その 画像 もらって いく ね あと いらない と 思う けど。 クリスマスプレゼントを彼氏にいらないと言われた!その心境3つを考察

ダイアリー 20/05/27 〜長い5分を過ごして眠いけど眠いからデレたりできる平成生まれインターネット育ち埼玉県民

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一筆書きで征く!名古屋~高山本線~富山ツアートラベル旅行記2020春(その4) 飛騨金山~!飛騨金山~!久しぶりの飛騨金山~! 飛騨金山は高山線に乗って一番最初に出会う飛騨である。 『飛騨』と言ってもほとんどの人はピンと来ないと思うけど、大まかに飛騨(地域)というのは飛騨市と下呂市を合わせた範囲が大体それと思ってもらっていいかな?たぶん。 飛騨というと『飛騨市』『飛騨(地域)』2種類の意味を持っているが、それは話の流れで理解してくださいませ~! ところで、前回来たときは『筋骨めぐり』のことを知らなかったから、そのあとで友人に「筋骨めぐりやった?」って聞かれて「え?何それ知らん!」みたいな感じでモヤモヤが溜まっとったんよね。 と、い・う・わ・け・で! やっとこさのリベンジ! 筋骨めぐりin飛騨金山はっじまっるよ~!ワーワー!ヒューヒュー! 飛騨金山駅で降りた者は何人たりともWELCOMEの洗礼を受けなければならない。 WELCOMEとあるが飛騨金山とは書いてないのはちょっとアレだし、もっと言えばWELCOME下にある写真も関連写真なのかどうかよく分からない。 そう、これが俺たちの飛騨金山! 飛騨特有の奥ゆかしさがあるのです! 誰でもWELCOME!飛騨金山! そして少々歩くと飛騨川にかかる金山橋がある。 これを渡るといよいよ飛騨金山の本領発揮となるわけですよ奥さん! 本日はあいにくの空模様ではあるが、金山橋からの眺めはとても良いものだ。 橋を渡りきると、ちょっと懐かしい感じの街並みが現れる。 ここを通り抜け右に曲がって少々のところに奥飛騨酒造がある。 飛騨入りして初の酒造なのである。 創業300年の蔵は、丁寧に住まれてきたんだなという美観を保っておりますね。 住みたさすらある。 奥飛騨酒造ではいくつか試飲ができるので色々試させてもらった。 この初緑の生酛がなかなかよろしい。 何と言うかワインによく見られるキュッとした収斂味があるのだ。 これは日本酒ではほとんど見られないタイプだと思う。 うまい。 それ以外の酒も割と外向き(海外に向いてそう)な感じがする。 ウォッカなども造っていてなかなか面白い。 原材料は米だと思ってたけど雑穀って書いてあるな。 奥飛騨の大吟醸酒粕を使ったクリームチーズがめっさ旨いんですが、これはもう買わざるを得ないですね! ディスプレイされていた初緑の1合瓶がものすごく欲しかったが、これはデッドストックらしいので残念ながら買えず。 『中山七里 初緑』とありますね。 中山七里はこの近くにある景勝地で、飛騨川の渓谷のことっすな。 そこに春が来たことをめでたく思う気持ちが銘柄として付いたのかな?とてもいいよね。 色々話を聞いていると、女将さんが年代もののオルガンで曲を弾いてくれた。 このゆったりした時間。 とても良い。 これだけで飛騨金山に来て良かったなぁと思えるものである。 