわざるを得ない。 しかし綾子氏は、最も自らの琴線に触れ、私自身に良いものをもたらすものは何かという観点で材料を取捨選択し、主観的枠の許す限度いっぱいに、「良きもの」として、その人の人生を描いていることが読みとれる。 そして、この「証の文学」が晩年に結実したのが「恩師」三部作ということになる。 であるので、三浦作品を深く味わいたい方にはここに挙げた作品群をぜひ読んでみていただきたい。 綾子氏は、戦時中は日本の正しさを信じ切り、終戦と同時にガラガラと価値観が崩壊し、虚無的な人生に転落する。 その後知己との出会いを得てキリスト教によって生まれ直した。 『夕あり朝あり』にも、その三浦ストーリーが展開されていたが、本作は物語の前半分近くが終戦までの話に費やされ、その後、榎本保郎氏が劇的にキリスト教に改宗し、二年後には精力的に牧師として開拓伝道をはじめる。 またその姿にかぶるように、日本各地で様々なキリスト者によって伝道が進んでいく様子が描かれており、さながら日本全土をキリスト教に改宗するかのような勢いで描かれている。 三浦ストーリーが社会・国家スケールのものとして展開されているのである。 なお、「ちいろば」の意味は、榎本牧師が神学生時代に、イエスがエルサレムに入城する際、立派な馬ではなく小さなロバにまたがっていった逸話から来ており、才能も実力も何もない自分だが、神の命ずるままに、そのみこころを成していきたいという決意をして、榎本牧師自ら「ちいろば」と名付けた小冊子を作っていたことから来る。 しかし一つ注目すべきこととして、この物語後半では、「ちいろば」こと榎本牧師が展開していた、アシュラムという運動に焦点が置かれている。 三浦作品の一つの特徴として、単にキリスト教の素晴らしさを訴えるだけでなく、現状のキリスト教会が抱える問題に対してもシビアな目を向け、イエス・キリストの愛を実践的に伝えるという、教会のリバイバル運動を志向していたことが挙げられる。 アシュラムへの言及は、そうした意味合いを持っていると考えられるのだ。 アシュラムは強いて訳せば「退修会」という意味で、簡単に言えば祈りの集いである。 これは名高い宣教師のスタンレー・ジョーンズ博士によってはじめられたもので、牧師の説教を聞くことが主ではなく、一人ひとりが聖書の言葉を読み、深い瞑想と祈りの時間を持つというものである。 榎本牧師はこのスタンレー博士のアシュラムに参加し、これこそがいまの日本のキリスト教に必要な内容だと確信し、三〇代という牧師としてはひよっこの年齢にも関わらず、この祈りの集いを精力的に展開していく。 この集いは大きな反響を呼び、「保郎は、今後自分は、二度、三度、いや一生、この方法を日本のキリスト教会に広げる運動を続けるに違いないと思った」とのことである。 アシュラムによってキリスト教をリバイバルすることはできたのか。 その答えはとりあえず保留のまま、というところであろうか。 晩年、榎本牧師は一般教会を抜け出て、一九七五年にアシュラムセンターを設立し、七七年七月にはブラジル伝道へ向かうが、持病が悪化して果たせず、内臓出血によってロサンゼルスで没した。 壮絶な人生である。 この人生に触れて熱烈なキリスト者になった方々もあり、今も精力的に活動を続けているのは事実である。 三浦綾子がこの本を残したことで、榎本牧師の人生は半永久的なものに昇華したともいえる。 榎本牧師の原点もまた、三浦綾子の志向する、素朴な神との出会いなのだといえる。 しかし、キリスト教は厄介な理論をもっており、プロテスタントにおいては人間が神に出会うことは基本的にできない、という捉え方がある。 アシュラムはこの観点から、牧師や教会など、人間的なものを通してではなく、聖書のみ言という絶対的なものを通じて神に出会うべきである、という切り口でリバイバルを進めていると考えられる。 しかし聖書を読んだ後、祈るのは個人であり、そこにどういう個人の主観が入るのかを客観的に正すことができない、というジレンマを抱えている。 確かにその個人個人は祈りによって恩恵を得たと感じるかもしれないが、それが主観の域を超えないということである。 きついことを言えば、全くの思いこみであり、分派や反社会的方向に向かう可能性は、ゼロではない。 