いだてん 小松。 いだてん|小松勝の生涯を年表にして検証してみた。学生時代長くない?リクとの交際は3年間あった?

「いだてん」志ん生と小松一瞬の出会い「志ん生の『富久』は絶品」の謎がついにあきらかに39話

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先週8月18日放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第32話終わりの「いだてん紀行」を見て、多くの人が「うわ、似てる!」と思ったのではないだろうか。 何が似ているのかといえば、劇中に登場する大日本体育協会会長(2代目)の岸清一と、それを演じる岩松了である。 ドラマの公式ガイドブックでは、岩松が、今回の出演が決まったあとで脚本の宮藤官九郎から岸と顔が似ていると言われ、《僕が演じるのはおこがましい気がしていたので、顔だけでも似ていてよかったです》とコメントしていた。 その岸清一は、第32話の劇中、1932年のロサンゼルスオリンピックから帰国後、昭和天皇にオリンピックの成果を進講したのち、1940年の東京オリンピック招致に向けて体協も動き出すなか、急逝してしまった。 昭和天皇への進講という栄誉に感激する岸 思えば、今回の岸はいつにも増して感情の起伏が激しかった。 冒頭、オリンピック選手の祝賀会で、東京市長の永田秀次郎(イッセー尾形)が、女子200メートル平泳ぎの銀メダリスト・前畑秀子(上白石萌歌)に対し、「なぜ金メダルを取ってこなかったんだね」と言い放ったことに猛抗議し、しまいには「伸びたうどんみたいな顔をして」「さっさと引退して縁側で俳句でも詠んでいたらどうだ」と口を滑らせ、そばにいた田畑政治(阿部サダヲ)に止められるほどだった。 ちなみに「俳句でも詠んでいたら……」というのは、永田が俳人(号は「青嵐」)でもあったことによる。 昭和天皇への進講を終え、会長を務める大日本体育協会(体協)の事務局に戻ったときには、「少し余韻に浸らせてくれ」「生きて陛下の御尊顔を拝し奉ったうえに、オリンピックに進講する日が来ようとは」としみじみ語ったかと思えば、鏡を見て急に「こっちのまぶただけ二重になってるじゃないか!」と言い出す。 岸はまた、進講のなかで東京のオリンピック招致についても言及していた。 1940年の第12回オリンピックの開催地はローマが有力候補として見られていたものの、4年後の1936年の第11回ベルリン大会は、開催国のドイツでヒトラーが政権を取れば開催を返上する可能性があり、もしそうなればローマが第11回大会に繰り上がり、案外楽々と東京に第12回大会が転がり込むかもしれない……岸はそう説明したのだが、実際にはそんなにうまくはいかなかった。 1933年に政権に就いたヒトラーは、宣伝相のゲッベルスの指示に従い、ベルリン大会の開催を決めたからだ。 ローマとの一騎打ちでは勝ち目がないうえ、日本はこのころ国際連盟を脱退して国際的に孤立を深めていた。 さらに東京オリンピックの言いだしっぺである永田市長が部下の汚職の責任をとって辞任してしまう。 東京オリンピック招致で嘉納が奇策を打ち出す 東京オリンピック招致活動には、岸清一や嘉納治五郎(役所広司)、陸連の山本忠興(田中美央)のほか、新たに外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)、元貴族議員で公爵の副島道正(塚本晋也)が加わった。 杉村は嘉納塾出身で柔道を得意とし(初対面の田畑を背負い投げした)、国際連盟事務次長を務めていたが日本の連盟脱退により失職していた。 体協の理事に誘われながら決めかねていた田畑も、嘉納によって半ば強引に招致委員会のメンバーにさせられてしまう。 このあと、永田に替わって牛塚虎太郎(きたろう)が東京市長となった。 杉村は1933年のウィーンでのIOC総会で、嘉納と岸に次ぎ日本から3人目のIOC委員となる。 そのころ、岸はぜんそくで入院し、田畑と野口源三郎(永山絢斗)が見舞う。 そこへ帰国した杉村が現れ、1940年のオリンピックの開催候補は、ローマ、ヘルシンキ、東京の3都市にほぼ絞られ、2年後のIOC総会で投票が行われることになったと伝えた。 岸は、さらなる感動のためにも病になど臥せっていられないとやる気を示すが、それからまもなくして10月29日に急逝する。 岸の後任のIOC委員には副島が就いた。 岸の訃報をウィーンから戻る船上で知った嘉納は、どうにか納骨に間に合った。 遺影を前に「男泣きは君の専売特許だったもんね」と語りかける嘉納。 