みなさまも是非、奥飛騨酒造にお越しくださいまし。 国道41号線沿いにもう一店舗ある奥飛騨酒造の販売所に立ち寄る。 こっちは主に下呂温泉から帰るお客さんを狙い撃ちしようと国道沿いに販売所としてのオープンしたとのことで。 とても良い施策。 ちなみに「置いてある商品は同じ」だと言ってたけど、本店の方にはカップ酒を置いてなかったのでこっちで買った。 初緑のラベルはキラキラしていて写真に収めにくいですねw これはオススメなので買うといいぞ! さて、そろそろ街歩きしつつ本格的に筋骨めぐりをしようと思う。 前回来た時はこの立体的なくねくねした通りを歩いて満足して帰ったのだが、帰った後で筋骨めぐりを知って悔しい思いをしたのだ。 だから…今日という今日は! 筋骨めぐりを俺はやる! 筋骨めぐりに俺はなる! 俺が筋骨めぐりだ! これより、とりとめもなく写真をだらだら流すので、何が筋骨なのかよくわからないかもしれないけど、とにかく見て欲しい。 筋骨めぐりの『筋骨』とは要するに路地裏なんだけど、何も聞かされていなかったら路地裏群を通ろうと考える者は殆どいないだろう。 路地裏って割と私道みたいなところが多くて、勝手に入ると怒られる時もあるんだけど、飛騨金山ではそれを観光資材としているので非常に興味深く面白い。 というわけで、飛騨金山の街並み&筋骨めぐり! どうぞご覧くださいませ! かつてこの地にあった一軒の銭湯が一般公開されている。 すごく良いがもったいないという気持ちもちょっとある。 うまく観光資材にできればいいのになあと思うけど。 こんぐらい古いと逆に復活させても面白いのではないかと思ったりするが、まあ、俺みたいな外野の言うことは当てにならんけども。 さてそろそろ列車の時間だ…戻るか。 あと15分くらいあるな…ダッシュで回るか! この喫茶店、時間があったら入ろうと思ったけど、残念ながらタイムリミット!次回こそは! そして、見えてきたのはSEE YOU AGAIN 飛騨金山…筋骨めぐりは楽しい。 楽しいのだが、いかんせんマネタイズできてないので、リピート客が来るかというとちょっと謎なところがある。 とはいえ、これは飛騨なのだ! とにかく町の人たちがとても親切だ。 立ち止まっていると声をかけてくれる。 ちょっぴり奥ゆかしさもある、紛れもない飛騨なのだ! 寂しい感じもあるし、廃れた感じもあるけど、優しい空気が流れている。 そんな飛騨金山がcongiroさんは大好きです。 一介の旅行者しにしかすぎない俺だけど、何か起死回生の策でもあれば面白いんだけどなーと思い巡らせながら歩いていた。 むしろ観光資材のない飛騨萩原の方が、若干安泰のような気もしている。 飛騨金山はこのまま朽ちてしまうにはとても惜しい。 とにかく飛騨金山は行ったことない人は一回行ってみるといいと思う。 名古屋・岐阜から最も近い飛騨なので、高山に行くのもいいけど、飛騨金山はユニークかつオンリーワンの要素を持っているから行ってみて損をすることはないはずだ。 次来た時は、飲食視点で見る飛騨金山をテーマにちょっと歩いてみたいと思う。 特に川の横にあった喫茶レインボーがすげー気になってるし、奥飛騨酒造も良かったし、また必ず来ることでしょう。 では、飛騨金山しばしの間お別れです。 また会う日まで。 ~つづく~ congiro.