榎本牧師の開拓伝道も、もとは神学生時代に信仰の訓練として山間での寮をはじめたことから始まっている。 この期間に、知り合いの宣教師夫妻からいただいた作業ズボンの中に偶然、一ドル紙幣が入っていた。 これを資金に、子供向けの小さな山間学校をはじめたところ、親たちから熱心な願いを受けて継続・拡大し、やがて寄付を募って保育園兼教会をつくるようになった。 また、例えば榎本牧師がキリスト教に入信する切っ掛けをつくった、戦時中の友人・奥村光林の話も出てくるが、彼は戦後、千人の村をまるごとキリスト教に改宗するという奇跡的伝道を成し遂げる。 このまま行けば、日本が丸ごとキリスト教になってしまうかのような勢いである。 しかし現実はいささか厳しいようだ。 キリスト教はカソリック、プロテスタント合わせて日本の人口の一%に満たないというデータがある。 特に一九六〇年代以降は、アメリカにおいてキリスト教理念を相対化するカウンター・カルチャー的な流れがあり、今も米国の思想的また社会風潮をつくっているといっても過言ではない。 このあおりを受けて、日本はアメリカ以上にキリスト教に対する相対化が進んでしまった。 いま日本では、クリスチャンというものは古くさい伝統道徳に過ぎないとして排除し、あるいは関わるにしても神を信じず人格的にイエスの人生だけを尊敬する、といった捉え方がほとんどなのではないか。 こうした状況を、ポストモダンと呼ぶ。 モダンは何かしら時代をリードするイデオロギーがあり、これによって理想的な社会などを構築していくことが可能である、という雰囲気をもった時代である。 しかし、そうした真に正しい価値観など結局ないのだ、という深いあきらめの時代、これがポストモダンである。 キリスト教人口の伸び悩み、また信仰の変質というものは、キリスト教がこのポストモダンの時代に対応しきるには何かが欠けている、ということを端的に示している。 三浦綾子を含めた現代のキリスト教は、具体的には、共産主義のように社会を具体的に変えることを切り捨てた、神本主義のような限界点があったのではないか。 申し訳ないが、現代の風潮を見るにつけ、筆者としてはこう疑問符を置かずにはおれない。 例えば本作『ちいろば~』でも、後宮(うしろく)俊夫・日本キリスト教団議長(一九八八年まで在任)が、ちいろばこと榎本保郎牧師の人生に触れて信仰を持つくだりが描かれる。 後宮俊夫氏は、榎本牧師の開拓教会における最も初期の女性信者の息子で、真珠養殖会社を経営していたが火事に遭い、以来保郎牧師の教会活動を手伝うようになる。 しばらくして保郎氏が企画した一週間の春期農民福音学校が始まったが、全く生徒が集まらず、宛名書きを手伝っていた俊夫氏が急遽、生徒役を務めることになった。 ここで講師に立った舛崎(ますざき)外彦牧師と、保郎牧師自身の伝道の証を聞いた俊夫氏は、感動と共にこう内省する。 <(あの二人を、あのように喜ばせ、生き生きと奮い立たせ、動かしているものは何や。 それこそがキリストではないやろか)>。 そして、自らに新しい生き方の可能性を見出す。 <(信じてみよう……神はいるか、いないか、その何れかや)いないと信じて生きるのも、いると信じて生きるのも人生なら、どちらの人生に賭けるべきか。 いないと信じて生きる人生に平安と希望があるかどうか、榎本保郎に見る活力に満ちた人生、舛崎外彦に見る喜びにあふれた人生、それが欲しければ、いるほうに賭けるべきだ。 俊夫はそう思った>(文庫版p474)。 そしてその夏に俊夫氏は正式に入信し、牧師の道を歩むのである。 終戦後、喪失感と荒んだ心にさいなまれていた保郎氏は、戦地で出会ったクリスチャンの友人に影響されて、『浦上切支丹史』『長崎二十六聖人の殉教』という本を読む。 ここに描かれた、十代前半にして殉教した幾人もの少年たちの姿に、保郎氏は自らの半生を比較して、<これだ、ここにこそ自分のいのちをささげるものがある>と、涙ながらにキリシタンになることを誓ったという(文庫版p272)。 ここに一つのキーワードがある。 すなわち、保郎氏も、前述の後宮俊夫氏も、また三浦綾子氏も、自らの人生を捧げるに足る何かを探し求めていた、ということである。 これらいずれの人々も、戦後という日本のアイデンティティ喪失期にあって、そうした人生を捧げる価値あるものの存在を信じられなくなっていた。 