グレート トラバース 3 現在地。 田中陽希

田中陽希

グレート トラバース 3 現在地

12月28日(月)「九州最長」 まだ、月明かりが木城の町を照らす中、宿を出発した。 なぜなら、今日は九州最長の67キロの移動となるからだ。 当初は野尻湖辺りで宿泊を予定していたが宿を見つけることが出来ず、結果的に予定外の距離となってしまった。 まぁ仕方ない!長いなぁ~などと考えずに、とにかく走れるだけ走ろうと、小刻みな足取りで進んだ。 朝日を浴びながら、畑や牧草地帯にポコポコと点在する「東都原古墳群」の不思議な景色を見たり、葉っぱの部分だけ切り落とした大根が切り干し大根用だと知ったり、ちょぼちょぼと一定のペースで走っていても、新しい発見をすることができた。 日差しは強かったが、風はしっかりと冬の風だ。 走り続けていれば汗をかくほど体は温かくなったが、汗で濡れたウェアに風が当たると、体温が奪われるのを感じた。 そんな時、冬休みの子供がおばあちゃんと一緒に応援に来てくれた。 すると、車椅子のおばあちゃんが後ろに僕がいたことに気がつき、ニコッと笑いながら「あら~」と言った。 叫んでいたおばあちゃんとお孫さんも満面の笑顔で喜んでいた。 2人と握手をしていると、車椅子に座ったままのおばあちゃんが「あの人よね~昨日見たわよ~」と言いながら、車椅子からすくっと立ち上がって、スタスタと歩いた。 僕は予想を反した動きだったので、思わず笑ってしまった。 笑顔で3人に見送られて、再び歩き始めた。 昼頃に、コンビニで昼食と休憩をした。 再スタートしたあと、残りの距離を調べると、40キロ!時刻は12時。 おのずと焦りが出た。 とにかく宿に着く時間を7時に予定していたので、3時間以上は走り続けなくてはいけないと覚悟した。 午前中も8割は走っていたので、果たして午後も走り続けることができるか…。 不安もあったが、とにかく走った。 日が高くなるにつれて、応援の人も増えた。 走り続けたかった僕はサングラスをかけて、集中して走っていた。 そんな時、前方から黒い車がハザードランプを出しながら、交通量の多い国道に止まりそうなのが見えた。 後ろに車がいる状況で、止まるかな~と見ながら、走って近づくと、窓を開けて運転席のお父さんと助手席の子供が「頑張ってくださーい!」と言った。 僕は後続の車が気になっていて、さらに後ろから大型トラックも近づいてきていたので、反射的に「後ろから車来てますよ!気を付けてください!」とだけ走りながら返してしまった。 とっさにお父さんは車を急発進させた。 が…そのあと僕は今のわずかな時間でもう一言言えたのでは…走りながら反省を繰り返した。 「頑張ってくださーい!」の声に「ありがとうございます!」の言葉を返す時間は本当に無かったのか…。 あの親子は思いがけない言葉が返ってきて、驚いたに違いない…。 今年はこのようなことがよくあった。 しかし、先日の英彦山登山前日にトンネルの一件があってから、車で駆けつけてくれる人が、駐車場や路肩の広い場所などきちんと車を駐車してから声をかけてくれることが増えたのを感じていた。 そんな中、今日はたまたま、自分の中でこの時の車のことが際立ってしまった感じだった。 トンネルの一件以来、あまりにも敏感になりすぎているのかもしれない。 この場を借りて、あの時の親子に「ありがとうございました」と伝えたい。 このことで、車に対する緊張感は変わらないだろうが、一瞬でも相手の言葉に答えられた方がいいなと学んだ。 間違っていたかな・・と反省を続けながら、夕日を浴びる高千穂峰を横目に60キロに到達し、暗闇の中残りを道のりを歩き続けた。 明日は99座目高千穂峰にアタックだぁ~ 12月21日(月)「雲仙普賢岳」 雨の中の出発になったが、水無川沿いを登山口に向けて歩いている途中に止んでくれた。 当初は、仁田峠までは車道を使って登る(片道22キロ)予定だったが、国土地理院の地形図を確認したところ、大野木場からの登山道が仁田峠まで続いていることに気が付いた。 ネットで調べると、平成15年に開通した大野木場仁田登山道だと分かった。 この道を使えば、普賢岳までの距離がかなり短縮することができる(片道11キロ)。 