小説王 感想。 『小説王』5話のネタバレ感想!豊隆と晴子が付き合うことに!

小説『BLEACH Can't Fear Your Own World 3』 感想

小説王 感想

Amazon primeで配信中の「王は愛する」全20話、見終わりました。 イム・シワンくんが出ているという理由で、前々から見たかった作品。 見終わったあとには、二番手のホン・ジョンヒョンくんにハマってました。 ハハハ。 政に興味を持たず、権力争いも嫌い、いつも親友リン(ホン・ジョンヒョン)と過ごしていた。 ウォンにとってリンは、家族よりも心を許せる存在であり、一生を共にすると誓った特別な存在であった。 リンは、友でありながらも護衛としてウォンを誰よりも近くで支えていた。 ある日、二人は身分を隠し王宮の外に出かけ、高麗一の大商人ウン・ヨンベクの妻が何者かに殺されるところを目撃する。 殺された女性の娘であるサン(ユナ)は幸い難を逃れる。 一方、ウォンとリンは、サンの母親が亡くなる直前に残した娘への遺言をサンとは知らずに伝える。 これが三人の出会いだった。 7年後、ウォンとリンは美しく気高い女性に成長したサンと再会する。 三人の間には友情が芽生えるが、ウォンは次第にサンに恋心を抱き、リンもまたサンに密かに想いを寄せていく。 永遠に続くと信じていた二人の友情がはからずもサンによって崩れ始め…。 (最近、このパターン多い。 笑) 少しゆっくりとした展開で、あまりアップダウンもなく、ひとつひとつ丁寧に描かれた美しい時代劇。 高麗時代を舞台とした、美しい若者3人が主役の物語です。 衣装も華やかで、映像と音楽も主人公3人を引き立てるような美しさ。 物語の軸は、イム・シワンくん演じる世子ウォンと、ホン・ジョンヒョンくん演じる世子の友人リンと、ユナちゃん演じるお金持ち商人の娘サンの、いわゆるコテコテ三角関係のお話です。 ドロドロ三角関係ではありませんのでご安心を。 そこに、高麗の政権争いが絡んできたり、サブキャラのラブラインが描かれていたりと、登場人物が多く、人間関係がなかなか複雑なんですけど、物語としてはわかりやすい定番ラブストーリーでした。 サンがウォンとリンのどちらを選ぶのか? 恐らくこのドラマの見どころはココなのでしょうが、私にはウォンとリンのブロマンスの方が印象に残るドラマでした。 それに、主人公のウォンより二番手のリンの方が目立ってたんじゃないかしら?と思うようなストーリー展開も印象的でした。 もちろんイム・シワンくんの世子は、ちょっと強引だけど威厳があってとてもカッコ良かったですよ!両親から愛されずに育ち、どこかしら寂しそうな世子の雰囲気がイム・シワンくんから感じれましたしね。 もうちょっと背が高かったらな…と思ってしまうのですが(笑) リン役のホン・ジョンヒョンくんですが、感情を出さずにいつも一歩下がって世子やサンを守る姿がとてもしっくり!優しさと男らしさが滲み出ていてすごく素敵に見えました。 最初は「麗」のときのホン・ジョンヒョンくんが頭から離れず、違和感ありありで見ていたけど、後半にはそんなことすっかり忘れるくらいリンにハマってました。 ずっと孤独だったウォンを救ってくれたのがリンです。 そして、リンはウォンの全てを理解した上での生涯の友になります。 サンというひとりの女性をきっかけに、終盤はふたりが大きな陰謀に巻き込まれるのですが、最終回、ウォンを思ってのリンの決断には泣けてきました。 この時代ならではの苦渋の決断。 ウォンとリンの友情がとても熱かっただけに、男らしくカッコ良かったけど、見ていて辛かったです。 そしてサンも、ウォンかリンか…どちらを選ぶか決断する時が来ます。 このときのサンの気持ちが、中盤あたりから読めなくて、あれれ?どっちが好きなんだろう…と一瞬悩みましたが、私はホントに些細なあるシーンを見てからサンは最初から〇〇が好きだったんじゃないかなぁと思ってずっと見ていたので、最終回を見て、やっぱり!って嬉しくなりました。 