しかしキリスト者の生き様に出会い、このような生きがいある人生を持つためには、自らもキリスト者となり、神を信じる生き方をする以外にない、このように結論し、キリスト者としての人生を選択したということなのである。 それは、終戦後、人生に於ける喪失感の極限を通過し、キリスト者としての人生に生きがいを見出した、三浦綾子氏の半生と切っても切り離せないものとして文学形成がなされているからである。 しかしそれは時として、ある深みに踏み込むことがある。 『ちいろば~』文中で綾子氏は保郎氏に、このような言葉を妻に向かって語らせている。 <こないだもなあ、こんな短歌見て、ぎくりとしたわ。 神の御子(みこ)けだもの小屋に生れしさま 炉辺(ろべ)にぬくぬくとゐて吾は読む という歌な。 ほんまやなあ思った。 ……ぼくたちは何のええ行いがなくとも救われる。 けど、救われたあとは、それでええのやろか。 なにもせえへんで救われたからというて、救われたあとも何もせえへんでええのやろか。 救われた感謝の表れが、何か出てきて当然やないのか>(文庫版p667)。 あるいは実話から採ったのであろうか。 実はこの話は、キリスト教義における行義・信義の問題に踏み込んだ内容である。 中世カトリックが権威主義に流れた時代、聖書の学びを中心として信仰刷新運動が展開され、プロテスタントが形成されていった。 この第一人者であるルターは、新約聖書の「パウロ書簡」を中心に信仰義認説を構築した。 これは、ルターが人間の罪の問題を深刻に考え抜いた末の悟りであり、人間は善行ではなく信仰によってのみ義とされ、人間を義とするのは神からの一方的な恵みである、と考える捉え方である。 この信仰義認説に従って、ルターは後年、同じく新約聖書に納められている「ヤコブ書簡」を攻撃、聖典から外そうとする排斥運動を展開している。 実は、「ヤコブ書簡」はまさに榎本保郎が実感として語った、善行の必要性を訴えているのである。 つまり保郎氏、そしてこの実話?を敢えて採用した三浦綾子氏は共にプロテスタントの伝統的信仰義認に対して、キリスト者の実感として、やはりキリストの愛を実践し、生活の中で現していかなければ、真の意味で救われたとは感じないではないか、と主張しているのである。 ここに、三浦文学の非常に挑戦的な姿勢というものを見出すことができる。 三浦文学が単なるキリスト教伝道を旨とするのではなく、リバイバルの訴えかけと捉えることができる由縁である。 綾子氏の伝記は、実際には七部数えられるが、タイムラインでみると、三部作『道ありき』は綾子氏が伝道された前後から小説家として認められるまで、『道ありき』三冊の後が幼少時やキリスト者になる直前の内容を綴ったもので、『命ある限り』二冊が『道ありき』の第四部、五部のような形を成している。 そして本作の最後<この多忙を極めた年の大晦日の夜、私は俄然三十八度の熱を出したのである。 >という文章が事実上の絶筆と認められる。 なお、<多忙を極めた年>とは一九八四年のことで、文章は一九九七年三月に発表されている。 綾子氏は肺結核、脊椎カリエス、直腸ガンなど病気との闘いを続けながら執筆生活を続けてきたが、一九九二年に難病パーキンソン病であることが判明。 それ以来いよいよ創作活動が難しくなり、一九九七年から本格的な入院生活に入った。 そして一進一退の中、一九九九年十月に七十七歳の生涯を終えた。 本作を読むと、最後に近づくほど死や病との闘いを意識した文章が随所に見られ、非常に感慨深い。 第十章「ちいろば先生を辿る旅」で綾子氏は、本論前回まで紹介していた伝記小説『ちいろば先生物語』執筆準備のため、その主人公であり綾子氏の恩師にあたる、榎本保郎牧師の足跡を辿ってアメリカに渡り、その死去の様子までを取材している。 十一章「神の恵みの旅」で、綾子氏はアメリカに続けてローマに飛び、念願であったエルサレム巡礼を果たす。 次に古い知己でありキリスト者かつ新聞記者である門馬義久氏の来訪を受けて、『氷点』『泥流地帯』『天北原野』など代表作に登場するゆかりの地を案内するが、そこで自らの作品をフラッシュバックのように振り返り、それぞれの作品に込めた思いを語っている。 次にまた『ちいろば~』の榎本牧師や『愛の鬼才』の西村久蔵氏、そしてこれらに登場する有名なキリスト者などについて語り、絶筆へつながっている。 