大野木場の登山口に向かっていると、全ての窓ガラスが無くなっている大野木場小学校前で足が止まった。 小学校についての解説があったので読むと、1991年の雲仙普賢岳の噴火で発生した大規模な火砕流の熱風を受けて被災したとあった。 人的な被害はなかったのだが、火砕流の直撃ではなくそれから発生した熱風で、ここまで被害を受けるのかと信じられない気持ちだった。 噴火による戦後最大の人的被害は昨年の御嶽山噴火となったが、それまでは雲仙普賢岳の噴火が一番多かった。 資料館にも立ち寄り、当時の衝撃的な写真を見て自然と表情が険しくなった。 当時、佐賀出身の父親がテレビに釘付けになっているのを見ながら、すごい黒煙をあげている山を思い出した。 これから登る山の大事な歴史に触れられてよかった。 大野木場仁田登山道はほとんど利用する登山者がいないのだろう、割と最近できた登山道なのに、予想以上に荒れていた。 雨は上がったが、樹林帯の中を歩く登山道はかなり蒸していた。 仁田峠に1時間ほどで到着した。 ロープウェーイ乗り場で、先月通行止が解除された登山道があると聞いたので、情報を確認した。 標高1,100メートル近くある仁田峠はすでに雲に包まれ、本来なら見えるはずの平成新山は全く見えなかった。 普賢神社で挨拶をして、参道のような登山道に進んだ。 先程まで蒸していた暖かさはなく、しっかり冬の山の雰囲気だった。 直接普賢岳にいくルートもあったが、もしかしたら次来たときに解除された登山道がまた通行止になってしまうかもしれないと思い、遠回りになるが、風穴や立岩の峰などを回るコースを経由して普賢岳に登ることにした。 もしかしたら、間近に平成新山を見ることができるかもしれない。 これが棚からぼたもち的な勉強になった。 火山に多い風穴は年間を通して気温湿度が一定で、その環境を利用して、明治時代には絹糸の生産が九州でも盛んになった。 というのも、原料となる蚕は温かい環境下では直ぐに孵化してしまうことから、蚕を九州中から預かり、この風穴で冬眠させていたという。 また、火山の岩の中に溶岩が冷えたとき正六角形になる「柱状節理」を実際に見たり、高山や亜高山で生息する苔がここ普賢岳の風穴には小さい世界にたくさん生息していることなどを学んだ。 (苔好きには嬉しい情報だ) そこから、標高を徐々に上げながら普賢岳山頂には午後1時に登頂した。 ガスガスの山頂で、目の前にあるはずの平成新山のダイナミックな姿は見れなかったが、予期していなかったことを色々知ることができただけでも、この山に来ることができて良かった。 下山も同じルートを通って、島原の町に戻った。 途中、中学校の前を通ったときに、子供を連れた親子からサインを求められて対応しているところへ、部活中の中学生が通りかかった。 後ろでヒソヒソ話す声が聞こえる。 「有名人!?有名人!?」「テレビに出てる人!?」 親子と別れ歩いていると走って追いかけてくる中学生が 「すいません!テレビに出てませんか?」 と聞かれたので 「はい。 さぁ明日は島原湾を漕いで戻るぞ~ 12月14日(月)「ふらっと」 前回の休養日から数えて、12日目の朝が来た。 ベットから起きるなり、たまにある左脇腹辺りの鈍痛が…。 出発時間が迫っていたので、とりあえず朝食を食べた。 しかし、予想通り腹痛に襲われ、体調が崩れてしまった。 今日は豊後大野市まで55キロの行程だったが、さすがの僕も心が折れた。 急いで予約していた宿に連絡して、宿泊日の変更や今日の宿を探して、予定を変更した。 そのあと、薬を飲んでチェックアウトギリギリまで部屋で寝た。 11時、チェックアウトしてホテルを出発する。 外は気持ちよく晴れていた。 僕の体調も寝たおかげで回復している。 予定変更したので、今日は大分市内までの25キロとなった。 のんびり九州の紅葉を見ながら歩いた。 昼過ぎちょっと小腹が空いたなぁーと思って、椎茸を栽培している「きのこの里」にふらっと立ち寄った。 ログハウスの建物に実家を思い出し、安らいだ。 席に座り、(栽培している椎茸を使った)きのこの里うどんを注文した。 間もなくして、うどんが登場した。 関西風の出汁のきいたうどんに椎茸の天ぷらがのっている。 