一度しか見ていないとわかりづらいのですが、何度か見直していると、それらしきサンの心理描写が伏線として出てきていることに気付きます。 他のドラマにはない、特に時代劇ではちょっと珍しい意外な展開の結末に楽しめます。 見終わってみると「王は愛する」というタイトルより、私は「王を愛する」の方がしっくりいくような物語だったかなと。 3人の誰に感情移入してもおかしくないストーリーだったので、見る側次第でタイトルの意味が変わってしまいますね。 リンとサンがウォンを愛する気持ちがひしひしと伝わってくる、そんなドラマでした。 結果的に、みんなそれぞれに大事なものを失ったわけですが、ウォンが一番大きなものを失ったと思います。 そう考えると、やはり「王は愛する」で正解なのかもしれません。 韓国ではあまり視聴率が振るわなかったドラマだそうですが、政権争いの陰謀など、なかなか見応えがあり面白かったです。 恋と友情の間で揺れ動く3人の美しい絆に心が温まる素敵なドラマでした。 機会があれば、小説も読んでみたいと思います。 商品情報.

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『茜に燃ゆ―小説 額田王〈上〉 (中公文庫)』(黒岩重吾)の感想(7レビュー)

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未来における大戦のさなか、イギリスから疎開する少年たちの乗っていた飛行機が攻撃をうけ、南太平洋の孤島に不時着した。 大人のいない世界で、彼らは隊長を選び、平和な秩序だった生活を送るが、しだいに、心に巣食う獣性にめざめ、激しい内部対立から殺伐で陰惨な闘争へと駆りたてられてゆく……。 少年漂流物語の形式をとりながら、人間のあり方を鋭く追究した問題作。 引用:amazon 登場人物について あらすじに補足を入れるに当たって、主軸となりうる登場人物たちのことについて触れてみたい。 まず主人公の ラルフ。 彼は 頭の回転も速く見た目にも爽やかな美少年なので、子供たちが集まった時に自然とリーダーに選ばれてしまうような人間で、学校のクラスで言えば一軍の中の一軍といったところか。 作中では精神的な幼さはあれど、皆をまとめ、 救助される事を最優先に考えて烽火を絶やさないことを主張するなど、比較的常識的な判断をしていく姿がみられる。 そんなラルフの真逆の存在として ジャックという少年も登場する。 ジャックは プライドと承認欲求が強く、周囲からの尊敬を得ないと自身を保つことが出来ない少年だ。 小学生のころにいたよね、そういう奴。 面倒くさい奴。 彼は、目先の欲求を満たすことを考えているので、烽火なんかより狩りをして、豚を殺して食べることに夢中になり、その方が楽しいということを周囲にアピールする。 そしてもう一人、物語に外せない存在として ピギーがいる。 ちなみに唯一メガネをかけているので、火を起こすことが出来る便利キャラだが 終盤に落石によって殺されてしまう。 この3人を中心に、隔絶された孤島で自己顕示欲がぶつかり、承認欲求が暴走し、人間の内側にある悪がジワリジワリと浮かび上がってくるストーリーが展開する。 他にも双子やらサイモンやらのサブキャラは登場するが、それは読んでみて欲しい部分だ。 作中では、遭難中に殺して食べた豚の生首に蠅が群がっている様子の事を指している。 その禍々しい表現は人の心の闇を暗喩しているようで、想像すると気分が悪くなってしまう。 孤島でのいじめ 作中ではリーダーとして推されていたラルフは、孤島という閉鎖空間で徐々に立場が悪くなっていく。 集団心理の恐ろしさでもあるのだが、仲間たちが少しずつ少しずつジャックの味方(狩猟隊)になっていく描写は精神的に非常に堪える。 さらに、 集団リンチでサイモンが殺され、唯一味方でいてくれたピギーも岩を頭上から落とされて海へ落下し殺されてしまい、最後には秩序もなくなり、島にいる全員が自分を殺そうと追い詰めてくる。 ゆっくりいじめが加速してくような描写は、読んでいて気分の良いものではないが、決して起こらないとも言い切れない恐怖がそこに存在している。 