戦前・戦中の自分を「石ころのような」人生と呼び、戦後のアイデンティティ喪失の中からキリスト教に出会ってアイデンティティの再生を果たした、代表的日本人としての三浦綾子が、最後に人生の結論であるかのようにエルサレム巡礼を果たし、またキリスト者としての証を綴った作品やキリスト者の知己を振り返って執筆を締めくくったというのは、実に象徴的に感じられる。 しかし最後に一つだけ疑問も生じてくる。 いわゆるキリスト教にアイデンティティを移すことは、それまでの日本を全否定することにつながらないか? ということである。 『命ある限り』は、敢えて言うなら人生の結論としてキリスト教に改宗し、エルサレム巡礼を果たすというストーリーである。 しかし、現在の日本においてキリスト教人口があまりにマイノリティであること、また社会全体の流れが閉塞状況に向かっていることなどをみたときに、綾子氏のキリスト教オンリーのあり方が果たして正しいのだろうか? と考えざるを得ないのも事実なのである。 これまで本論では小説『氷点』、伝記小説『塩狩峠』、自伝『道ありき』、歴史小説『細川ガラシヤ夫人』、そして伝記『愛の鬼才』『ちいろば先生』などの三浦作品を紹介してきたが、これらは切り口こそ違え全て同じ原点、すなわち戦後日本人がいかにキリスト教と出会ったかを証そうとするものであったといえる。 「伝道のためでなければ文学を書かない」と三浦綾子氏は明言しておられたが、実際の作品を読むと、文字通りの伝道というより、実感としてのキリスト者の生き方にコミットする内容であることが分かる。 キリスト者として生きることがいかに素晴らしいか、この感動を再発見し、恩恵として分かち合おうというスタンスである。 つまり三浦作品は、キリスト教の正当性を証明しようとするよりも、個人の人生のアイデンティティ問題に関わる内容、意味ある生き方とは何かという訴えかけであった。 しかし現実問題として、日本社会においてキリスト教が、三浦綾子個人においてそうである如く社会のアイデンティティを担い決定的な影響を与えているとは言い難い。 ゆえに三浦作品は畢竟、外へキリスト教を紹介し伝道するというより、むしろ内部のリバイバルへの訴えかけへと向かわざるを得なかった。 キリスト者が信仰生活を「守る」だけではなく、外に働きかけて、現代社会を実際に生み変えてみせなければならない、という訴えかけである。 実はこのリバイバルが成功した時、はじめて綾子氏のキリスト教オンリーのあり方も正当性を得るのであって、現時点では、それは果たされていないと見るべきであろう。 残念ながら、いまだ疑問符は外せないのである。 それだけに、三浦綾子の何たるか、その本質部分を示す作品となっている。 前回も紹介したように、本作の最後は、綾子氏が夫と共に宿願であったエルサレム巡礼を果たした(一九八四年のこと)時の様子、そしてキリスト教関係の知己や自らの書いた作品のハイライトを回想する形で締めくくられているが、これらはまさに綾子氏のアイデンティティに関わる部分であった。 改めて全体の流れを見直してみると、本作第一巻は『氷点』が朝日の懸賞小説に入選した瞬間から書き起こされている。 その後、キリスト者の立場から文学作品を著す中で、取材での出来事、メディアとの関わり、夫が退職し夫婦で作家として自立した際の様子、そしてこれらに併せて教会生活での出来事が語られていく。 第二巻も同じような内容が語られるが、第一章「苦難をテーマに」、第六章「激しき痛み」、第八章「死を覚悟して生きる」など章のタイトルからも分かるように、徐々に闘病生活や死への意識がメインを占めるようになっていき、クライマックスとして、先に述べたエルサレム巡礼と回想が語られている。 これに対比する内容として、以前書かれた伝記『道ありき』三部作は、本人が戦前熱心な教師だったころから書き起こされ、戦後のアイデンティティ喪失、キリスト教との出会い、そして『氷点』入選までが書かれている。 『道ありき』がキリスト者である個人・三浦綾子の有り様を描いていたのに対して、『生命ある限り』はキリスト者である作家・三浦綾子の有り様を描いたということである。 キリスト者の個人としての生き方は、ある意味シンプルな求道生活がベースである。 