まずは天ぷら一口食べると、椎茸の甘さが口に広がった。 もくもくとうどんを食べていると、そこに4人組のおばちゃんが大きな椎茸の入ったカゴを抱えながら、入ってきた。 「こんにちわ」と声をかけるとおばちゃんたちは皆笑顔で「こんにちわ」と答えてくれた。 おばちゃんたちもふらっと立ち寄ったようだ。 うどんを食べる僕とアイスクリームを食べるおばちゃんと一緒に大きな丸テーブルを囲むことになった。 自然とおばちゃんたちと話が始まり、椎茸は大分県の名産で同じ品種なのに、季節によって、形や大きさが違ったり呼び名が違ったりすることを知った。 春や秋はかさが薄く大きく広がり、冬は肉厚でかさは広がらないそうで、「どんこ」とかわいい名前で呼ばれる。 おばちゃんたちは別府の方で、気持ちのいい日なので、一人のおばちゃんの家に集まっていたそうだ。 それで家からきれいに色づく山を見て秋を感じ、「ちょっとあそこに行ってみない?」ということで、ふらっと今いる場所まで登ってきたという。 その話を聞いて、僕はいい話を聞いたな~と思った。 家から見える山に季節を感じ、ふらっと登りにいく。 車は使ってはいるが、おばちゃんたちにとっては十分山を登っているんだな~と感じた。 また、甲信越では例年より早い紅葉が、九州大分は例年より遅いということも、おばちゃんたちが教えてくれた。 さすがの九州も厳しい冬が待っていると予想していたが、予想外に師走の中旬でまだ紅葉を楽しめていることに喜びを感じた。 そしてなんと!おばちゃんの中には93歳のおばあちゃんもいることを最後に教えてくれた。 初めての師走の九州で、いい出会いをした1日となった。 12月7日(月)「リアス式海岸63キロ」 今日はタフな1日になること間違いなし!なぜなら、山陰の日本海側ルートはリアス式海岸が続き、ちょっと内陸の国道を走るので、海に突き出たいくつもの峰を越えていくことになる。 一番のアップダウンが続くエリアになるからだ。 さらに追い討ちをかけるのは、予定していた宿泊先がどこも満室で予約が取れなかったので、県境を越えて萩市の須佐町まで1日でいくことになった。 距離は63キロになる。 先日尾道から三次までが66キロだったことを考えれば、まだ短いが…アップダウンの連続は体への負担は大きい。 結局、この日は63キロのうち50キロを走る結果になった。 真っ暗になった夜6時半に宿泊先に到着した。 身体中の筋肉という筋肉がパンパンに張っていたことは言うまでもない。 ハードな行程の中で、救いだったのは、2日連続で島根県の腱引き師の方に施術をしていただけていることだ。 これで明日もいつも通り歩けそうだ。 今年は全国の腱引き師の方々に全面的なバックアップをいただけているので、八ヶ岳の怪我以来、大きな故障が無い。 本当に感謝してもしきれない。 今日も本当にありがとうございます! 11月30日(月)「しまなみ海道1」 四国本島からしまなみ海道を歩いて、再び本州中国地方に戻る。 昨年は尾道から逆コースで四国の愛媛県今治市に渡った。 同じコースを今回は尾道市に向けてあるいていく。 相変わらずの潮が激しい来島海峡を、しまなみ海道一長い橋、来島海峡大橋で越えていく。 しまなみ海道を楽しむサイクリストたちの拠点となる今治側のサイクリングターミナルを8時過ぎに出発。 見送りにはなんと!愛媛県のご当地キャラクターの「みきゃん」が来てくれた。 今までもご当地キャラクターに会ってきたが、動く実物に会うのは初めてだった。 無言で動くご当地キャラクターのみきゃんにどうしていいか少し戸惑ったが、朝早くからスタンバイしてくださっていたようで、一緒に記念写真をとって、元気よく見送っていただいた。 意外にも自分自身がご当地キャラクター慣れしていないことがわかった。 朝早くからトンカントンカンと金属音が響く今治造船を眺めながら、来島海峡大橋へと上っていく。 しまなみ海道に架かる橋は全部で7つあり、それぞれの橋には徒歩や自転車専用道がある。 向島までは橋が全て高速道路になっているので、毎回橋のたもとまで専用道を使って上り下りしなくてはならない。 ただ、案内もしっかりしているのでほとんど迷う心配はない。 全長は約70キロほどで、主に上陸して次の橋まで歩くことになる島は全部で6つ。 