承認欲求の肥大 なぜ少年同士の殺し合いなんてことが起きるのかを考察すると、大きな原因として ジャックの承認欲求の肥大が挙げられる。 自分ではなくラルフが隊長に推薦されたことが、ジャックの自尊心を傷つけ、承認欲求が膨れ上がることになってしまった。 限られた空間の中で個人の承認欲求が暴走すると周囲を巻き込んで取り返しのつかない悪夢が生まれるのだ。 この物語ではその様子が生々しくありありと書かれている。 自分を守るためなら他者を攻撃することが当たり前という考え方も、決して安易に否定されるべきではないが、それにしても方法、手段、タイミングは選ばなければ悲劇しか生まないということだ。 読書感想文にしやすいポイント もしもこの作品で読書感想文を書こうとしている人がいるのであれば、性善説と性悪説の部分は書きやすいポイントかもしれない。 何か1つ違ったらここまでの悲劇にはならなかったのかもしれないが、この作品を読むと 人間の根本は悪なのではないかと疑ってしまう感情は必ず浮かんでくるだろう。 人間の性根、あるいは本能と呼ばれるものは、他人を傷つけ、物を奪い、力を持って君臨することを欲しているのだろうか?そこに自身の意見を融合して書くことをおすすめしたいところだ。 他にも、 ラルフと自分を同一視して感想を書くこと。 読む前の自分と読んだ後に考え方が変化した自分の事を対比して書くと評価されやすい読書感想文になるので試してみて欲しい。 ファシズム批判? また、この作品はどことなく ファシズムの考え方を批判しているようにも感じてしまうのは深読みだろうか。 正当性のある話をしていたとしても、一人の人間が作り出したその場の空気や、実際に起こした行動によって、大衆の意見がその真逆に流れていくことがある。 蠅の王では子供の話にしてあるが、大人の世界でもいつのまにか常識やモラルがネジ曲がっていることなんていくらでもあるのだ。 一人の独裁者に操られた 集団意識とは恐ろしいものだから、気を付けなければならない、とそんな忠告をしてくれているようにも思えるのだ。 最後に 出版を断られるような問題作ではあるが1963年、1990年のそれぞれに映画化もしている。 それだけこの作品に力があったということなのだろう。 中学生、高校生の読書感想文のテーマにするには過激で怖い話なので、トラウマになってしまうかもしれないが、島での出来事はそのまま学校のクラス内でも起きている出来事に置き換えることもできる。 スクールカーストから逃げられない中高生にこそ、読んでもらいたい作品とも言えるので、僕はこの作品をおすすめしたいと思う。

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小説王 感想

こんにちは。 本日は、伊坂幸太郎氏の 「クジラアタマの王様」の感想です。 小説の間にコミックパートを挟んだ作品です。 作品の一部として絵が存在します。 文章でアクションや立ち回りを表現することも小説の醍醐味ですが、一方で、絵で表現した方が直接的にダイナミックに伝わります。 著者は、10年ほど前からそういう小説を作りたいという願望を抱いていたそうです。 コミックパートは小説の一部であり、挿絵ではありません。 挿絵は小説で描かれていることを追加的に絵で表現しています。 本作のコミックパートは小説の一部であり、それがないと物語は完結しません。 コミックパートと文章が、どのように組み合わさってひとつの物語になっているのか。 著者が長年望んでいた小説の形は、どのように結実したのか気になるところです。 コミックパートの絵は川口澄子さんが担当しています。 著者の満足のいく絵を描いてくれたとのことです。 だからといって、その絵に合わせるためのストーリーを書いたのではありません。 あくまで著者が書いた小説が、文章と絵で構成されているということです。 従って、著者にはコラボという認識はありません。 著者が考えるコラボは、阿部和重氏との「キャプテンサンダーボルト」だけです。 