「岸君、君がその目で見たかった光景を、われわれは必ずこの東京で実現する」と嘉納が誓うと、田畑もそのために邁進すると約束する。 だが、嘉納はいつになく悲観的な態度を見せる。 ローマはすでに立派な競技場も建設するなど準備を着実に進めており、各国のIOC委員も圧倒的にローマ支持が多かったからだ。 招致委員会の会議では、田畑はほかの委員の意見を繰り返して言うばかりで自分の意見を言わないので、副島や杉村に怒られる。 だが、彼はそれを待っていたかのように熱弁を振るい出した。 「誰のためのオリンピックかって話じゃんね〜」 「誰のためのどういうオリンピックなら日本はできるのか。 選手のため? 国民のため? 軍のため? それによって自然石か大理石かコンクリートか、自信持って決めませんか?」 「もちろん紀元2600年は大事、日本人にとってはね。 でもそれだけではローマに勝てません。 遠方から来る外国人選手にとっては、飯は口に合うのか、練習は十分にできるのか、便所は和式か洋式か、そっちのほうが大事でしょう」 「何期待してんの、オリンピックに? ただのお祭りですよ。 走って泳いで、騒いで、それでおしまい。 平和だよねえ。 政治がどうの、軍がどうの、国がどうの……違う違う違う。 簡単に考えましょうよ。 ローマには勝てない。 じゃあどうします、『戦わずして勝つ』の嘉納さん?」 田畑にそう振られ、嘉納はウルトラCともいうべき奇策を提案する。 イタリア首相のムッソリーニに直談判して、オリンピックを譲ってもらおうというのだ。 「直接会って『譲ってください』って言えば、案外簡単に譲ってくれるかもしれん」。 だが、独裁者として知られるムッソリーニ相手にそんなことができるのか、ほかの委員は難色を示すが、杉村はちょうどイタリア大使に就任したばかりとあって乗り気になる。 招致活動にあたって嘉納は、欧米では日本のことが何も知られていないと、PR用の資料として写真集をつくるよう田畑に命じた。 田畑は仲間たちと集まって話し合いながら編集を進め、日本の伝統や文化についてまとめた分厚い写真集を完成させる。 題して『日本』。 嘉納はこれに「題名が気に入った。 『JAPAN』じゃなくて『日本』としたところに気概を感じるよ」と満足する(このセリフは、ストックホルムオリンピックの開会式でプラカードの国名の表記について、金栗四三が「JAPAN」ではなく「日本」を主張し、嘉納が「NIPPON」と決めたエピソードを思い出させた)。 だが、嘉納が写真集を持って立ち上がろうとしたところ、その身体に異変が起こる。 はたして岸を喪い、嘉納が倒れるなか、オリンピック招致はどんな進展を見せるのか。 ムッソリーニは会ってくれるのか。 きょう放送の第33話へと続く。 田畑の結婚で、マリーの占いがまたしても外れる 第32話では、オリンピック招致の話が進むなかで、田畑が結婚する。 相手は新聞社の同僚・酒井菊枝(麻生久美子)だ。 田畑は以前、結婚相手を世話してほしいと上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)に頼んでおきながら、緒方が話をまとめてきたときにはすでに頭のなかはオリンピックでいっぱいで見合い写真さえ見なかった。 ロサンゼルスから帰ってもしばらく興奮が収まらない彼は、毎夜仕事終わりに社に残って回顧録の執筆に励む。 そんな田畑に、同じく残業していた菊枝が「一人で食べるのも気が引けるので」と夜食を分けてくれた。 一緒に食べているときも、田畑は菊枝が無口なのをいいことにオリンピックの話をしゃべりまくる。 そんな日が続くうち、彼は菊枝に惹かれていく。 日本橋のバー「ローズ」で菊枝についてうれしそうに話す田畑に、ママのマリー(薬師丸ひろ子)は「やっと夢中になれるものを見つけたのね」と言い、「田畑さん、お見合いするんじゃなかった?」と思い出すと、またしても勝手に占いを始める。 はたして、田畑が夢中になっている人と、見合いの相手と、どちらに脈があるのか? マリーの出した答えは「残念、どちらとも結ばれないわ」であった。 翌朝、田畑はあらためて緒方に見合いを断るのだが、緒方に促されて、それまで見ていなかった見合い写真を見て驚愕する。 そこにはほかならぬ菊枝が写っていたからだ。 これまで占うたびにことごとく外してきたマリーだが、今回の占いも外れ、「どちらとも結ばれる」結果となった。 田畑と菊枝は1933年4月、水連の松澤一鶴(皆川猿時)や新聞記者から政界に転身した河野一郎(桐谷健太)など大勢の人たちに祝福されながら結婚式を挙げる。 