大島、伯方島、大三島、生口島、因島、向島の順となる。 今日は約40キロ先の生口島の宿に宿泊する予定だ。 最長の来島海峡大橋の途中には馬島という島があり、一般の人はエレベーターを使って、降り立つことができる。 とても面白い場所だ。 約6キロの橋を渡り終え、最初の島が大島。 今日歩く島の中では最長となる。 去年は夜になってしまった大島の日中の景色を楽しみながら歩く。 季節外れの暖かさもあり、久しぶりの暖かな秋晴れのなかを歩き続けた。 また、もうすぐ正月ということで、特産のミカン畑もたくさん見ることができた。 昼前に伯方島へ。 来島海峡大橋以外の橋はグッと次の島との距離が近くなるので、橋の長さは短くなる。 また、伯方島と言えば、「伯方の塩」だ!道の駅で早速、伯方の塩ソフトクリームをペロリと平らげた。 次の大三島までは3キロと短いのであっという間に大三島に渡った。 大三島が愛媛県最後の島となる。 全コース70キロもあることを感じさせないことも、しまなみ海道の魅力の一つかもしれない。 大三島は島の西側が中心部となり、そこには国の重要文化財にもなっている「大山祇神社」がある。 戦いの神でもあることから歴代の武将たちが尊崇したそうだ。 行ってみたかったが…島の西側と東側の間に高い山があり、回り込むとかなりの距離になるために、断念した。 本日最後の生口島が見えてくる頃には日も傾き始めた。 今日は大潮といいことで、いつもよりも潮が大きく動いていた。 西日を受けながら生口島まであとわずかのところで、白い箱みたいなモノが激しく動いているのが見えた。 なんと、広島県との県境で待っていたのは、本州四国連絡橋のイメージキャラクター「わたる」君だった。 身長190センチという長身に加え横幅もあったので、かなりの存在感があった。 突然の出迎えにビックリ!ここでも、ご当地キャラクターに慣れない自分がいた。 1日2度もご当地キャラクターに会えるとは、幸福者だ!体の大きさのわりには、動きが激しいわたる君に見送られながら、生口島に降り立った。 本日最後の生口島は夕日と共に静かな瀬戸内海を眺めながら、歩いた。 今年のしまなみ海道初日はとても有意義な時間となった。 サイクリストが集う海辺の一軒家が今日の宿となった。

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【田中陽希さん5日間密着】グレートトラバース”日本百名山ひと筆書き”①(前半)

グレート トラバース 3 現在地

急がないとこれは夜になるなと話していた撮影隊。 ところがこの日の陽希さんは沿道のファンの方一人一人にいつも以上に丁寧に対応していました。 もちろん時間がかかり、日が暮れても宿には着きません。 どうしてそこまでするのか聞くと「この旅はファンの皆さんと一緒に進む旅、ファンの皆さんあっての旅なんです」と話す陽希さん。 旅の最初の頃は増え続けるファンからのプレッシャーに悩まされたこともあったそうですが、これまでの旅の中でそのプレッシャーすら力に変えることができるようになった陽希さん。 明日は99座目の高千穂峰に挑戦します。 なぜなら、今日は九州最長の67キロの移動となるからだ。 当初は野尻湖辺りで宿泊を予定していたが宿を見つけることが出来ず、結果的に予定外の距離となってしまった。 まぁ仕方ない!長いなぁ~などと考えずに、とにかく走れるだけ走ろうと、小刻みな足取りで進んだ。 朝日を浴びながら、畑や牧草地帯にポコポコと点在する「東都原古墳群」の不思議な景色を見たり、葉っぱの部分だけ切り落とした大根が切り干し大根用だと知ったり、ちょぼちょぼと一定のペースで走っていても、新しい発見をすることができた。 日差しは強かったが、風はしっかりと冬の風だ。 走り続けていれば汗をかくほど体は温かくなったが、汗で濡れたウェアに風が当たると、体温が奪われるのを感じた。 そんな時、冬休みの子供がおばあちゃんと一緒に応援に来てくれた。 すると、車椅子のおばあちゃんが後ろに僕がいたことに気がつき、ニコッと笑いながら「あら~」と言った。 叫んでいたおばあちゃんとお孫さんも満面の笑顔で喜んでいた。 