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何もしないという親不孝感を|紫 りえ♪|note

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文房具 文房具、とりわけ ペン類の量が尋常じゃないのです。 ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、色鉛筆。 重複しているアイテムも多々あり。 そこにハサミやホチキス、テープなどが加わります。 子供の頃に使っていたペンケースとかまだ置いてあるけど、捨てるようとすると使うと言うのです。 事務仕事をしている私の10倍以上の文房具がなぜここで必要なのか。 5本もあれば事足りると思うのですが、そんな理屈は通じません。 ペン類は粗品でタダでもらえたりする上に使わないから減りません。 つまり増える一方。 とりあえずまとめてあるけれど全捨ての衝動に駆られます。 お土産系置物 思い出が大切なのはわかります。 とはいえ遠縁の親戚からもらった木彫り置物が、旅先の妙なテンションで買ったガラスの置物が、見返されることもなく棚の奥の方にただただ置かれている状況よ・・・ 子供の頃はそれらを見ても「お土産というのはとっておくものだ」という認識でしたが、今は気づいてしまったのです。 ・・・いらない。 週に何度も掃除機をかけて片付けをした気になっているようだけど、そもそもあの埃をかぶっている置物をどうにかしないか? 収納グッズ キッチンのスポンジを置くプラスチックラック。 冷蔵庫に張るマグネットペン立て。 何が入っているのか把握できていないフォルダ。 もうそういうのいい加減に捨てちゃえばいいのにな〜と内心思っています。 ああこれがはっきり言えたなら。 網戸や障子の張り替えはするのに、なぜそっちはできないかがマジで謎。 「モノをどこかに置く・突っ込む=片付け」なのでしょう。 試供品 アメニティグッズや街中でもらったり雑誌についている試供品。 すぐに使うか一定期間が過ぎたら捨てるかしようよと声を大にして言いたい。 なのにすぐ洗剤がないとかシャンプーがないと言ってはドラッグストアへ向かいます。 ・・・あるよ、あそこに試供品の山が。 旅行に行くためにとっておく必要はないよ。 きっとそのホテルにもちゃんとアメニティグッズがあるから。 フリーペーパー 郊外のこの地であってもフリーペーパーが何紙かあります。 これは田舎あるあるかもしれないけど、 勝手に郵便受けに入れられるのです! 行政が発行するものはもちろん、9割型広告で中身が極めて薄い上に毎回同じ店が掲載されているフリーペーパーも。 そしてそれを律儀に(?)取って置く親。 いい加減、捨てよう。 そもそもクーポン使っているのを見たことないよ。 食器 とにかく多いのが食器です。 そうめん用やお正月用など、季節ごとの器を家族分プラス2揃えたい気持ちはわからなくはない。 風流だと思う。 でもそのせいで 毎日の食器が取り出しにくくなっていることに気がつかない。 カトラリーもやたら多くて、小さなフォークだけでも果物用、ケーキ用、和菓子用。 小さい頃など手伝いをしようものなら「それは果物用だから違うでしょっ」と言われ、使えたらどれも同じじゃね?と思っていました。 でも私以外の家族はそれが当たり前のように使い分けていたな〜。 普通に1種類でいいのに。 布もの 玄関マット、キッチンマット、お風呂マット、棚の上の花瓶用マット、窓の目隠しカーテン(本来のカーテンが開いている時に目隠しになるカーテン)、ランチョンマット、ソファーや何かの上にやたらと敷かれた布。 とにかく布が多い。 マジ引くぐらい多い。 そうした布から日頃どれだけの埃が出て、どれだけの洗濯を必要とし、そもそも購入時に幾らお金を費やしたのか。 結果として何をもたらしてくれたのか。 それでもまだ雑貨屋で敷物などを買おうとするのを見て 「わたしたちにもう、ヌノはいらない」と遠い目をしてしまいます。 スリッパ これはうちだけでしょうか。 やたらスリッパが多いのです。 家族用と来客用。 それぞれの夏用と冬用。 庭などの「ちょっと外で履く用」。 勝手口とベランダにもある。 母に至っては色バリエーションも豊富だ。 