その余興で落語家を呼んだところ、「古今亭志ん馬」という落語家が出てきた。 誰かと思えば、田畑が少年時代に勝鬨亭で出会い、カネをすり盗られたこともある美濃部孝蔵(森山未來)ではないか。 孝蔵はこのころ、結婚式などの余興のほか、ラジオにも呼ばれるようになり、落語でどうにか食えるようになっていた。 仲野太賀演じる青年はどんな活躍を見せる 杉村陽太郎、副島道正と新たな人物が登場した第32話だったが、熊本の金栗四三(中村勘九郎)のもとにも未知の人物が現れた。 それは小松勝(仲野大賀)という青年で、四三の著書『マラソン』に感銘を受けて訪ねてきたのだ。 四三はあいさつもそこそこに小松の足を触ると、サイズを訊く。 それは小松のための足袋を選んでやるためだった。 そして当の四三は九州一周のマラソンに出発するという。 それを前に小松も言われるがままに冷水を浴びせられる。 そういえば、志ん生(ビートたけし)の弟子の五りん(神木隆之介)も、「死んだ親父の言いつけなんで」と病み上がりでも朝の冷水浴を欠かさなかったが、小松と五りんの父は何か関係があるのか? ところで、小松を演じる仲野太賀(今年6月に太賀から改名)は、ちょうど放送時、岩松了の作・演出の舞台「二度目の夏」に出演中だった(きょう9月1日の神奈川公演が千秋楽)。 はたして今回の小松はどう演じられるのか、楽しみだ。 「いだてん」第32話キーワード事典 以下、第32話に出てきた事柄について、事典風に説明を補足しておきたい。 前畑秀子……第32話の冒頭に出てきた、前畑が祝賀会で永田秀次郎からベルリンオリンピックでは優勝してほしいと熱望されたというエピソードは実話にもとづく。 永田はこのときうっすらと涙を浮かべていたという。 ドラマでは、永田とのやりとりのあと、前畑は夢のなかに出てきた亡き両親(演じていたのは康すおんと中島唱子)から激励されて次のベルリンに向けて練習を始める。 いかにもフィクションっぽいが、これも前畑の自伝での記述にもとづいている。 自伝『前畑ガンバレ』(金の星社)によれば、ロサンゼルスオリンピックのあと、次をめざすか迷っていたころ、母親が夢に出てきて「いったんやりはじめたことは、どんなに苦しいことがあっても、最後までやりとげなさい」と励まされたという。 前畑は母と父にあいついで先立たれ、一時は水泳をやめることも考えたが、親戚や恩師である椙山正弌(椙山女学校校長)の勧めもあって、ロサンゼルス、ベルリンと連続してオリンピックに出場することができた。 紀元2600年……番組中でいまのところちゃんとした説明がないのが気になるが、ここでいう紀元とは、『日本書紀』の記述から神武天皇が初代天皇に即位した年を元年(西暦では紀元前660年とされた)とする「皇紀」のことである。 1940年は皇紀では2600年の節目を迎えることから、東京オリンピックのほか、札幌冬季オリンピック、東京での万国博覧会などさまざまな記念事業が計画された。 オリンピックや万博は幻に終わったものの、1940年には政府主催の紀元2600年の記念式典が行われ、盛大に祝われた。 紀元2600年をめぐる一連のイベントや、それを機に起こった観光ブームについては『皇紀・万博・オリンピック』(中公新書)という本に詳しい。 同書の著者の古川隆久は「いだてん」で時代考証を担当している。 円蔵と金語楼……田畑は自分の結婚式に余興で呼んだ落語家が孝蔵だと知ったとき、思わず「円蔵か金語楼よこしてくれってそう言ったよ」とぼやいていたが、円蔵とは6代目橘家円蔵、金語楼は柳家金語楼を指す。 6代目円蔵はのち1941年に6代目三遊亭円生を襲名し、戦時中には志ん生と一緒に満州に渡ることになる。 「いだてん」では田畑が1960年の場面で円生のファンを公言していた。 一方の金語楼は、自作の兵隊落語で売れっ子となり、戦後は「ジェスチャー」などテレビでも人気を集めた。 「いだてん」では若き日の志ん生が師匠だった柳家三語楼から破門されたあと、噺家仲間の万朝(柄本時生)のとりなしで落語界に復帰したが、実際に三語楼と志ん生のあいだを取り持ったのは当時志ん生の兄弟子だった金語楼であったらしい(結城昌治『志ん生一代 下』小学館)。 岸清一……第32話で嘉納から「男泣きは君の専売特許だったもんね」と言われていたとおり、実際にも何かにつけてよく泣く人だったらしい。 小学生がわずかばかりの寄付金を持ってきたときにも、子供たちの純情に感激して泣きながら受け取り、「尊いお金だ」と喜んだとか。 岸は東京帝国大学時代にはボート部に所属し、のちには日本漕艇協会を設立して会長となり、体協会長と兼任したが、当人は生涯、弁護士であることを誇りとしていた。 