本作は、コミックパートをどのように読んで(見て)いくかが重要なポイントです。 コミックパートの分量は少ないが、そこに描かれている出来事は物語の重要な構成要素です。 だからこそ、コミックパートを描いてもらう人や絵にこだわったのでしょう。 「クジラアタマの王様」の内容 製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。 広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。 訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。 不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。 打ち勝つべき現実とは、いったい何か。 【引用:「BOOK」データベース】 「クジラアタマの王様」の感想 文章とコミック 文章とコミック(絵)が組み合わさり、物語が構成されます。 こういう形の小説を読んだことがありません。 挿絵のある小説は多いですが、場面や登場人物を切り取っているに過ぎません。 読者の想像力を助けるといったところでしょうか。 極論すれば、無くても困りません。 本作は、コミック(絵)がないと成り立ちません。 コミックが物語の一部を担います。 著者が言うように、文章で書くよりも動きや状況がダイレクトに伝わります。 その絵を現実世界と違う世界を表現するのに使います。 ふたつの世界を分けるのに、文章とコミックという表現の違いで区分しています。 現実世界と夢(だと思っている)の世界の違いが際立ちます。 コミックパートはファンタジックな世界が描かれています。 著者が好きなゲーム「モンスターハンター」の影響のようです。 夢の世界をどのような形で描くかで物語の印象も大きく変わります。 コミックパートは小説全体の印象も左右します。 視覚で得る情報は影響力が大きい。 文章だと読者は頭の中で状況をイメージします。 大まかなところは同じだと思いますが、読者それぞれが世界を形作ります。 特にファンタジーになると顕著です。 絵は有無を言わせない説得力があります。 だからこそ、納得感のある絵が必要になります。 著者が納得しただけあって、この絵は小説の一部として完全に馴染んでいます。 ファンタジーと夢 コミックパートは異世界が描かれています。 夢と呼んできましたが、厳密にいうと夢かどうかも分からない。 池野内議員は、岸に「夢で会わなかったか」と聞きました。 小沢ヒジリも夢で会ったと認識しています。 岸は覚えてませんが。 寝ている間に体験しているから夢と思っていますが、夢というよりは異世界という方がしっくりします。 便宜的に夢として、この後の感想も書いていきますが。 夢だとしても現実世界とリンクしていると池野内議員と小沢ヒジリは思っています。 ただの夢とは思っていません。 夢を通じて現実世界と異世界が繋がっている。 異世界の存在は最後まで明確にされませんが。 ファンタジーと夢は相性がいい。 どちらも現実世界で起こらないことが起きます。 不思議なことが起きても納得できる。 それを現実世界とどのようにリンクさせていくのか。 コミックパートの存在意義が明らかになります。 夢の世界は現実世界に影響を与える真実味のあるものとして描かれていきます。 物語にしっかりと食い込んでくる。 コミックパートが物語の行く末を決めるのだろうか。 現実世界と夢の世界が組み合わさり、何が起きるのだろうか。 岸も池野内議員も小沢ヒジリも夢の世界で戦っています。 池野内議員と小沢ヒジリは覚えているから実感があります。 岸も戦っていますが覚えていないので実感がありません。 夢の世界の三人は現実世界の三人と同一ではない。 池野内議員は完全な同一性を微妙に否定しています。 しかし、確実に影響していると信じています。 池野内議員の主張は根拠がなく推測であり状況証拠だけです。 しかし、重大な関係性があることだけは間違いありません。 