2人と握手をしていると、車椅子に座ったままのおばあちゃんが「あの人よね~昨日見たわよ~」と言いながら、車椅子からすくっと立ち上がって、スタスタと歩いた。 僕は予想を反した動きだったので、思わず笑ってしまった。 笑顔で3人に見送られて、再び歩き始めた。 昼頃に、コンビニで昼食と休憩をした。 再スタートしたあと、残りの距離を調べると、40キロ!時刻は12時。 おのずと焦りが出た。 とにかく宿に着く時間を7時に予定していたので、3時間以上は走り続けなくてはいけないと覚悟した。 午前中も8割は走っていたので、果たして午後も走り続けることができるか…。 不安もあったが、とにかく走った。 日が高くなるにつれて、応援の人も増えた。 走り続けたかった僕はサングラスをかけて、集中して走っていた。 そんな時、前方から黒い車がハザードランプを出しながら、交通量の多い国道に止まりそうなのが見えた。 後ろに車がいる状況で、止まるかな~と見ながら、走って近づくと、窓を開けて運転席のお父さんと助手席の子供が「頑張ってくださーい!」と言った。 僕は後続の車が気になっていて、さらに後ろから大型トラックも近づいてきていたので、反射的に「後ろから車来てますよ!気を付けてください!」とだけ走りながら返してしまった。 とっさにお父さんは車を急発進させた。 が…そのあと僕は今のわずかな時間でもう一言言えたのでは…走りながら反省を繰り返した。 「頑張ってくださーい!」の声に「ありがとうございます!」の言葉を返す時間は本当に無かったのか…。 あの親子は思いがけない言葉が返ってきて、驚いたに違いない…。 今年はこのようなことがよくあった。 しかし、先日の英彦山登山前日にトンネルの一件があってから、車で駆けつけてくれる人が、駐車場や路肩の広い場所などきちんと車を駐車してから声をかけてくれることが増えたのを感じていた。 そんな中、今日はたまたま、自分の中でこの時の車のことが際立ってしまった感じだった。 トンネルの一件以来、あまりにも敏感になりすぎているのかもしれない。 この場を借りて、あの時の親子に「ありがとうございました」と伝えたい。 このことで、車に対する緊張感は変わらないだろうが、一瞬でも相手の言葉に答えられた方がいいなと学んだ。 間違っていたかな・・と反省を続けながら、夕日を浴びる高千穂峰を横目に60キロに到達し、暗闇の中残りを道のりを歩き続けた。 明日は99座目高千穂峰にアタックだぁ~ 投稿時間:16:30.

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2016年3月

グレート トラバース 3 現在地

略歴 [ ] を卒業。 大学時代はスキー部での選手として活躍する。 に所在するカッパクラブで山岳ガイドやリバーガイドとして勤務しながら、2012年と2013年の ()に出場し、2年連続2位となる。 2014年、208日11時間かけてに点在するを南から北へ徒歩と海峡区間はだけで全行程7,800kmを人力踏破する「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」を達成。 2015年、221日と11時間かけてに選定されている残りの100座を北から南へ同様に8,000km踏破する「グレートトラバース2 日本二百名山ひと筆書き」を達成。 2018年からは、2年以上かけてに選定されている全301座 を一度に南から北へ20,000km以上 かけて踏破する「グレートトラバース3日本三百名山ひと筆書き」に挑戦中で、いずれの挑戦ものやTeam EAST WINDの先輩アドベンチャーレーサーの駒井研二らを同行カメラマンとし、この挑戦の様子はのBS放送と地上波放送で放映されている。 出演・著作など [ ] テレビ出演 [ ]• 第一集 屋久島・宮之浦岳から四国・剣山• 第二集 紀伊半島・大峰山から南アルプス・北岳• 第三集 日本アルプス大縦断!鳳凰山から白馬岳• 第四集 富士山・八ヶ岳・尾瀬 関東近辺33座を巡る• 第五集 最終回 7800km完全踏破へ!東北~北海道24座を巡る• ゴール達成記念 特番• 「もうひとつのグレートトラバース「密着!