貴族院議員に就任したときも、「俺は運動関係でなったのではない。 弁護士でなったのだ」と強調したという(岸同門会編著『岸清一伝』大空社)。 劇作家と大河ドラマ……「いだてん」には、岩松了以外にも、橘家円喬役の松尾スズキといい、アナウンサーの松内則三役のノゾエ征爾といい、劇作家の出演が目立つ。 ちなみに岩松了の大河出演は、2009年放送の「天地人」で真田昌幸を演じたのに続き2度目。 このほか、過去に大河ドラマに出演した劇作家は下記のとおり(遺漏があるかもしれないので、あしからず)。 ・福田善之('65年「太閤記」竹中半兵衛役、'67年「三姉妹」伊藤俊輔役) ・唐十郎('78年「黄金の日日」原田喜右衛門役) ・渡辺えり子(現・えり/'99年「元禄繚乱」阿久利役) ・野田秀樹('04年「新選組!」勝海舟役) ・三谷幸喜('06年「功名が辻」足利義昭役) ・岩井秀人('16年「真田丸」甚八役) 国際連盟脱退……第32話で描かれたとおり、1933年2月24日、国際連盟の特別総会に日本全権として出席した松岡洋右は、前年に建国された「満州国」の存在が認められなかったことから、国際連盟からの脱退を表明、翌月には日本政府が正式に脱退通告を行なった。 もっとも、当の松岡は、日本を発つ前に元老の西園寺公望と会い、連盟脱退の回避に努めると約束しており、それが最終的に脱退にいたったことを悔いたという。 それもあって、日本の多くの有識者も脱退には反対していた。 しかし国民の大多数は脱退論を支持した。 国際連盟の特別総会を前に、日比谷公会堂では対国際連盟緊急国民大会が開催され、全国にラジオ中継されるなか、連盟脱退を求める宣言が採択された。 松岡もこうした世論の沸騰を無視するわけにいかなくなる。 1933年4月27日、連盟脱退を表明した松岡が帰国すると、横浜港には大群衆が出迎えた。 このときラジオで実況中継を担当したのは、ロサンゼルスオリンピックで実感放送を行なった河西三省であった(筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』中公新書)。 各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中).

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『いだてん』神木隆之介、父親役が同い年・仲野太賀で驚きも「実は伏線が…」

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大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」は、きょう放送の第40話からいよいよ最終章に入る。 これに先立ち、先々週の10月13日に放送された第39話「懐かしの満州」は、主人公である田畑政治(阿部サダヲ)も金栗四三(中村勘九郎)もほとんど出てこない、「いだてん」のなかでも、またおそらくは大河ドラマの歴史においても異色の回だった。 それでいて、この回がなければ「いだてん」というドラマは完成しないという、ジグソーパズルの最後のピースともいうべき重要な意味を持つ回であった。 具体的にいえば、古今亭志ん生(老年期:ビートたけし、青年・中年期:森山未來)の弟子・五りん(神木隆之介)の戦死した父親が、なぜ満州(現・中国東北部)からの絵はがきに「志ん生の『富久』は絶品」と書いて送ってきたのか、その理由があきらかにされたのだ。 日本ではすでにほとんど手に入らなくなっていた酒飲みたさに満州行きを決めた志ん生は、当初ひと月で日本に帰れるものと思っていたが、気づけば2ヵ月がすぎていた。 そこへ現れたのが、兵士として満州に送られた五りんの父で、金栗四三のマラソンの弟子の小松勝(仲野太賀)だった。 二人の落語を聴いた小松は楽屋に押しかけると、圓生は色男だと持ち上げる一方、志ん生に対しては、「富久」の主人公の久蔵の走り方がなっていないとダメ出し。 呼吸法などを指南したあげく、これを読めと、自分がマラソンを始めるきっかけとなった四三の著書『ランニング』を渡し、志ん生を怒らせてしまう。 小松はこのとき、もうすぐ沖縄に転戦すると話していた。 志ん生と圓生はその後、満州で世話をしてもらっていた現地の放送局勤務の森繁久彌(渡辺和知)から沖縄が米軍によって攻め落とされたと聞く。 やがて広島と長崎に「変なもの」(もちろん原子爆弾のこと)が落とされ、さらに日本と中立条約を結んでいたソ連が参戦した。 