現実的な現実 本作で現実世界を非現実的に描くと、ファンタジックな異世界が際立たちません。 岸たちが生活する現実世界は、極力、現実的に描く必要があります。 だからと言って、何も起こらない日常だけでは面白くありません。 意外な展開を加えることで面白くなります。 部長の謝罪会見も単なる謝罪に終わらせないところが面白い。 画びょうの混入が完全に否定できない以上、現実的な対応は謝罪と原因究明です。 「画びょうが入るはずがない」は根拠のない自信であり、追い詰められた逆襲に過ぎない。 しかし、そう言いたくなる気持ちは分かります。 彼が反論したことは記者会見としては失敗ですが、社内の一部で支持を集めるのも当然だろう。 自身の仕事に誇りと自信を持っている社員がいるということです。 描かれている上司や同僚も現実にいてもおかしくない人物ばかりです。 部長のようにイヤな存在はいますし、係長のような優秀な人物に仕事が集まってくるのも現実です。 必ずしも報われないこともあります。 それが社会であり、会社です。 池野内議員と小沢ヒジリは一般人ではありませんが、現実に存在する職業です。 なかなか出会う機会がないだけで、一生縁がないとは言い切れません。 異世界での出来事を別にすると、岸の会社員生活は普通です。 仕事上のトラブルもあるし、うまくいくこともいかないこともあります。 仕事人間というほどではないが、会社のために努力します。 もちろん、妻や生まれてくる子供のためにも頑張ります。 苦情処理能力が高いというくらいで普通の人です。 猛獣との対決や銃で撃たれたりすることはヤマ場なので、これくらいは現実的に描く上で許容範囲でしょう。 現実世界も恐ろしい 夢の中の異世界は戦いの連続です。 目的も理由もよく分かりませんが、生死を懸けた戦いです。 現実世界で命に懸けて何かをするということはあまりない。 全く安全という訳ではありませんが。 鳥インフルエンザの流行と娘の佳凛の罹患は誰のせいでもありません。 しかし、罹患した者と家族が悪にされていきます。 SNSで情報が流され、全てが晒されていく。 最も恐ろしいのは人間ということだろう。 人は、自分が安全な場所にいる時ほど他人を傷つけます。 根拠もなく、自分は大丈夫と考えます。 岸自身も佳凛が罹患しなければ他人事です。 攻撃するかどうかは別にしても近寄ろうとはしないだろう。 もともと近所で誰かが罹患した時は、批判的な意識もありました。 その意識が合わさり、大きな力を持って攻撃するのかもしれません。 攻撃される側になって初めて理不尽さに気付くのです。 SNSは姿が見えません。 個人の顔が見えない大きな集まりです。 個人の力を離れて勝手に動き始めます。 便乗する者もいます。 立ち向かうのに必要なのは、物理的な力よりも勇気だろう。 池野内議員の主張では、夢の世界の勝ち負けが現実世界のトラブルに影響します。 リンクするほどのトラブルが現実世界で起こるということです。 苦情対応の結果だったり、牡鹿半島での猛獣との戦いだったり、鳥インフルエンザだったりするのでしょう。 岸は、そのことに異議をぶつけます。 自分自身に降りかかったトラブルは、自分自身の力で解決する。 どんなに大きな力であっても立ち向かわなければならない。 夢の世界を否定した訳ではありません。 ただ、自分の力でできることは自分でする。 その覚悟があるかどうかです。 終わりに 2019年7月に発刊された作品です。 新型コロナの流行の前ですが、現在のコロナの状況を予言したかのようです。 鳥インフルエンザは物語の要素であり主題ではありません。 立ち向かう危機として描かれますが、あくまでも立ち向かうこと自体が大事な視点です。 新型コロナが広がった時、罹患した者が悪いような風潮がありました。 有名人が罹患した時は謝罪していました。 彼らも新型コロナでは被害者なのに。 本書で書かれている鳥インフルエンザは、まさしく現実のものとなっているのではないだろうか。

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