しかしキリスト者の信仰を活かしつつ作家として歩む場合は、社会との関わりが重要になってくる。 メディアは諸刃の剣であり、どんなに良いものを書こうと心掛けても、思わぬ所で誤解を生んだり、人を傷つけることがあり得る。 こと文筆によって生活の糧を得ている場合、キリスト者としてはその責任を感じずにはいられない。 例えば恩師・五十嵐氏(『夕あり朝あり』の主人公)などからは、小説など書いては信仰を失うのではないか、と露骨に心配されたそうである。 信仰を持った立場で、これを純粋に保ち、有機的に活かしつつ文学創作を続けていくのは、なかなか困難な作業なのである。 綾子氏はある時、奇妙な夢を見たのだが、夢の中で薄汚れた一軒の家を訪ねると、陰気な女性が「あんた、誰?」と、うさん臭げに聞いてくる。 綾子氏は名刺を出したり、自分の書いた小説の題名をいろいろ挙げて自分が三浦綾子であることを証明しようとするが、彼女は「そんなものが、どうしてあなたが三浦綾子だという証拠になるのですか」と首を横にふり続ける。 最後に綾子氏が聖書の言葉を「神は愛なり」「汝の敵を愛せよ」など口に出すと、ようやく三浦綾子であると納得してもらった。 この夢について綾子氏は、「これは、キリスト信者である私の本質と深く関わるところであって、これをぬきにして、私自身を語ることはできないと、夢の中でも思っていたのだろうか。 」と自己分析している。 また別のエッセイ集『夢幾夜』(一九七七年執筆)で紹介された夢も、同じくアイデンティティ的なものに関わる材料を示してくれる。 例えばある時夢の中で綾子氏は、真っ暗な、急な坂道を濁流に向かって転げ落ちていく。 「あそこが地獄だ!」と直感し、もう駄目だと思ったとき、崖の途中で誰かにしっかりと抱きかかえられる。 その人がイエス・キリストであった、という。 この夢などは疑いようもなく、何も信じられず地獄へ向かっていた自分がイエスによって再生されたという、まさにその如くの意味である。 また綾子氏は共産主義に関わる夢も頻繁に見ていた。 同エッセイの別の夢の中で、綾子氏は、共産党員で立派な本を経営するK氏から、初対面で結婚を申し込まれる。 結婚を受諾した後、よく話を聞いてみるとK氏は、本の置き場がなくて、書庫を作ってもらうために結婚するのだと言い、綾子氏はがっくりするが、それでも書庫だけは作ってやろうかなどと考えている。 さらに別の夢の例として、ある時綾子氏は、戦前に勤めていた小学校の運動場でカール・マルクスをおんぶしてあげる。 そこでふと綾子氏が「やっぱりマルクスは、キリスト教におんぶされなければ、駄目なのかしら」と言うと、マルクスが可笑しそうに笑った、というのである。 共産主義の創始者カール・マルクスは、同化ユダヤ人の出自であり、西欧のキリスト教的な文明社会のあり方に疑問を抱いて、無神論に基づく共産主義社会の到来を唱えていた。 『道ありき』によれば、三浦綾子は戦後しばらく共産主義に浸って、神を信じない、すなわち虚無的な人生を過ごしていたという。 つまりこれらの夢を解釈するなら、まず結婚云々の夢は、綾子氏の、マルクス主義に影響されていた頃の自分に対する評価が示されていると思われる。 書庫は、知性や知識の象徴であり、マルクス主義の本屋というのは、神を否定した人生の象徴であろう。 それは知性・知識としてはステータスのある立場だが、神、すなわち根源的な愛を否定したことによって、非常に実利的かつ虚無的な人生に向かう。 だから、結婚という人生の重大事において、面識もない相手と、本の置き場がないという実利的かつ虚無的な目的で結婚してしまうのである。 次にマルクスを背負う夢であるが、綾子氏に背負われているのはマルクス主義に影響されていた頃の綾子氏自身であり、背負っているのはキリスト教によって再生した現在の綾子氏なのだ、と解釈できるだろう。 自らが何者であるか、何を出自とし、どこへ向かおうとするのか。 綾子氏は、このアイデンティティの根拠として、キリスト教を選択した。 そして綾子氏は、キリスト教に出会って再生を果たした人生、その素晴らしさを周囲に伝えたいという動機から執筆活動を続けていった。 こうしたエッセイからも、また『命ある限り』の文章の流れからも、この原点が伝わってくる。 (英).