ソ連参戦から6日後の1945年8月15日、終戦を伝える玉音放送を、志ん生たちは大連で聴くことになる。 現地の中国人が日本からの解放を喜ぶなか、大連にもソ連軍が侵攻し、日本人は逃げ惑う。 そのどさくさにまぎれて、志ん生から財布をひったくる者がいた。 追いかけてみれば、沖縄に行ったはずの小松だった。 彼は終戦間際に所属していた部隊が、隊長の一声で解散となり、満州にとどまったのだ。 今回の物語は、満州に渡った志ん生と圓生が、日本の情報がほとんど入ってこないまま遠く満州の地で2年をすごすさまが描かれた。 劇中では、二人はずっと大連に滞在したかのように描かれていたが、実際には当初彼らは満州国の首都だった新京(現・長春)を拠点に、各地を慰問に回っており、大連に移動したのは終戦直前のことである。 それが舞台を大連に限定したのは、志ん生たちが外部からほとんど閉じられた場所ですごしたことを強調するためではないか。 志ん生にとって満州は最初のうちこそ極楽だったが、ソ連侵攻により一転して、暴力が吹き荒れる地獄と化した。 小松と再会したときには、目の前で中国人の男が日本人たちを射殺されるのを目撃してしまう。 危うく志ん生たちも殺されるところだったが、その男は小松を見て、そのまま立ち去る。 じつは男は終戦前に小松が絵はがきを買った相手だった。 そのとき、ほかの日本兵から横暴に振る舞われるなか、小松だけが絵はがきを買ってくれたのを中国人は覚えていたらしい。 それにしても絵はがき売りの男のあまりの変貌ぶりに驚かされた。 志ん生の「富久」の完成、そして突然の別れ 志ん生と圓生はこのあと小松と、ソ連軍から身を潜めながら酒を酌み交わすうち、小松がオリンピック出場を夢見ていたこと、そして3人とも子供がいると知って打ち解けていく。 その翌日、志ん生と圓生は二人会を開いた。 どうせ客は集まらないと思っていたのが100人ぐらい来て、「せめて笑って死にたいものだなあ」「さあ思い切り笑わせてもらおうじゃねえか」とはやし立てる。 客がそんな様子ではウケる気がしないと弱気になる志ん生を横目に、ではと、圓生がまず高座に上がり、「居残り佐平次」をたっぷり聴かせた。 噺のなかで芸者と佐平次がかっぽれを歌うくだりでは、客席と一緒に「かっぽれかっぽれ」の大合唱となる。 さて、志ん生は何をやるか。 迷っていたところ、一緒にいた小松から「富久」をリクエストされる。 最初は渋る志ん生だが、主人公の久蔵が浅草から日本橋まで走るのを、芝まで延ばせばいいと助言される。 浅草から芝までそんな長い距離を走るやつなんていないと言う志ん生に、小松は「いる」と言い張った。 もちろん彼の頭のには師匠の金栗四三のことが浮かんでいた。 関東大震災のとき被災者救援のため東京中を駆けまわった四三は、ちょうどこのころ、上野の闇市から大塚のハリマヤへ小松の妻・りく(杉咲花)を訪ねていた。 小松のアドバイスを受け、高座に上がった志ん生の演じる「富久」はそれまでとはまったく違い、走る姿が真に迫るものとなっていた。 それを聴くうち、小松はいても立ってもいられなくなったのか、夜の街へと飛び出し、走り始める。 そして例の絵はがきに「志ん生の『富久』は絶品」と書いて、ポストに入れようとしたところ、ソ連軍と遭遇する。 大勢のソ連兵に追われ、脱兎のごとく逃げる小松だが、その俊足も銃の前には無力であった。 狙撃された彼は、このあと倒れて死んでいるのを志ん生と圓生に発見される。 考えてみれば、二人は彼の名前を聞いていなかった。 そんな彼を志ん生はあえて久蔵と名づけ、「おい、起きろ、久蔵」と抱き起そうとするのがせつない。 りくと幼い五りん(本名は金治)のもとには、しばらくして小松からの絵はがきや遺品が届けられた。 りくは夫の足袋を見ながら五りんに向かって「いっぱい走ったんだねえ」と話しかけると、そのまま泣き崩れる。 その姿に四三も父の増野も何も言えない。 四三は泣きながら小松の足袋を手に、戦争の終わった東京の街へと駆け出すのだった。 死んだと思われた志ん生、2年ぶりの帰国 平和が訪れていた日本に対し、満州では各所で暴虐の限りが尽くされた。 その様子について劇中では、志ん生の語りで「ソ連軍が本格的に来てからはひでえもんだったよ。 女はみんな連れてかれた。 抵抗すれば自動小銃で撃たれた。 沖縄で米兵が、もっと言やあ、日本人が中国でさんざんぱらやってきたことだが……」と説明されていた。 テレビドラマで戦争をとりあげるとなると、ほとんどの場合、空襲や原爆など日本の被害の描写に終始してしまうのに対し、ここでは一言ではあるが、日本の加害にも触れている点が注目される。 