本気で思いますが、家族分プラス4足もあれば十分だと思うのは大きなお世話なんだろうな。 時計とカレンダー どこにでも貼ってあり置かれている。 トイレにも洗面所にもです。 何に行き急ぎ、何をそんなに確認したいのかが本当にわからなくて、これはやんわり聞いてみました。 あるとなんか安心だそうです。 じゃあまあ仕方ない・・・のか(笑)。 タオル 実家のタオルの多さについては相当前から気がついていました(画像の10倍は余裕である)。 子供の頃から手伝いで洗濯物を畳むのですが、タオルをひたすら折っていたからです。 そして色柄豊富です。 タオル=色柄モノで、いただくものというのがデフォだった。 なので真っ白で揃えるみたいなミニマリスト業界の常識に触れた時は衝撃でしたね〜(笑)。 ちなみに、一人で暮らし始めてからも最初は分けていました。 刷り込みってやつですね。 でも気がつきます。 ・・・こんなに、いらない。 というわけで、実家で少々モヤッとする「それいらない」アイテムでした。 放っておいてよっと言われるので本人たちには言いませんがね。 ここで書いてスッキリしたけどね。 「お迎えが来るその時までになんとかしておいてくれ」とマジ懇願な大物家具はもちろん多々あります。 ただ、こういう小物系は習慣的な部分があるから本当に捨てられないようだし、価値観を変えにくいようですね。 そのくせチリツモで結構な量になるわけで。 な〜んて、ちょっとぼやいてみました。 長いね! 最後までお読みいただきありがとうございます。 癒されよう。

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ダイアリー 20/05/27 〜長い5分を過ごして眠いけど眠いからデレたりできる平成生まれインターネット育ち埼玉県民

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母の日がくる。 女性で子育て中の世代は、母であり、子であり。 もらうこともあり、渡すこともあり。 そんな人もいるだろう。 スーパーの入り口に、花束のコーナーが作られていて、若い夫婦が花を選んでいるのを、横目で通りすぎた。 私は何もしないから。 🥀 何年か前に読んだ新聞記事によると、 母の日にプレゼントしてもらいたいことの1位から4位までは「モノ」ではなかった。 一緒に外食が1位、その後、手紙や感謝の言葉、一緒に旅行などと続き 5位にようやくカーネーション以外の花、となっていた。 カーネーション以外って 笑 今年はいつもと状況が違うからまた違う結果なのかもしれないけれど。 🥀 私の母も「モノ」はいらない、というタイプ。 もらったあとも、ちょっと癖があるというか、喜ぶのが上手じゃない。 私もどちらかというと、モノは自分で選びたいタイプなので分からなくはないが、それでも健気に子どもはいろいろ考えるもの。 特に近くに住む弟夫婦には、顔も見せないで行事のときにだけ いらないものを贈ってくる、と大変キビシイ。 何でも喜んでくれる人ではないので、私も以前は、何がいいかと随分頭を悩ませて選んでいた。 それでも「何もいらないのに」「こんなの買ってきてもったいない」 なんて言われ撃沈することを繰り返し、どうして素直に喜べないんだろうと哀しくなり、 結果、行事に贈りものをするのをやめてしまった。 そのかわり、顔を見せるときには、必ず使うであろう実用品や調味料やお米などの食品をその都度持参する形にした。 母は美味しいお菓子を買っていっても喜ばない 今年は帰省していないけれど、今まではGWに顔を見せに行くと、翌週の母の日に顔を出すことすらほとんどない、薄情な娘へとなり下がった。 いらないと言われながらも、弟夫婦はいまだに花を贈り続けている。 嫁って大変だな、と思う。 それでも。 母の日のプレゼントに頭を悩ますことがなくなったのはいいのだが、 世間が母の日で賑わっているのを横目で見ていると、 何もしないという親不孝感はぬぐいきれない。 あれが欲しい、と言ってくれた方が余程楽だと。 そういうタイプの親を持つ私は重々承知なのだが、娘にいざ聞かれると、 それほど子どもに買ってもらいたいものなんてないなぁ、と 子どもを持ってからつくづく思う。 でも、私はもらったら当然「ありがとう」と喜ぶ。 