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GONGの歌詞

命 ある 限り 生き抜い た 先 に

余程じゃない限り 眠るように死ねる人は ほとんどいませんよ! 毎日のように 誰かが 死にたいとスレする… 本当に 嫌になります。 でも それだけ辛いんですよね…。 あなたの苦しみを 取り除いてあげたい 何も出来ない 自分に腹が立ちます…。 レスありがとうございます。 楽な死に方はない… そうですか… 眠るように死ねたら幸せですよね。 自分の老後の心配をしてしまうのです… 独身で子供もいません面倒を見てくれる人もいません。 厚生年金ももらえません。 国民年金では食べていけないと思うので 働けなくなったら死ぬしかないと思うのです。 レスありがとうございます。 ピンピン コロリは一番理想な死に方ですね。 私が一番心配なのは病気で寝たきりになったり、ボケ老人になり周りに迷惑をかけるのが一番嫌なんです😥• じゃあ良かった。 今、死にたいわけじゃないんですね。 人間は、人に沢山迷惑をかけて死ぬものなんだそうです。 いやらしい話、そのためにお金を貯めておく必要がありますね。 お金がなかったら誰も親切にしてくれませんから。 そして、沢山感謝をして、自分の大切な人に看取られながら死んでいくのが一番ですね。 それは誰だって嫌ですよ~望む人なんかいてへん…皆同じ。 私は自分の人生を全うしたい。 自分の人生が『幸せ』だったかどうかなんて…息絶える前に振り返ってみて初めて分かる事やと思うし。 自分が一生懸命生きてれば…そう悪い死に方はせんのちゃうかな~って考えてやな生きてられへんのちゃうかな。 どんな親から生まれたにせよ、今、命あるんやさけ…長いか短いか分からん自分の人生は最後まで生きてるよ。 そやさけ、なるべく笑ってたいな~今まで苦しい時ばっかりやったけど…決められた道らないんやし、これから先の道は自分で作っていけるやん。 私は~今出来るんは一生懸命仕事する事…それだけしか思い付かんさけ、働いてるよ。 息抜きにミクル覗いて、たまに笑ってる 笑• 硫化水素って迷惑極まりないけど、楽に死ねるなど言われてましたが、専門家に言わせりゃそんな筈が無いそうです。 江戸時代の上級武士みたいに介錯付の切腹が一番スピーディーに死ねて楽になるのが早いかもとは思う。 介錯人にかなりの腕が要求されるのと、今それやると殺人幇助や殺人の罪になっちゃうから無理だけどね。 でも、残された人を悲しませたり苦しませてしまう、 それを考えると できないんです。 同じ~😥 私弟2人、病気で亡くしちゃってさ😢 生きたかったんだよね、あの子達。 生きてる間中闘って、最期まで頑張ったよ。 すぐ下の弟が死ぬ前の晩に死にたく無いって泣いてた姿が忘れられない。 最期の日の朝、仕事行く私に病床から行ってらっしゃいって手を振って送り出してくれた小さい方の弟の声が忘れられない。 大切な人を失う辛さ知ってたら、後に遺される者の想いを知ってたら、わざと命断つ真似なんてできないなぁ。 命ある限り貪欲に生きるつもりです。 主さんもその「死ねない」って想い大切にしていってね😢• ピンピン コロリは一番理想な死に方ですね。 私が一番心配なのは病気で寝たきりになったり、ボケ老人になり周… じゃあ良かった。 今、死にたいわけじゃないんですね。 人間は、人に沢山迷惑をかけて死ぬものなんだそうです。 いやらしい話、そのためにお金を貯めておく必要がありますね。 お金がなかったら誰も親切にしてくれませんから。 そして、沢山感謝をして、自分の大切な人に看取られながら死んでいくのが一番ですね。 ありがとうございます。 勉強になりました。 