それとともにこの語りからは、戦争は国籍や民族など関係なしに人間を狂わせるということがうかがえよう。 ちなみに作家・結城昌治による伝記小説『志ん生一代』には、ほぼこれと同じ一文が地の文に出てくる。 きっと作者の宮藤官九郎は、多くの資料に目を通すなかでこの一文を見つけ、強く記憶に残ったのではないか。 志ん生はあまりの状況にやけを起こし、ウォッカを大量にあおって自殺を図るも、圓生に止められて事なきを得た。 年が明けて1946年、満州からいつまでも帰らない志ん生と圓生は死んだものと噂され、寄席の香盤表から二人の名前を外そうかという声もあがっていた。 これを聞いた志ん生の妻・おりん(夏帆)は、夫はまだ生きていると信じ、頑なに反対する。 このとき、寄席の席亭から日本橋のほうにすごく当たる占い師がいると言われ、彼女はバー・ローズに赴いた。 占い師とは店のママのマリー(薬師丸ひろ子)のことだった。 マリーからは夫のことはあきらめろと告げられ、さらに、彼は死ぬまであなた一筋だったとも言われるのだが、そのころ志ん生は満州で、圓生に勧められるがままに現地の義太夫の師匠と見合いをしていた。 ただし、相手の酒癖の悪いのにさしもの志ん生も参って、重婚は未遂に終わるのだが。 それからさらに1年、志ん生いわく「そこからが本当の地獄だったよ。 きょう死ぬか、明日死ぬかと思いながら、食うためには何でもやったよ」という日々をすごし、彼がようやく引き揚げ船に乗れたのは1947年1月のことであった(奇しくも志ん生を演じるビートたけしが生まれたのも同年同月である)。 船に乗る直前には、四三の幼馴染の美川(勝地涼)が、志ん生に馴れ馴れしく声をかけてきて、追い払われる様子になごまされた。 それにしても美川、どこまでもしぶとい。 激動の第39話のクライマックスは、脳出血で入院中の志ん生(すでに意識が戻り、五りんからこっそり酒を飲ませてもらっていた)に、年老いた圓生(七之助が特殊メイクで演じた)が見舞いに訪れる場面だった。 妻のりん(池波志乃)と娘たち(小泉今日子・坂井真紀)には、まだ意識不明のふりをしていた志ん生だが、圓生から「義太夫女のこと、バラしましょうか」と耳元でささやかれ、あわてて飛び起きる。 老志ん生が圓生に向かって口にした「久しぶり」のセリフが、満州から帰宅して再会したりんに告げた「久しぶり」と重なる。 妻を前に「また貧乏に逆戻りか」「今度は日本がとびっきりの貧乏だ。 みんなで上向いて這い上がればいいんだからわけねえや」と笑い飛ばしてみせた志ん生は、帰国の翌月、寄席に復帰。 「ただいま帰ってまいりました」と挨拶したあと、一席始める。 小松の思いを受け継いだ「富久」 第39話は、宮藤官九郎がもっとも書きたかった回だという。 敗戦前後の話を、あえて主人公二人を外して、語り手である志ん生を主人公に描いたのがキモだろう。 これによりなぜこのドラマの語り手を志ん生が務めているのかもはっきりとわかった。 四三からマラソンを学んだ小松が、さらに志ん生に対し「富久」へのアドバイスという形で、その教えを伝えた。 まるで駅伝のたすきを渡すように。 志ん生にとって寄席で「オリムピック噺」を語り始めたのは、単に1964年の東京オリンピックが決まったからというだけでなく、オリンピックを夢見ながら亡くなった小松を偲ぶという意味もあったのだろう。 ちょうどそのころ彼の前に現れた五りんという青年が、ほかでもない小松の一人息子とわかり、すべてがつながったのである。 振り返れば、「富久」は、志ん生が最初の師匠である橘家円喬を人力車に乗せながら稽古をつけてもらった噺でもある。 そう考えると、このドラマにおいて「富久」は、志ん生がさまざまな人の思いを受け継ぎながら語り続けている噺なのだとあらためて思った。 さて、戦争も終わり、「いだてん」はいよいよ最終章に入る。 きょう放送の第40話のサブタイトルは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(大河ドラマで英語由来のサブタイトルは珍しい)。 ということは、おそらくいったんは、ドラマの冒頭に出てきた東京オリンピックの招致に成功した1959年に戻るのではないか。 初回で観たシーンも、物語が進展したいま再び観ると、また違ったふうに観られるに違いない。 各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中).

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『いだてん』第39回ネタバレ感想~小松の絵葉書と遺品を持ち帰ったのは?