その気持ちが嬉しいもの。 贈りものって、気持ちのギフトでもあるのだから。 たたきのめされるツラさも知っているし。 我が家は、下の娘が小学高学年になった頃からだったか、 うさぎ好きな母 私 に、誕生日か母の日に「うさぎの小物」を贈ってくれるようになった。 当時は少ないお小遣いでのやりくりなので、無理してお小遣いを使うことないよ、と言っていた。 なので、上の写真のようなお手紙の時もあるし、母の日だったり誕生日だったり、そのときのふところ具合で変わった。 時々このnoteに、本などを紹介するときのトップ画像に出演してもらっている2羽のうさぎちゃんも母の日にもらった娘からの贈り物。 こんなんとか いろいろと活躍してもらっている。 モノはいらん、という祖母と母をみて育ち、母の日を知らんぷりして過ごす親不孝ものの母を持っても、母の日を気にかけてくれる娘に頭がさがる。 一年一年、ひとつまたひとつと増えていったので、 娘からプレゼントされた「うさぎのコーナー」がある。 ちょっとした癒しのコーナー。 カレンダーの年は、11月の誕生日プレゼント。 古いからもう捨てなよ、と言われつつ可愛くて残している。 本当にお小遣いで買える程度の小物なのだけど、娘が学生だったころの気持ちの歴史なのだ。 これを見ていると母にも何かないかな、なんて思う。 思うけど、結局「子」としての勤めも果たさず今年も過ぎていくだろう。 普段は適度な距離感で過ごしているし、とくに何も感じない。 私の親はオンラインとは無縁の生活をしている。 メールもしない。 電話は、先日したばかり。 あまりかけても、どうしたの、と言われる。 でも、そう言われるくらいかけたほうがいいのだろうか。 そんなふうにアレコレ思ってしまうのは、この日が近づくと、贈りものはしないと自分で決めたのに、どうしても親不孝感がぬぐえず、華やかなギフトやそれに纏わる話にのりきれない窮屈さを感じてしまうからだ。 母の日のプレゼントのいるいらないも関係なく モノとかそうじゃないかも関係なく 大事なのは、そこにある親への気持ち。 と、今年も何も贈らない自分への言い訳を、母であり子である 薄情な自分に贈って、なんとかやり過ごす。 かせみさん 返事遅くなってスミマセン💦 そういわれると、私もね言ってしまうなあ と思いました。 娘に「何かほしいものある?」「別にないなあ」「だよね」なんて会話が😅 いらない、というのは、なくてもかまわないよ、気にしないで、という意味で、どちらでもOKなのかと 私の心理的に😆。 ウチの母のように絶対買ってくれるな!的な意味ではないのかと。 ウチの娘は実際なにもない年もあるんですよ。 でも特にがっかりもしないわけでして😅人の心ってホント色々難しい😅 私も言葉を選んで答えなければと思いました。 でも喜んでくれるのだから渡したほうが、きっとお互い気持ちがいいですよね😊 ウサギ好きです。 お米なども「また買ってきて」とか言われちゃいますが、放置されることはないので プレゼントはいらないと放置されたり後に返されたりします💦 買い物も一緒に行ったときに買おうとすると頑なに嫌がります😫 今は難しいけれど、結局は顔をみせるのが一番なのかもしれませんね。 手紙も可愛くてとってあります。 今は遠くてもネットで顔が見られたり うちはできないけど 贈り物が届けられたりして、コミュニケーションとれるのもいいですよね。 母の日にエプロンを買ってあげたら、嬉しそうな顔をしませんでした。 今、母の気持ちが分かる。 エプロン付けてもっと家事しなさい、と言われているようでつまらなかったのだと。 母は綺麗なブラウスとかバッグが欲しかったんだなあ、と。 私だって、今、娘からエプロン買ってもらっても嬉しくない。 一万円もらって、それで素敵なブラウス買って、あちこちお出かけしたい、そう、そんなプレゼント欲しいけど、今、誰もプレゼントくれない。 姪と甥だけが、なぜか、「好きな物買ってください」とお金をくれる!お金って、ほんとうに大切なものだと思います。 日本人はお金のことを言うのは.はしたない、と思いがちだけど。 涙出るほどうれしい。 もったいなくて使えない!今も大切にとってあります。

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