人はたくさんの人に迷惑をかけながらお世話になりながら生きるのですね。 最近…自分の将来を考えていたら暗くなっていて😥 でも、前向きな話を聞いているうちにがんばらねばと思いました。 一番愛する人に看取られのは幸せですね。 ピンピン コロリは一番理想な死に方ですね。 私が一番心配なのは病気で寝たきりになったり、ボケ老人になり周… それは誰だって嫌ですよ~望む人なんかいてへん…皆同じ。 私は自分の人生を全うしたい。 自分の人生が『幸せ』だったかどうかなんて…息絶える前に振り返ってみて初めて分かる事やと思うし。 自分が一生懸命生きてれば…そう悪い死に方はせんのちゃうかな~って考えてやな生きてられへんのちゃうかな。 どんな親から生まれたにせよ、今、命あるんやさけ…長いか短いか分からん自分の人生は最後まで生きてるよ。 そやさけ、なるべく笑ってたいな~今まで苦しい時ばっかりやったけど…決められた道らないんやし、これから先の道は自分で作っていけるやん。 私は~今出来るんは一生懸命仕事する事…それだけしか思い付かんさけ、働いてるよ。 息抜きにミクル覗いて、たまに笑ってる 笑• ありがとうございます。 前向きな意見に元気をいただきました。 自分の人生が『幸せ』だったかどうかなんて…最後までわからないですよね。 一生懸命生きることは大事ですね。 命ある限り頑張らねばと思います。 そうですね。 なるべくなら毎日笑っていたいです😃 ありがとう。 練炭?ひどい頭痛と吐き気で辛いって聞いたよ。 聞いただけだ… レスありがとうございます。 そうなんですか…練炭は苦しそうですね。 私の知り合いで練炭自殺をしてしまった人が数名いますが… きっと大量の睡眠薬を飲んでいたのか 死に顔は 穏やかだったのです。 基本的には睡眠薬飲むでしょうが、少しずつ食事制限しないと垂れ流しでみっともない。 …て、言っても薬物の自殺は成功率が低いわりに後が苦しく、後遺症のリスクもあります。 元監察医の上野先生だったと思うけど、亡くなった時の表情が全てではないようです。 穏やかだったのは筋弛緩か何かでゆるんだのかも。 先生いわく、亡くなる時はやはり苦しみはあるようです。 それが長いか短いかの違いでは?年金は期待しない。 それはほとんどの国民に当てはまること。 あなただけではありませんよ。 ピンピン コロリは一番理想な死に方ですね。 硫化水素って迷惑極まりないけど、楽に死ねるなど言われてましたが、専門家に言わせりゃそんな筈が無いそうです。 江戸時代の上級武士みたいに介錯付の切腹が一番スピーディーに死ねて楽になるのが早いかもとは思う。 介錯人にかなりの腕が要求されるのと、今それやると殺人幇助や殺人の罪になっちゃうから無理だけどね。 そうですね いろんな死に方はありますが なるべく人に迷惑はかけたくないですね。 毎日健康に気をつけて元気に生きたいと思います。 みなさんのレスのおかげで気持ちが晴れました。 ホントにありがとうございます😃• でも、残された人を悲しませたり苦しませてしまう、 それを考えると できな… 同じ~😥 私弟2人、病気で亡くしちゃってさ😢 生きたかったんだよね、あの子達。 生きてる間中闘って、最期まで頑張ったよ。 すぐ下の弟が死ぬ前の晩に死にたく無いって泣いてた姿が忘れられない。 最期の日の朝、仕事行く私に病床から行ってらっしゃいって手を振って送り出してくれた小さい方の弟の声が忘れられない。 大切な人を失う辛さ知ってたら、後に遺される者の想いを知ってたら、わざと命断つ真似なんてできないなぁ。 命ある限り貪欲に生きるつもりです。 主さんもその「死ねない」って想い大切にしていってね😢• えっ!! 弟さん2人も亡くされているとは… それは 悲しくて辛いですね😢 実は、私の兄も投身自殺でこの世を去ってしまいました。 