百名山人力踏破の舞台裏」」NHK BSプレミアム(2014年)• 「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き 15min. 」NHK BSプレミアム(2014年-2015年、全92回)• 「グレートトラバース 特別編「百名山一筆書き7,800km完全踏破!」」(2015年)• プロローグ 田中陽希・二百名山へ!新たなる旅立ち• 第一集 春~初夏・北海道10座に挑む• 第二集 夏・東北~新潟18座に挑む• 第三集 夏から秋へ 関東~南アルプス19座に挑む• 第四集 秋・日本アルプス大縦断• 第五集 晩秋・北アルプスから西へ!• 第六集 冬・四国~九州12座 そしてゴールへ• ゴール達成スペシャル• 「グレートトラバース2 15min. ~日本二百名山一筆書き踏破~」NHK BSプレミアム(2016年、全100回)• 「グレートトラバース外伝 大冒険 パタゴニア ~田中陽希 世界の頂点に挑む~」NHK BSプレミアム(2016年)• プロローグ 冬の北海道大縦断• 第一集 厳冬! 九州南部9座をめぐる• 第二集 九州北部大火山地帯をゆく• 第四集 四国大縦走!• 第五集 大縦走!中国山地&六甲山• 第六集 紀伊山地修行道 8座に挑む• 第七集 知られざる古都の名峰 11座へ• 第八集 霊峰白山と信仰の山々• 第九集 北陸から北アルプスへ 立山・剱岳• 第十集 北アルプス 後立山連峰大縦走• 第十一集 黒部源流の山々から槍・穂高へ• 第十二集 北アルプス最終章 表銀座から乗鞍岳へ• 第十三集 飛騨・木曽そして絶景の富士• 第十四集 冬の関東・東北1,000kmの旅• 第十五集 大豪雪地帯 北信越の山々へ• 第十六集 大岩稜地帯 信州・上州の山々へ• 第十七集 初夏 八ヶ岳連峰から南アルプス北部• 第十八集 中央アルプスから南アルプス新南部へ• 第十九集 真夏の南アルプス大縦走!• 第二十集 富士山・北岳・間ノ岳 日本のトップ3に挑む• 第二十一集 巨大山塊!奥秩父をゆく• 第二十二集 日光から尾瀬へ 9座を歩く• 第二十三集 尾瀬へ 谷川岳へ 知られざる絶景へ• 第二十四集 晩秋 越後の山々 そして佐渡へ• 第二十五集 東北豪雪地帯 月山・朝日連峰7座に挑む• 第二十六集 厳冬! 氷雪の越後・会津の7座• 「グレートトラバース3 プロローグ 15min. 「冬の北海道大縦断」」(NHK BSプレミアム(2018年、全4回)• 「グレートトラバース3 15min. 」NHK BSプレミアム(2019年 - 、全?回) DVD [ ]• グレートトラバース ~日本百名山一筆書き踏破~ ディレクターズカット版 (2015年)• グレートトラバース2 ~日本二百名山一筆書き踏破~ (2016年)• グレートトラバース外伝 大冒険 パタゴニア ~田中陽希 世界の頂点に挑む~ ディレクターズカット版 NHKエンタープライズ(2016年) 著書 [ ]• 「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」(2015年)• 「グレートトラバース2 日本2百名山ひと筆書き」NHK出版(2016年)• 「アドベンチャーレースに生きる! 三百名山全山人力踏破では、立入禁止のは至近ののヨッピ橋の通過をもって登頂扱いとした。 動力の使用については、の人道用海底トンネルへの昇降のみはエレベーターを利用したほか、百名山ひと筆書き時にはでのカヤックの使用が禁じられているので平の渡の渡し船を利用した。 原則として日本三百名山から選定された日本二百名山に、三百名山の選外からが選ばれたため、日本百名山、日本二百名山、日本三百名山に選定されている山の合計は301座となる。 前2回の挑戦と異なり山と向き合うことを重視して天候を選んで登るなどスピード登山を放棄した事や、道中での右手の指の骨折、などで行程の大幅な変更を余儀なくされ、冬季には限定した山にしか登れないこともあり全行程が長期・長距離化した。 出典 [ ].

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