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『いだてん』42話のあらすじネタバレ 昭和36(1961)年。 高度経済成長で、暮らしぶりが随分変わってきた日本。 家電の普及で生活が便利になったり、車の普及で渋滞に悩まされたり。 そんな日本の渋滞に辟易していたタクシー運転手の森西栄一(角田晃広)は、運転手を辞めて、「聖火リレー踏査隊」の一員に。 「聖火リレー踏査隊」というのは、聖火をギリシャのアテネから日本に運べるか調査するために、シンガポールまでの2万km、13か国にわたる道のりを自動車で走破するというものでした。 一方その頃、鬼の大松(徳井義実)率いる女子バレーボール実業団の日紡貝塚は。 昨年の世界選手権で、強豪・ソ連に負けを喫した悔しさで、さらに過酷な練習に励んでいました。 主将の河西昌枝(安藤サクラ)は、左でも攻撃できるようにと、右手を縛って日常生活を過ごすという特訓も。 そして大松は、次の世界選手権では雪辱を晴らすべく、もう2年、選手たちをこの日紡貝塚に預けてほしいと、各選手の実家に挨拶回りをしたのでした。 選手村については、組織委員会会長の津島寿一(井上順)主導のもと、着々と朝霞(埼玉)への建設準備が進められていました。 しかし、それでも代々木を諦められない田畑政治(阿部サダヲ)。 元外交官で招致の最終スピーチを担当した平沢和重(星野 源)に知恵を借ります。 すると、交渉事では相手側にメリットを感じさせることが肝要だという平沢。 昨今、安保闘争が各地で起きており、アメリカは、日本人の反米感情の高ぶりに頭を悩ませていました。 そこで、都内一等地の基地を返還すれば、反米感情を緩和できるとアピールする作戦を提案。 さっそく平沢は、その作戦にてアメリカ大使のライシャワーを訪ねることに。 平沢の言い分が聞き入れてもらえて、交渉は概ねうまくいきました。 しかし、アメリカは立ち退き料として60億もの金を要求してきたのです。 そんな大金、さすがに出せないと、自民党幹事長の川島正次郎(浅野忠信)たちは難色を示します。 けれど、それでも諦めきれない田畑。 津島に取り次いでもらって、池田勇人(立川談春)総理に直談判することに。 しかし池田は、5~6年もすればタダで手に入るのだからと、60億もの拠出を渋ります。 それではオリンピックに間に合わない、今でなければ駄目だと田畑は訴えますが、聞き入れてはもらえず、挙句の果てには、そんなに選手村と競技場を近場にしたいのなら、競技場を朝霞に作ればいい、などと言い出す始末。 これにはがっくりと項垂れる田畑でした。 その後、どうにかして池田の心を動かせるアイデアはないかと、頭を捻る田畑。 国に予算を出してもらえそうな「オリンピックが終わったあとでも使えるもの」で、所得倍増計画を打ち出した池田が飛びつきそうな「カラーテレビの普及」につながる案を思いつきます。 それは「放送局(NHK)を代々木に作る」という案でした。 競技場のすぐ近くに放送局があれば、鮮明で臨場感溢れる放送をお茶の間に届けることができる。 結果、このオリンピックを機に、白黒からカラーテレビに買い替えようとする人が続出するだろうという田畑。 そして、今のカラーテレビの相場は1台60万円。 これをたった一万台売れば60億になるから、すぐに元が取れる経済効果を生み出せる、とアピールします。 この田畑のアイデアには池田も興味を引かれ、代々木の返還要求を決定。 選手村は、朝霞から代々木へと変更されたのでした。 一方その頃。 自伝「走れ25万キロ」の出版記念会(サイン会)を開いた金栗四三(中村勘九郎)。 その列の中には、後に1964年東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲る円谷幸吉(菅原健)の姿が。 そして、五りん(神木隆之介)の姿も。 五りんは本名の「小松金治」でサインをお願いし、「父がお世話になりました」と挨拶します。 すると、目の前の青年がかつての弟子・小松勝(仲野太賀)の息子だと気づいた四三は、腰を抜かしたのでした。 昭和37(1962)年。 聖火リレー踏査隊の森西たちが帰ってきました。 森西たちは疲弊しきった様子で、聖火を持って走るなんて無理だ、と訴えます。 とくにタクラマカン砂漠は「帰れない場所」や「死」を意味する砂漠。 とても人が走れるような場所じゃなく、車でも抜けるのに半年かかったという。 何はともあれ、とりあえず、過酷な調査を終えて帰ってきた森西たちの慰労会を開くことに。 支払いは田畑のポケットマネー。 食事は、選手村の食事を担当する料理長・村上信夫(黒田大輔)が腕を振るい、各国の料理を、当時では珍しいビュッフェ形式で供したのでした。 その様子を醒めた目で見遣る川島。 