自分の病気を苦にして… 一瞬で死ねたからきっと苦しみはなかったと思います。 でも、残された家族は苦しみと悲しみでずっと今も戦ってます。 だから、自殺はしてはいけないと思いました。 1さんも辛くて悲しいと思いますが弟さんの分まで幸せに長生きして下さい。 ありがとうございます。 生きてる間中闘って、最期まで頑張ったよ。 すぐ下の弟が死ぬ前の晩… えっ!! 弟さん2人も亡くされているとは… それは 悲しくて辛いですね😢 実は、私の兄も投身自殺でこの世を去ってしまいました。 自分の病気を苦にして… 一瞬で死ねたからきっと苦しみはなかったと思います。 でも、残された家族は苦しみと悲しみでずっと今も戦ってます。 だから、自殺はしてはいけないと思いました。 1さんも辛くて悲しいと思いますが弟さんの分まで幸せに長生きして下さい。 ありがとうございます。 それは主さんもご家族の皆様も未だにお辛いですね。 弟の場合はまだ病だったから、悔しくても悲しくても不治の病から解放されたのだと諦めつく部分が有りますが…。 お兄様もそこに至るまではとても悩まれた事と思います。 遺された者の悲しみは言葉では言い表せないですね。 しかしだからこそ、自分は生きなきゃいけないと思える。 悲しいけど、先立った人達が命をもって渡してくれた最後のプレゼントなのかなって思ったりします。 お互いピンピンコロリを目指してのんびり生きましょう。 昔みたいに60~65歳位でコロリと行ければ最高だと思う。 昨今は平均寿命伸び過ぎですね😥• … それは主さんもご家族の皆様も未だにお辛いですね。 弟の場合はまだ病だったから、悔しくても悲しくても不治の病から解放されたのだと諦めつく部分が有りますが…。 お兄様もそこに至るまではとても悩まれた事と思います。 遺された者の悲しみは言葉では言い表せないですね。 しかしだからこそ、自分は生きなきゃいけないと思える。 悲しいけど、先立った人達が命をもって渡してくれた最後のプレゼントなのかなって思ったりします。 お互いピンピンコロリを目指してのんびり生きましょう。 昔みたいに60~65歳位でコロリと行ければ最高だと思う。 昨今は平均寿命伸び過ぎですね😥• 連れ合いや子供が居てたら…苦労させたない、迷惑かけられへん。 周りに誰も居てへんかっても…見ず知らずの方に迷惑をかけてしまう、ってね。 でもね~これが輪廻っていうか…今までもこれからも、そうやって繰り返されるもんやと思うなぁ。 自分の最後ら誰にも分からん事やん。 誰にも迷惑かけやんと眠るような最期を迎えたい、皆そう考えてる。 自分の出来る事で1番大事なんは、それまでの生き方しかないで。 もしも、誰かに迷惑かけるようになった時には悪いって思うけど…それまで一生懸命やってきたんやさし許してな、って。 こうやって人は回ってるんちゃうかな。 えぇ生き方したらえぇ死に方する…そう信じるしかないで。 そうなんですか…練炭は苦しそうですね。 私の知り合いで練炭自殺をしてしまった人が数名いますが… きっと… 基本的には睡眠薬飲むでしょうが、少しずつ食事制限しないと垂れ流しでみっともない。 …て、言っても薬物の自殺は成功率が低いわりに後が苦しく、後遺症のリスクもあります。 元監察医の上野先生だったと思うけど、亡くなった時の表情が全てではないようです。 穏やかだったのは筋弛緩か何かでゆるんだのかも。 先生いわく、亡くなる時はやはり苦しみはあるようです。 それが長いか短いかの違いでは?年金は期待しない。 それはほとんどの国民に当てはまること。 あなただけではありませんよ。

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