池田首相に「あんな奴らに任せておいては駄目だ。 しっかりと政府が舵取りすべき」と進言します。 そこで、総合的なまとめ役として「オリンピック担当大臣」というポストが作られ、川島が初代オリンピック担当大臣に就くことに。 さらに川島は、田畑や東 龍太郎(松重 豊)に「津島さんではオリンピックはやり遂げられない。 どうにか退いてもらわないと」と囁き、不穏な動きを見せ始めます。 田畑はそんな川島を警戒し「津島さんは俺が守る!川島の言いなりにはならない」と心に誓うのでした。 デザイナーの亀倉雄策(前野健太)によるポスター第2弾が出来上がりました。 短距離走者のスタートダッシュを見事に捉えており、そのポスターはたちまち大評判に。 けれど、今一つ、若者たちにオリンピックが浸透していないと嘆く田畑。 そんなとき、偶然テレビで流れていた寄席が目に止まります。 そこには、オリンピック噺を披露する五りんの姿が。 そのオリンピックに関する知識の豊富さ、熱量に惚れ込んだ田畑は、五りんを「オリンピックの広告塔にしよう」と提案。 すぐさま五りんをスカウトすべく、岩田が遣わされたのでした。 スポンサーリンク 『いだてん』42話のネタバレ感想 NHKが代々木競技場のすぐそばにあるのは、田畑の悲願だった「選手村を代々木に」を実現させたことと密接な関係があったんですね! もしかして今回の大河ドラマで田畑政治が主役として抜擢されたのも、そういう理由がちょこっと関わってたりするんでしょうか? 代々木に変更となって、当時の埼玉の人は残念だったかもしれないけれど、選手にとっては最善の場所となったでしょうし、おかげでカラーテレビも普及して、田畑の粘りが良い結果を生み出してくれたようですね。 田畑さん、すごい! 今回も、嘉納治五郎が声にて元気に登場。 生きていれば100歳という治五郎さん。 相変わらず年を感じさせない(もう亡くなってますが…)、迫力がありました。 やっぱり、治五郎さんの喝はいいですね!気持ちが引き締ります。 このまま、1964年のオリンピックも見守ってほしいです。 そして、もちろん来年の2020年オリンピックも! 五りんが東京オリンピックの広告塔に! 時代も登場人物も行ったり来たりバラバラと批判されていた、この作品が…時代も登場人物もみんな手を繋ぎながら1964年の東京にむけて集まるという… しかも、全てを繋ぐキーパーソンがただの語りだと思った五りん…否、小松金治とは…超濃厚推理ドラマかよ…泣 — こんでん hiroju55 かつて師匠を背にして弟子時代に喋った富久を今度は師匠として弟子の背中で聞くという、ずっと見ていた人へのご褒美シーンいただきました。 — mshrn GmMshrn 走りたくて走りたくて報われなくても走りたかった女の孫で、オリンピックを走りたくて走れなくて、敵から逃げ走りながら死んだ男の息子がオリンピックのアイコンになる — かな ドラマ鑑賞アカ kanadorama 舞台の語り部が、舞台に上がろうとしてる!!! これに興奮しない視聴者はいるか!? いや、いない! — 天地百八 TenkouTisatu108 五りんの正体に気づく金栗おじいちゃん😭 熱い抱擁! オリンピック広告塔に選ばれる五りん!!ここに繋がるんだぁ。 — tugumi tugumi968 神木隆之介さん演じる五りんこと小松金治が名前の通りオリンピックの表舞台にでてきましたね。 ミスターオリンピック・嘉納治五郎に見出された金栗四三。 そして、その金栗四三の弟子・小松勝の息子・小松金治(五りん)が遂に出会う…泣。 さらに、オリンピック男・田畑政治の目に五りんが!神がかった流れですね。 さすがマーちゃん! 目の付け所、最高じゃんねぇ! 確かに五りんほど、名前負けしないぐらいオリンピックを愛し、精通している若者はいませんよね? 果たして、五りんが東京オリンピックを盛り上げる切り札になるのか? まだまだ試練が待ち受けていそうですが、日本で行われた1回目のオリンピックにワクワクしてきました。 『いだてん』43話のあらすじ 公式サイトが発表している『いだてん~東京オリムピック噺~』43話のネタバレStory(あらすじ)は以下の通りです。 開催まで2年。 国民のオリンピック熱は盛り上がりに欠けていた。 テレビ寄席の「オリンピック噺ばなし」に目を付けた田畑(阿部サダヲ)は五りん(神木隆之介)を呼び、広告塔に任命する。 組織委員会では準備が本格化。 アジア各都市を回る聖火リレーの最終ランナーの候補に金栗四三(中村勘九郎)が浮上する。 田畑はジャカルタで開催されるアジア大会を席巻し、五輪開催にむけ勢いをつけようともくろむが、開幕直前に大問題が発生する。 nhk.

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